第31話 熱病

 歩き続けて、

気がつくと、空が明るくなり始めていた。


「あれ?」

マルヴィナは誰かの背に負われているのに気付いた。

「ヨエル?」

皮の鎧をどこかで脱ぎ捨てのか、麻の服だけになっている。見ると、首元が血だらけなのにぎょっとした。

「そうだ」

その答えを聞く寸前に、マルヴィナはまた眠りに落ちた。

しばらくして、マルヴィナはまた目を覚ました。あたりはだいぶ明るくなっていた。

「あれ?」

景色は砂漠のような岩場が続いている。

「ヨエル?」

「なんだ?」

「わたし、歩くよ」

「わかった」

ヨエルの背中から降りて歩き始めた。

「あそこに行ってみよう」

少し遠くの丘に、神殿らしきものが見えた。

「あれ……」

歩き始めたが、ひどくふらつく。めまいがひどい。

「やはりだ。おまえはひどく疲れており、そして熱もある」

そういうヨエルも、青い顔をして、厳しい表情でふらふら歩いている。

「あなたこそ大丈夫? いえ、あなた本当にヨエル?」

何か違和感を感じたマルヴィナだが、ふらついてしゃがみ込んでしまった。ヨエルが背を向けてひざまずいた。

ヨエルがマルヴィナを背負い、ふらつきながらもなんとか立ち上がった。神殿を目ざして歩き出す。


 ヨエルはマルヴィナを背負いながらも神殿のある丘へ、坂道を登り切った。

神殿の横に住居らしき建物。若い、修道女の恰好をした女性が庭を掃除している。

「あら? どなたかしら?」

誰かが庭に入ってきたことに気づいた。

「まあ、どうしたことでしょう!」

女性は急いで駆け寄ってきた。

「私の名はディ……、いや、ヨエル。この女性を頼む。ひどく熱がある」

そういって、疲れ切った男は熱があるという女性を下ろすと、そのまま庭の地面にぶっ倒れてしまった。

「まあ大変! ヘンリク様ー! ヘンリク様ー! いち大事ですよー!」

となりの神殿から、若い神官の恰好をした男が出てきた。

「どうしました、サネルマさん?」

状況を理解して、そこへ駆け寄る。

「これはいけません、二人ともベッドへ運びましょう」

そうして、ヘンリクと呼ばれた神官と修道女により、外から来た二人は建物の中へ運ばれていった。


 マルヴィナは、うなされていた。

彼女は、夢の中にいた。

マルヴィナは、どこか知らない土地にふわりふわりと浮いていた。夜なのか、あたりは暗い。

「あれ? わたし、どうしちゃったんだろう?」

風景からして、どこか北の、寒い地域のようにも見える。生えている木の雰囲気が違うのだ。

「なんだろう?」

フードをかぶった、ローブ姿の女性らしきひとが、数人に追われている。

ふわふわと近寄ってみた。

「アーウームー……」

その女性は魔法使いなのか、なにやら呪文を詠唱し始めた。

「屍体召喚!」

その女性は叫んだ。

「このひと、屍道士なの?」

マルヴィナがそう思った瞬間、強力な力で地面に吸い寄せられた。

気付くと、マルヴィナは地面から這い出し、立ち上がった。ひどく体が重い。ズリズリと足を引きずるように進む。

「なんなのこれ? これはわたしの手?」

腐敗して、自分の手とは思えない。しかも、うまく動かせない。

「こっちで戦いなさい!」

女性の声がした。

マルヴィナは、命じられたままに、この女性の敵と思われる人物たちと対峙した。

「賊とも違う、何このひとたち……、暗殺者?」

相手は、いかにも手慣れた感じで武器を構えている。

そして襲い掛かって来た。しかし、マルヴィナは完全に丸腰だ。敵の一人が剣を振り上げたので、思わず腕で防ごうとした。

「痛い!」

腕が切り落とされて、強い痛みを感じたが、なぜかそのあと血が出ない。残った手と、切り落とされた側の残った腕を使って、相手に組みついた。

「今だわ!」

フードの女性が、また呪文を唱えた。地面が白くなり、マルヴィナとその組みついた敵の足元が氷漬けになった。さらに呪文を畳みかける。

マルヴィナが組み付いていた敵の呼吸がおかしい。

「苦痛の呪文?」

だがその瞬間、マルヴィナは横から来た者にこん棒のようなもので頭を殴られた。三度ほど殴られ、骨が砕ける音がした。

意識が遠のいていく……。

そこで、再び宙に浮いていることにマルヴィナは気付いた。

「さっきの女性は?」

女性を襲っていた数人はどうやら逃げ出したようだ。

「大丈夫そうね」

少しほっとしたものの、いきなり引き寄せられるさっきの体験はなんだったのか、とても気になった。しかも、どちらかというと、もうやりたくないタイプの体験だ。

「こういう風にふらふら飛んでいるとそうなっちゃうのかしら?」

と言いつつも、どこへ行けばよいかわからない。

とりあえず、気の向くままに飛んでいく。


 そこでマルヴィナは、ベッドに横たわっていることに気付いた。

