第七章 フラグの疾患

第32話 獰猛な父

    ♰


 父に痛み止めの注射をうってもらったおかげで、フラグは、全身の痛みが和らいだ。息遣いも整ったし、気分もだいぶ良くなったので、礼を言いながら、上体を起こす。


「おいおい、体が楽になったからって、急に、無理するなよ、フラグ」

「大丈夫、おかげで、だいぶ楽になったから。それよりも聞きたいことがあってさ」

「なんだ?」

「その……ボクがJSRAで受ける治療って、どんなやつ? JSRAは医療専門の機関じゃないよね?」


 フラグの父は、迷う様子を見せたが、一呼吸おいてから、口を開いた。

「お前のここに、チップセットを埋め込むんだ」

 父の指は、フラグの側頭部をつついていた。


「埋め込む? 脳にチップを? そ、それって、こないだ言ってた『ブレミア』のことか? ボクの病は、脳に関係があるってことか?」


「そうだよ。オマエが動揺するのもわからんでもないが、オマエの病を治すには、この方法しかないし、手術自体も、難しいものではない」


 人工脳『ブレミア』を使った施術の治験を開始するとは、聞いていたが、フラグは、まさか、自分が治験者になるとは思っていなかった。

 『ブレミア』を用いた人工脳手術は、脳細胞に障害を持った患者にとっての救世主であり、今のところ、脳機能を回復する唯一の手段とされている。


「喜べ、フラグ。オマエは、誰よりも先に、最先端の人工脳手術を受けられる権利を持っている」

 父が、眉を上げ、幼い子にプレゼントを与えた親がするような笑みをこぼした。


 痴呆症で苦しむ家族は、その苦しみから解き放たれ、脳の損傷で体の一部が麻痺した人は、それが再び動かせるようになるという最先端の医療――それだけに、治験希望者が、殺到しているとも聞いていた。


「そんな最先端医療なんだったら、ボクよりも急を要する患者がいるでしょ。そっちを先にしてあげてよ。ボクは、その後でもいいから」


 フラグは、手術を恐れているわけではなく、心の底から自然と出てきたものを言葉にした。

 崇高な人間でなくとも、困っている人を助けたいという意識は、備わっている。もっと言えば、同種の命を助けたいというのは、どんな哺乳類にも備わっている本能である。


「何だ、フラグ、ひよったのか?」

 父は、のどの奥で、笑っていた。

「別に、ひよっちゃいない。本当にそう思ったんだ。緊急を要する人が先だろ、ふつう」


「そんな患者より、私は、オマエを助けたいんだ!」


 目をつり上げて、急に、父がブチ切れた。


(そんな患者?)

 フラグは、耳を疑い、父を見返した。


「オマエを優先的に扱ってやると言ってるんだぞ。おいっ、わかってるのか、フラグ!?」

 父は、我を忘れたように、唾をまき散らしながら、まだ、喚いている。


(親父は、いったい、なんのために人工脳技術を開発したんだ? 当初の目的を忘れちゃったんじゃないのか?)

 そんな疑問が頭をもたげたが、今の父に言い返せそうには無かった。


「本当は、喜ばないといけないことなんだぞ! 一般人じゃ、ありえない待遇なんだぞ!」

 番犬のように、フラグに向かって吠えている父の目は、卑しさで溢れているのに、なぜか輝いているようにも見える。

 こんなシチュエーションは、過去にもあった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る