第六章 銃撃
第27話 時田からの依頼
インスタントコーヒーの粉を入れ、ポットのお湯を注いでいると、マグカップが激しく揺れた。荒れた海のように波立つうち、熱湯が跳ねて、マグカップを持っている手に当たる。
「熱っ!」
フラグは、咄嗟にマグカップを置いたが、右手の震えは止まらなかった。むしろ、ひどくなっている。
左手で掴んで右腕を体に押し当て、無理矢理、震えを抑え込む。右ひじの関節に激痛が走った。
「先生、私はコーヒーは結構ですから、そろそろ始めませんか?」
ソファに座っている朝一番の
勤務中の風俗通いを止められない中年男である。相変わらずくたびれたスーツを着た男の名は時田と言い、今回も、アリバイ工作の依頼だった。
激痛で顔がゆがみそうになるのを堪えつつ、フラグは、時田の向かいに座る。そして、時田が記入した依頼書を手に取った。
「な、なるほど、この日のアリバイですね……」
右ひじをさすりながら、目を通す。
くだらない仕事サボリの偽証をするのが、やりたく無くなった。
いつもは、この手の依頼内容にも何も感じないのに、嫌悪感で満たされていく。
「おいくらくらいになりそうですかね? ちょっと、最近、持ち合わせが少なくて……」
「そうですね……。55万円でどうでしょうか?」
「ごっ、55万っ!? い、いつもより、高くなってるじゃないですかっ!?」
「当然ですよ。代金は、アリバイを作る時間の長さに比例します。この日は、ずいぶんと長いじゃないですか? 昼から夕方までって。一体、何をされてたんですか? 昼間から、風俗店のはしごですか?」
「でへっ。いくら私でも、そんなケダモノみたいな精力はないですよ」
「いや、ありそうに見えますけどね。フフフ」
フラグは、時田が野生のボノボのように見えて、自然と笑みがこぼれた。
昼間から交尾活動を繰り返す愛すべきチンパンジーのDNAが、時田の性染色体の中に紛れ込んでしまったのではないだろうかと、あり得ない想像をしてしまった。
「またまたあ。私も、もう40過ぎですよ。無理です、無理無理。昼過ぎにヌキ系に行ったあとは、キャバクラのオネエちゃんと会ってたんです。呼び出されちゃってね」
「ほう、そうですか。モテモテなんですね。いいじゃないですか、幸せそうで」
「違いますよ。金の無心です。搾り取られちゃって、大変なんです。私が、情にほだされやすくて、すぐに財布を開いちゃうのがバレちゃってるんですよね。ハハハ」
フラグは、依頼書をローテーブルに戻し、身を乗り出す。
「で、どうされますか? アリバイ工作、やりますか?」
「い、い、いや。55万円は、ちょっと、高すぎるんじゃないですか? もう少し、安くなりませんかね? 先生?」
「無理です。払えないなら、諦めて帰ってください」
フラグは立ち上がって、作りかけのコーヒーを手に取り、ポットのお湯を注ぎ足す。
「ちょ、ちょっと、そりゃないよ、先生。これまで、さんざんお金払ってきたのにさ」
「ボクの方から頼んだことは一度も無い。全て、お互いが納得した上での取引なのに、それを恩着せがましく言わないでくれ」
フラグは、コーヒーを掻き混ぜながら、時田を見下ろした。もはや、時田はチンパンジーにしか見えない。ただ、どんな愛くるしい顔をされようとも、そもそも、依頼を受ける気を無くしてしまっている。
「じゃ、じゃあ、いつもと同じ額でどうだい? 30万。それでも、ちょっと、月賦にしてもらいたいんだけど……。さっきも言ったけど、今、持ち合わが無くてさ……ハハハ」
「55万円、前払いだ。1円たりとも、まけられない。飲めないなら、諦めて帰れ」
「なんだよ、その言い方っ! こっちは、客だぞっ!」
テーブルを叩いて、時田が立ち上がった。さっきまでとは打って変わって、怒りに満ちた表情をしている。
「若造のくせに、生意気な。モノの言い方も知らんのか、コラッ!」
吠える時田を尻目に、フラグは、デスクの一番下の引き出しを開き、名刺を貼ってカモフラージュした箱を取り出した。
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