第32話 神殿
大きな雨音で目が覚めた。
マルヴィナがベッドから起き上がると、少し肌寒い。いつの間にか、綺麗な白い綿の服を着ていた。
外は少し暗く、土砂降りの雨だったが、不快感は無かった。むしろ、この雨がとても気持ちよく感じられた。何かが洗い流され、浄化されていくようにも感じる。
「なんか変な夢を見た気がする」
立ち上がって、大きく伸びをした。
ふと見ると、小さなしかししっかりとした作りの書斎机と椅子があった。その椅子に、暖かそうな素材のカーディガンが掛かっている。それを羽織ってみると、椅子の足元に、もこもことした室内履きのブーツがあった。履いてみると、サイズがぴったりだ。
「ここは天国かな?」
ふと見ると、部屋の端にマルヴィナの鞄、銀色のマント、護身用の剣、どくろのペンダント、そして屍道書など、もちもの一式が置いてあった。
「よかった、無くなってなくて……」
その時、
部屋の扉は開いていて、そこから何やらいい匂いがしてきた。その匂いに惹かれて、部屋を出た。
左手から光が漏れ、そこがダイニングのようだ。その廊下の突き当りには大きな掛け時計があり、ちょうど正午を示していた。
「もうお昼なのか」
ダイニングに入って行くと、大きな十人掛けのテーブルに三人分の食器が用意されており、奥のキッチンで女性が背中を向けて作業していた。
「もうすぐ用意できますからね」
女性はマルヴィナが入ってきたことに気づいて、振り返らずにそう言った。
「はいお待たせ、とれたて野菜のサラダに、焼き立てパンですよ」
そういってサラダの入った大きなボウルと、パンの入ったカゴを持ってきた女性。とても豊満な体つきでぱっちりとした大きな瞳、しかも少し透けるような素材の部屋着を着ていた。
「あら、ごめんなさいね。わたくし、暑がりなもんだから」
マルヴィナの視線に気づいて、胸元をパタパタさせながら女性が謝った。なにかものすごくいい香りがしてくる。
その女性は、サネルマと名乗った。
「あなたとあなたのお連れ様は、三日間も眠っていらしたのよ」
「三日間!?」
サネルマがこくりとうなずいた。
「わたしたち、そんなに眠っていたんだ……」
「とにかく、元気になって本当によかったです」
サネルマはにっこり笑った。
「でも、ここって修道院でしょ? あなたひとりしかいないの?」
そのマルヴィナの言葉に、サネルマは少し眉をひそめて、
「昔はここにもたくさんの修道女がいました。でも、訪れるひとが減って、修道院や神殿の身入りも減って、みんな去って行ってしまったのです」
サネルマは窓のほうを見た。雨脚はやや弱まってきたようだ。
「あなたはここに残って大丈夫なの?」
「ええ、わたしは実家が少し裕福なので、ここでなんとか暮らしていけています」
「へえ、それは羨ましいわ」
「え、そんな、ただ両親が大富豪なだけでございますわ、ウフフ」
そこにヨエルが部屋に入ってきた。
「ここはどこなんだろう?」
「ここは修道院よ。そしてこちらはサネルマさん」
ヨエルは挨拶もそこそこに、お腹がすいていたのかさっそくサラダとパンを口に放り込んだ。
「ヨエルさんも、元気になって本当によかったです。もう大安心ですね」
ヨエルはサネルマの格好に気づいたのか、食べながらときおりチラチラとそっちを見ている。
「だから、時々、はるばるビヨルリンシティから父や兄が馬車でここを訪れるのです」
「へえ、お兄さんがいるんだ」
「兄は学生ですが、同時に大変な仕事もしています。なので、わたくしはいつもここで、兄のために祈っているのですよ」
「へえ、お兄さん想いなんだ」
「ご、ごちそうさま」
ヨエルは相当お腹がすいていたのか、あっという間に食べて、そしてなぜか中腰になりながら部屋に戻っていった。
「大満足していただけたかしら。あら、いけない、もうこんな時間だわ」
サネルマが慌て出した。
「今日はお昼から神官のヘンリク様が来られます。ヘンリク様は、わたくしがこの格好をしておりますと、いつもおなかの具合が悪くなるのです。はやく修道女の服に着替えないと……」
「へえ、なんでだろうね」
