第24話 フラグからの呼び出し

 大阪、西心斎橋、通称『アメリカ村』の一角で、古着を売る露店の裸電球が割れて、悲鳴が上がった。夜でも若者でごった返す街に、さらに乾いた銃声が響く。

 現場で撮られた動画には、三度の銃声のあと、人波をかき分けるようにして、三人組の男が走り去っていく様子が写っていた。


 ニュースキャスターは、アメリカ村で亡くなったのは、指定暴力団二真会にしんかい系田辺組の幹部だと伝えた。その場に居合わせた一般男性も、銃弾を受けて重傷したという。


 東急東横線のドアに寄りかかっている野崎芽衣は、関西で起きた殺人事件のニュースを閉じ、メッセージアプリを開いた。


『アリバイ工作が上手くいったかどうか、教えていただけませんか。いつでもいいので、事務所に来てください』


 フラグからそんなメールが届いた時、芽衣の気持ちは沈んだ。

 デリカシーの欠片も無く、人間として欠陥のある性格だし、キツネ目の顔立ちも好みではない。独特な言い回しをする話し方も聞いていて疲れるし、何よりも、間違いなく、フラグには闇がある。

 あまり関わりたく無いというのが、本音だった。


 ただ、芽衣のアリバイ工作を完璧に仕上げてくれたので、御礼を言いに行かなければならないというのも事実で、その葛藤は、今も続いている。


 気を紛らわそうと、再びネットニュースを開いて、興味の無い記事を読んだ。


 井出フラグの事務所は、廃墟のようなビルの二階にあった。看板はおろか、表札すら掲げられていない。ここが、裏社会では有名なアリバイ屋の事務所だとは、誰も思わないだろう。


 芽衣が事務所に入ると、すぐにソファを勧められた。


「ところで、日南さんは、会社の同僚ですよね? あなたがたは、マスコミ関係のお仕事をしていらっしゃるらしいじゃないですか」


 フラグは、窓際でポットのお湯をマグに注ぎながら訊いてきた。


「え……、いや……はい。よく、ご存知ですね」

「まあ、ボクも、グレーゾーンの仕事をしてるんでね。お客様とはいえ、一応、素性を調べさせてもらってるんです」


 フラグは、インスタントコーヒーの入ったマグカップを二つ、ローテーブルの上に置く。


「日南さんは、なぜ、ボクのことを調べているんですか? 理由を知っていたら、教えてもらえないですかね」

 フラグは、ソファに座り微笑んだ。インプラントのような真っ白な歯が輝く。


「え? そうなの? ホントに、知らないけど……。あなたの、勘違いじゃないの?」


「勘違いなんかじゃない。そうじゃないと、ボクのところに、彼女が来る理由がわからない」


「え? それは、彼氏へのアリバイ作りの依頼でしょ? タカアシガニのオスのように、拘束したがる彼氏への対策をしてほしいっていう……」


「いや、違う。日南さんには、恋人はいなかったんだ」

「えっ? ウソっ? ホント?」


 フラグは、冷めたような目を芽衣に向けてくる。

「ボクは、お客様の素性は調べるって、さっき、言ったでしょ? 日南さんのこともちゃんと調べた結果、彼氏がいるというのは狂言だとわかったんだ」


 芽衣は、混乱した。日南がDVを受けていないとわかって安心する一方、なぜ、そんな嘘をついてまで、フラグにアリバイ工作の依頼をしたのかがわからない。


「たぶん、なんだけど……」

 フラグは、マグのコーヒーを一口飲んだあと、続けた。

「ボクの親父が、JSRAの研究者であることが関係してるんじゃないかって、踏んでるんだけど」


「えっ!? そうなのっ!?」


 芽衣は図らずも、気になる情報を得て、顔が熱くなる。


「だったら、私の方が、調べたいわ。お父さんは、何を研究してる人なの? あなたのお父さんに、取材させてもらえないかしら?」


「え? な、なになに? キミも、ボクの親父に興味があるの? ま、聞いてみてもいいけど。キミも、JSRAのミス・ハナを調べてるのかい?」


「あ、それは違う。それは、日南さんの班で……あれ? だから、日南さんは、ここに来たのかしら? やっぱり、そうなのかな?」


「まあ、いいや。実は、ボクもミス・ハナのことが気になってるし、親父に電話してみるよ。今から、時間はあるかい?」

「えっ? だ、大丈夫だけど……。いいの? 今から?」


 フラグは、クイッと、片方の口角を上げて立ち上がり、窓の方に歩き出した。

 スマートフォンをタップして、どこかに電話すると、相手の返事に頷きながら、メモ用紙にペンを走らせる。

 きっと、父親と会話しているのだろうけど、口調は事務的だった。


 フラグの声を聞きながら、芽衣は、ソファに上体を預けて天井を見上げる。

 思いがけない展開に、胸がドキドキしていた。上手くいけば、サイエンス班で、初めてJSRAの研究者に直接取材できる。

 そうなれば、大手柄である。

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