第12話 フラグの犬

 電車の揺れが大きくなって、ユウカは、咄嗟につり革を握った。幸いにも、近くに人がいなかったので、ぶつかったりすることは無かった。

 ユウカは、ビルに当たって反射する夕陽に目を細める。


 狙い通りに大金をゲットしたというのに、ユウカの心は浮かなかった。

 フラグから届いたメールのせいである。


『お願いしたいことがあります。今から、そちらに向かいます』


 これまで、フラグからお願いされたことで、気持ちよく片付いたことは、一度も無い。今回もきっと、そうであるに違いない。

 ひと月前の指示は、酷かった。


 今すぐ、車にひかれろ、と言われたのである。


 毎度のことながら、それで大金がもらえる理由は教えてもらえなかったけど、保険金詐欺のたぐいだというのは想像がついた。

 言われた通り、井の頭通りで、ミニバンに飛び込んだユウカは、計画どおり入院することになった。

 だけど、その後が不可解だった。

 入院中に追加の指示が、送られてきたのだ。


 その内容は、見舞いに来る女と仲良くなって、二人で写真を撮り、メールで送れというもの。

 しかも、前の月のカレンダーを部屋に貼って、それが写り込むように撮れとの指示は、それに何の意味があるのか、全くわからなかった。


 チカチカとちらつく蛍光灯を横目にアパートの外階段を上ると、ユウカの部屋の前に、フラグが待っていた。

「よっ。久しぶり。メール見た?」

 ユウカは、フラグが性に合わない。学生時代に出会っていたら、確実に嫌って避けているタイプだった。


「見たわよ。『お願いしたい』とか書きながら、一方的に押し掛けてくるような内容のやつ」

 ドアの前に立つフラグを肘で押しのけ、鍵を開けてノブを回す。

「ハハハ、確かに。なんか、迷惑がってる?」


 ドアを少し開けて、止めた。

「なによ? 用件があるんでしょ? 早く言ってよ。うちが乗るかどうかは、別だけどね」

「え、なにその言い方? 今回はなんか、つっけんどんだね? 前回は、あんなにノリノリになってやってくれたのに」

「タイミングの問題よ。今は、その時にもらったお金で潤ってるのよ。懐は、ほっかほかよ、おかげさまで」

「ウソつけ。そんなのとっくに無くなってるでしょ?」


 見透かされているようだった。

 あの時、せっかくまとまったお金が入ったのに、あっという間に消えた。

 黒ずくめのフラグは、キツネ目をさらに吊り上げて笑っている。

 いつも見下してくるような顔つきをしてくるのも、ユウカは気に喰わない。


「無くなってないわよ。まだ、残ってるわよ。たっぷりとね」


「うそだね。もし、本当にまだ金を持っているって言うんなら、オマエ、誰かから、だまし取っただろ?」


「な、なにそれ? 勝手な想像しないでよ。なんか、ムカついた。気が変わった。もう、用なんて聞かないから。今回は、協力しない。帰って」


 引き開けたドアにさっと体を滑り込ませて、急いで閉めようとすると、ドアは閉まりきらずに鈍い音を響かせて止まる。


「立花佐知って、妹さんだよね? 男に騙されて、多額の借金をつかまされたそうじゃん。職場までヤミ金業者が押し寄せたりして、職を転々としてるんでしょ。大変そうだよね」


 フラグが、ドアに足を挟んでいた。


「お姉さんなら、そりゃ、援助したくなるよな。たとえ、自分が詐欺まがいのことをしてでもさ」

 切れ味のいい、凶器にも似た目だった。


 この目をされたら、ユウカはパブロフの犬のように、動けなくなる。

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