といいつつ、マルヴィナはその神官の名前をどこかで聞いた憶えがあった。
それからすぐにヘンリクがやってきた。
「サネルマさん、いますか? お昼の瞑想を始めましょう」
修道女の制服に着替えたサネルマと三人で修道院の外に出た。
「やあ、君たちもいたのか、すっかりよくなったみたいだね」
四人ですぐそばの神殿に入って行った。
神官のヘンリクが説法台のところに立ち、ほかの三人は椅子に座った。
「それでは、精霊神バシュタに祈りましょう」
ヘンリクとサネルマが目を閉じて祈りを始めたので、マルヴィナとヨエルがそれを真似る。右手の親指を額にあてて小指をたてるという、独特の印を組む祈りだった。
そろそろ肩が疲れたころに、祈りが終わった。
「それでは、今日の説法を始めます」
そういって、ヘンリクの説法が始まった。
それは、精霊神バシュタの誕生からはじまり、そして、様々な聖人の逸話が続いた。ヘンリクはいつもそうなのか、それとも今日が特別なのか、とても熱の入った喋り方で、永遠一時間ほど話し続けた。
それを、サネルマも熱心に聴き続けたが、マルヴィナとヨエルは少し飽きてきたのか、そわそわしだした。
「こんな逸話もあります」
初めて説法を聞く人間がやや飽きてきたのに気づいて焦ったのか、ヘンリクはさらに逸話を畳み掛けてきた。そしてさらに一時間後、
「その聖人が古びた雑巾で便器を磨いていたとき……」
「あのう、逸話はもういいから、なんか精霊神バシュタのご利益とか教えてほしいなあ」
ついに、痺れを切らしたマルヴィナが割り込んだ。
「ごりやく?」
ヘンリクが言葉につまった。
「バシュタ教は、ひたすら祈ることを旨としています」
その答えになっとくしていないマルヴィナを前に、ヘンリクが何か思いついた。
「それに、一生懸命に祈っていれば、必ずご神託があります!」
どうだ、という顔でマルヴィナを見返すヘンリク。しかし、
「わたくし、そのヘンリク様のご神託を、一度お伺いしたかったのですが……」
サネルマにも話したことがなかったようだ。
ヘンリクが顔を赤くしながら話し始めた。
「ぼ、僕は夢で見たんだけど、夢はあながちバカにできないんだ」
怒ったように話すヘンリクに、
もちろんですよ、とサネルマ。
「夢の中で、光り輝く存在から、二人の救世主がやってきて、そして英雄を目覚めさせる、って言われたんだ」
「ヘンリク様、もしかしたら、この二人がその救世主じゃございませんこと?」
その言葉に、ヘンリクはとても驚いて、しばらく口をパクパクさせていたが、なんとか反論した。
「い、いえ、言葉を返すわけではありませんが、このような二人。救世主がふらふらになって歩いて入ってくるでしょうか? むしろ助けたのは我々のほうで……」
「それもそうね」
とマルヴィナも同意ぎみだ。
「その、救世主が目覚めさせる英雄って、どこにいらっしゃるのかしら?」
サネルマの言葉に、ヘンリクは慌てた。
「け、け、けしてこの建物に隠したりはしていませんよ!」
サネルマは、上目遣いにヘンリクをじっとみつめた。ヘンリクの視線がサネルマの瞳と胸元を行ったり来たりしていると、
「あ、そうだ、なんか思い出した」
急にマルヴィナが立ち上がった。ヘンリクに近づいていく。
「この台の下に、何か隠してるでしょ?」
マルヴィナが詰め寄ると、
「うわっ、ここには何もないよ。ほら、下がってください。説法を続けますから」
しかし、サネルマも寄ってきて、ヨエルも目を覚まして寄って来た。
「ヘンリク様」
サネルマは少しぷんぷんした表情で言った。
「はい」
ヘンリクは、思わず右手の親指を額に当て、天を仰いだ。
「わたくし、実はもう見てしまったのです」
ヘンリクは大きく目と口を開いて、呆然とした表情。
「そしてわたくし、ヘンリク様がいないあいだに、そこへ降りていって、それを見てしまいました」
ヘンリクは、顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。
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