第33話 英雄

 ヘンリクは話し始めた。


ある日、ひとりの将軍が、とてもやつれた姿で馬に乗ってやってきたのです。

とても大きな体の、この国でも名の知れた将軍でした。

将軍は言いました。

わたしはもうすぐ死ぬと。どうやら、悪い家臣に毒を盛られたのです。将軍は途中で気付いてすぐに吐き出し、そして馬で逃げ出したのですが、少量の毒がまわって、死期を悟ったようでした。

将軍は言いました。

わたしが死んでも、わたしの死を秘してほしい。わたしの死が知れれば、教国は滅びる。幸い、この神殿の周囲にはほとんど人影がない。わたしの死体を隠してくれ。

僕は言いました。

僕はもっとこの神殿を大きく、そして有名にしたい。

将軍は言いました。

それはかまわない。だが、この国は腐敗している。悪い大臣に乗っ取られようとしている。しかし、時間を稼げば必ず姫が成長し、この国をよくしてくれるはずだ。


「そう言って、将軍は息を引き取ったのです」

気分が落ち着いてきたのか、ヘンリクは顔をあげた。

「その姫って誰なの?」

「さあ、わかりません。教国にもたくさんの姫がおられます」

「とにかく、下へ降りてみましょう」

ということで、四人で台を動かした。

木のふたを開けると、そこに地下へ続く階段が現れた。

降りていくと、ひざほどの高さの大きな木の箱があり、そこに体の大きな人物が横たわっていた。箱の中は、液体で満たされている。

「死体が傷まないように、聖油で満たしています」

「この方は、ベルンハルト将軍。何度見ても痛ましい」

「サネルマさん、あなたはご存知だったのですか?」

「ええ、この方は、父の友人でした」

その横で、マルヴィナとヨエルがコソコソ話を始めた。

「ところでマルヴィナ、どうやってこの人を目覚めさせるの?」

「わたしも今それを考えていたところよ」

「僕、ひとつだけ思い当たるやつがあるんだけど……」

恐ろしげな顔で、ヨエルがいったん言葉を切った。

「この人が死んでいるとしたら、ゾンビの呪文……」

「そうね」

マルヴィナは諦めたような表情でため息をついた。

「僕、上で待っていていいかな?」

「だめよ」

「危険じゃない?」

「ここまで来たらやるしかないじゃない……」

そこで、

ヘンリクがとても疑わし気な目で、そしてサネルマが期待のこもったキラキラした瞳でそれぞれ二人を見つめているのに気付いた。

「ただいま段取りの詳細を詰めているので、もう少しお待ちくださいー」

コソコソ話に戻った。

「あの二人には上で待ってもらったほうがよくない?」

「そうね」


振り返り、

「あのう、少し危険なので上で待っててもらえますでしょうか?」

「いや、疑っているわけではないですが、僕は平気です」

ヘンリクの目に、さらに疑惑の色がきらりと増した。

「わたくしも大丈夫、ここで救世主の奇跡を拝見させていただきますわ」

サネルマの目がさらに輝きだして、天にも昇る勢いだ。

そこで覚悟を決めたマルヴィナ。

ヨエルは、じわりじわりと、階段にいちばん近いポジションへにじり寄った。

「いくよ……」

マルヴィナの言葉に、ヨエルの息をのむ音が、地下室に響いた。

「アーウームー。我慈悲深き冥界神ニュンケに帰依し、我が眼前に起こりし奇跡に感謝す……、できるだけゆっくり起き上がってね、屍体招魂!」

そして、十秒が経過し、二十秒が経過した。三十秒が経過するころ、ヘンリクが肩をすくめ、サネルマが少し残念そうな顔をした。

「あれえ、おかしいなあ……」

と言いつつ、マルヴィナもややほっとしている。

「まあ、救世主はまた探しましょう」

ヨエルを先頭に階段を登ろうとしたとき、

「あ!」

振り返ったサネルマが何かに気付いた。

「わあ!」

ヘンリクとヨエルが腰を抜かしてその場にへたりこんだ。

マルヴィナは警戒し、サネルマは少し近づいた。その人物が、油をしたたらせながらむっくりと上体を起こしていたのだ。

あたりをゆっくり見渡し、自分の両手のひらを見ている。

「か……」

何かを言おうとして、聖油がのどに絡んだのか、ゴホゴホとせき込んだ。

「か?」

サネルマが必死に聞き出そうとしている。

「かが……」

「かが?」

もう一度せきこんでから、

「かが……み……」