窓には鉢植えがあり、小さな花がいくつか咲いている。穏やかな日差しが差し込んでいた。

「ここ、どこだっけ?」

だが、ふいに再び睡魔が襲ってきて、目をつぶった。

気付くと、また宙を浮いていた。明るく昼間のようで、海が見える。

「港町かしら?」

大きな船が停泊しており、そこに積み荷を運ぶ人影。

「子どもが積み荷を運んでいる?」

そう思った瞬間、とても強い力で吸い寄せられた。

気付くと、大きな船が接舷している岸壁に立っていた。

「あれ、わたしの体、どうしちゃったのかしら?」

子どものころに戻ったかのように、体が小さい。

「おい、そこのおまえ! はやくしろ!」

言われるがままに、動こうとするのだが、何をやればいいのかわからない。

「こっちだろ! この荷物を運べ!」

大きな声の荒々しい男に命じられ、荷物を担いだ。

「とにかく、真似をしよう」

ほかの荷物を担いでいる小さな体たちと同じようにふるまおうとした。

「それは向こうだろ!」

何か棒のようなもので殴られた。

「痛い!」

そう思ったが、口からはうまく言葉が出ず、何かもごもごと音を発するだけだ。

そうして、何度か殴られて痛い思いをしているうちに、少し要領もわかってきた。

時々休憩があるのだが、ほかの作業者とコミュニケーションを取ろうとしても、無理そうだった。反応が無いもの、何か言いたそうだがよくわからないもの。

ある作業を終えると、倉庫のようなところに押し込められる。あるいは、夜間でも関係なく作業が続くときもあった。

そういったことが数日続いた。

マルヴィナがもはや自分が何だったか忘れかけてきたころ、重い荷物を運んでいる最中に、船と岸壁をつなぐ板から海に落ちた。

「苦しい……、息が続かない……」

海中に沈みながら、もがき続けた。


 そこで目が覚めた。

強い疲労感が、かなり抜けているのに気付いた。体の節々の痛みが、とれている。

だが、周囲は夜で暗かった。目をつぶり、再び眠りに落ちた。

そして気付くと、また宙に浮いていたのだが、そこは、そこだった。

「あれ、わたしが寝ている?」

ベッドに自分が寝ている。

「あ、ヨエルもいるわ」

少し離れた位置にまたベッドがあり、そこにヨエルが寝ていた。顔色もだいぶ良く、穏やかな寝顔だ。

外に出てみた。

「修道院かしら?」

カロッサの港町にも同じようなものがあった気がする。

神殿のほうへふわふわ飛んでいく。

夜なので、誰もいないようだ。中へ入ると、天井が高い。椅子が並んで、正面は一段高くなっており、神官が使う台のようなものがあった。

その後方の壁に、神の像。

「これ、何の神様だったかな?」

カロッサではあまり見ないのだが、確かあれだ。屍道書にも名前が出てくるやつ。

「君は何をしているんだい?」

急に話しかけられて驚いた。

背の低い男の子だったが、枯れ木のように痩せ細った浅黒い体はところどころ紫色に変色している。ぼろ布をまとい、木の枝の切れ端を持っている。目の下に大きなクマをつくり、しかしその目だけは異様に輝いていた。

「君はどうしてそんな光り輝いているんだい?」

その男の子が再び尋ねた。

「え? そんなつもりはないけど……」

自分の姿がよくわからない。逆に、直感的にこの子どもが生きている存在ではないと理解した。

「あなたこそ、ここで何をやっているの?」

「僕かい? 僕はここで修行しているんだよ。将来はとても強い将軍になるのさ」

そこでその男の子は手に持った枝を構えて振ってみせた。

「君はどこかの国の王様でしょ? だったら、僕を家来にしてくれよ」

「ええ。……いいえ、わたしはただの」

「ただのなに?」

「ただの、なんでもないひとよ」

「そうなの? そうは見えないけど……。いいこと教えてあげる」

そう言って男の子が歩いていく。

「この台をどけてごらん」

その言葉どおり、台を動かしてみる。

「なにこれ、意外と重いわね」

半分ほどずらして、いったんやめた。

「地下への入口さ」

確かに、まだ半分隠れているが、金属の枠が付いていて、何かの入口に見える。

「この下に何があるの?」

「誰か偉いひとが眠っているらしいよ。それも、最近亡くなったんだ」

「へえ、誰だろう。それも、こんなところに」

ふつうは、亡くなったらお墓に埋めたりするはずだ。

「明日、ヘンリクに聞いてみればいいよ」

「ヘンリク?」

「ここの若い神官だよ。ちょっとまだ未熟だけどね」

こんな子どもに未熟と言われて、そのヘンリクという神官が少し気の毒だったが、しかしその眠っている人物というのが気になる。

「そうね、聞いてみようかしら……」

そこで記憶が途切れた。

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