3.雨の上がった後で
「……んが」
雨緒は車の中で目を覚ました。
予定通り、最後のひとりを森の中に埋めてから、近くのサービスエリアに車を停め、仮眠をとっていたのだ。
「ふあぁ」
窓の外を見ると、もう陽が昇っていた。慌てて時間を確認すれば、午前七時を過ぎている。
「あー、日の出見逃したー」
雨緒はドアを開け、外に出た。パチャンと水音が響く。どうやら、雨が降っていたらしい。車も地面も水に濡れている。
雨緒はうーんと伸びをした。腰に手を当て、目の前にそびえる山を眺める。
「いや~、やっぱり富士山はいいねえ」
その時、朝の冷たい風が吹きつけてきて、雨緒の身体がブルリと震えた。
「おおっ、さぶっ」
けれど、この心地良い冷気の中にもう少し居たい。
雨緒はジャージが濡れるのも構わず、レンタルしたバンにもたれかかった。ポケットに手を突っ込めば、いくぶんマシか。
「はあ~」
終わった。終わっちゃったなぁ。
あれから。虹季が死んでから。
父が帰ってきた。裁判で無罪になったのだ。
しかしそれに対しても、世間は自分勝手でしかなかった。
手の平を返したように優しくなる人。判決を疑い、攻撃してくる人。エトセトラ、エトセトラ。
雨緒は一度、父と母の口論を盗み聞いたことがある。
「なぜこんな所に子どもたちを置いておいた。なぜ親戚を頼らなかった」と責める父に、母はモダモダと言い訳を並べ、ヒステリックに父をなじった。
結局、母は自分ひとりでは耐えられなかったのだ。同じ境遇の人が傍にいないとダメだった、ただそれだけのことだった。
だが、父の一言に雨緒は衝撃を受けた。
そうだ、そうだよ。なんで親戚を頼らなかったんだ。
なんで母に「学校に行かない」ではなく、「どこか別の場所に行く」と言わなかったんだ。
なんで自分から、おじいちゃんやおばあちゃんに連絡を取らなかったんだ。
ここから離れてさえいれば、虹季は死なずにすんだのに。
――ごめん、ごめんね。頭の悪いお姉ちゃんで、ごめんね……!
その後、両親は離婚。雨緒は父と共に、祖父母の家へ身を寄せることになった。
「雨緒ちゃん、大変だったね。辛かったね」
そう言って、祖母は雨緒を抱きしめた。ただひたすらに純粋な悲しみだけが詰まった涙を、久しぶりに見た気がした。
祖父もまた優しい人で、その皺くちゃな大きな手で、慰めるように雨緒の手を握ってくれた。
祖父母や父と共に営む穏やかな暮らしは、雨緒の心を癒していった。
しかし、そこに虹季がいないことだけが、雨緒の心にポッカリと穴を空け続ける。何をしようとも、埋まることはない巨大な穴。
虹季の死体の前で、魂に刻み込んだ誓いを果たそうとも、その穴が埋まることはない。
「ごめん、にじ。ごめんね」
雨緒は空を見上げた。
穢れをすべて洗い流したかのような、雨上がりの澄み切った空は、太陽の光で輝いて見える。……途端、ポロリと涙が零れた。なんの涙なのか、自分でも判断がつかない。
「ごめんね。死んだとしても、わたしはにじの所には行けない。そんな綺麗な所には行けない。ごめん。ごめんね」
ああ、わたしは謝ってばかりだ。これまでも。これから先も。
にじに謝り続けるのだろう。
ポロポロ、ポロポロ。冷たいとも温かいともいえない、涙が零れていく。
やがて、雨緒はジャージの袖で目元を擦ると、切り替えるようにパンッと頬を両手で叩いた。
「……よしっ!」
雨緒はバンの後部座席に置いたスーパーの袋を取ると、中を探った。
「さて、朝ごはんといきましょうかね。にじさんは何がいいですか~? ……ふむ、プリンがいいと。にじさんは、ほんとにプリンが好きですねー。でもそれだけだと、栄養が偏っちゃいますよー」
袋からプリンを取り出すと、再びバンにもたれかかる。天気もいいし、外で食べよう。
ペリッと蓋を剥がし、プラスチックのスプーンを黄色い中身に突き刺して、パクッと一口。
「あまーい」
さて、これからどうしようか。死ぬことはいつでもできるしなあ。
……せめて大学は卒業しようか。高い金を払ったんだ、キャンパスライフとやらを楽しませてもらおうじゃないか。
その後のことは、その時考えよう。
「あ、虹」
空に架かる七色の橋は、まるであの世とこの世を繋いでいるかのようだ。……空にあるんだし、きっと天国だろう。地獄には、恨みを買っている奴が最低でも三人はいるので、勘弁。
「にじ、虹が出てるよ」
うん。きれいだね、あめちゃん。
「ね」
(終)
虹の彼方に… 小浮あまお @amao-kouki
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