「鏡ね!」

サネルマは素晴らしい敏捷性を見せて、階段を駆け上がっていった。そして、手鏡を手に、素晴らしい速さで階段を降りてもどった。その人物に手渡す。

その人物は、しばらく色々な角度からその鏡で自分の顔や肩のあたりを眺めていたが、突然立ち上がり、こぶしを天に突き上げて叫んだ。

「やったー!!」

あたりに油が飛び散った。


「ついについに……」

まるで少年のような喜びようだったが、四人が見ているのにあらためて気付き、そして威厳のある表情に戻った。

「ぼ……、いや、わしはグアン将軍。忠誠を誓おう!」

木箱から出て、油まみれの手をマルヴィナに差し出し、躊躇するマルヴィナに構わずその手をしっかりと握った。

「でも、あなたはベルンハルト将軍ではないのね」

少し残念そうなサネルマだが、

「ベルンハルト将軍の魂にはさっき会ってきた。われわれが進むさきに、かならず教国も救われる、とおっしゃられた」

そのグアン将軍の言葉に、サネルマも納得した表情になった。

「だが、この顔では少しまずい。ベルンハルト将軍の素顔を知る者も多いであろう」

すこし考えたグアン。

「こんなのはどうだ!」

そう叫つつアゴをなでると、みるみるうちに、ツルツルだった口やあごのまわりから、髭が伸び出した。そして一気に、胸のあたりまで伸びた。だが近くでよく見ると、それは髭というより木の根っこにも見える。

「これでベルンハルト将軍と間違える者もいないだろう」

そう言ってから、グアンは何かを探す風だ。

「マントがない。麻を青く染めた、わしの体にフィットする丈夫で暖かいマントがほしいのだが……」

「そうねえ……」

少し考えるサネルマだが、ここにはなさそうだ。

「出来れば、何よりも青く染めてほしいのだが……」

そのとき、遠くで複数の馬のいななきが聞こえた。

「誰か来た?」

サネルマが階段を登っていく。グアンは、部屋のすみにぼろきれを見つけ、体を丁寧に拭きはじめた。


サネルマが神殿の外に出てみると、

「ああ、お父様!」

「娘よ!」

神殿の前で、お金持ちそうな男性が、大きな六頭立ての馬車から降りてきた。

「お父様、体の大きなひとにフィットする丈夫な麻のマントを、それも何よりも青く染めたものをわたくしは欲しています」

「何よりも青くとな、わかった。すぐ手配しよう!」

そういってその男性は馬車に戻った。

「さらばだ!」

行ってしまった。


階段を登って来たほかの三人は、あっけにとられてそれを見ていた。

「お父様は、いつもあっという間に行ってしまわれる……」

三人は、そういうサネルマを、やはりあっけにとられてしばらく眺めていた。

「す、すまない……、誰か来てくれんか」

グアン将軍が地下から上がってきたようだが、何か様子がおかしい。

「どうしましたか?」

すぐに駆け寄った。

「なぜかとてつもなく眠い。わしは確かに復活したが、何かが足らん気がする」

そう言いながら、神殿の床にひざをついてしまった。

四人で大きな体をなんとか助け起こして、修道院の建物の中へ連れて行く。その一室のベッドにグアンを横たえた。

「どうしたものかしら?」

「わしもよくわからん。こんなはずではないのだが……」

「ヘンリク様、ご神託で、高貴な方は他に何か言ってませんでしたか?」

「ああ、そうだ!」

ヘンリクは慌てて外に走っていった。そして戻ってきて、

「我が家に伝わる、そしてわたしの母上から、常に肌身離さず持っているように言われたこの……」

ヘンリクは、銀色のナイフを取り出し、

「これを復活した英雄に渡すように言われていました」

グアンにそれを手渡した。

「これは……」

グアンの目が、かッと開いた。

「ヘンリク殿、馬を借りまする!」

そう言って、グアンはベッドから跳ね起きると、走って出て行ってしまった。

「お忙しい方ですね……」

「帰ってくるのかな?」

そのヨエルの言葉に、ヘンリクが引きつった笑みを浮かべた。


 一時間後、グアンはヘンリクから借りた馬に加えて、三頭の駿馬を連れて帰ってきた。

二日後には、サネルマの父親から早馬で青いマントが届いた。

その数週間後。

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