第30話 逃避行

 なぜそうなったのか。


マルヴィナは敵から逃げているうちに、いつの間にやらさっき訪れた闇ギルドの拠点の中へ迷い込んでいた。

「なんでこっちに来ちゃったんだろう?」

孤独のマント、姿を消せる効果に甘えていたのかもしれない。

その効果のとおり、姿は見えていないようだが触れることもできるし、ぶつかることもできる。

マルヴィナは、歩いて移動している者たちをうまくかわし、そしてやり過ごしているうちに、拠点中央の広場のようなところに来た。

そこには、闇ギルドのメンバーと思われる、黒い装束を着た者がたくさん集まっていた。その中心に、鳥のくちばしが付いた仮面の男。だが、体つきはずんぐりして、背が低い。

「グスタボ様、百人隊の配置完了し、展開しています!」

「このグスタボ様は常に万全の体制でことに望む。どこぞのやつのようにへまはせん、グッグッグ。といっても、やつはイゴル様に切られたといったほうがいいかもしれんがなあ」

マルヴィナは、もっとも来てはいけない場所に来てしまったのを理解し、そろりそろりとその場をあとにしようとした。

「奴らの首領はもう捕まえたか?」

「いえ、まだ捜索中です!」

「たしか神聖屍道士のマルヴィナとか言ったな。屍道士ならまず確実に水属性だ、水属性ならこのグスタボ様の鼻が嗅ぎ付ける。クンクン、うん? なんだか近くにいるような気がするぞ?」

マルヴィナはいっきに寒気で鳥肌が立った。

名前がばれているばかりでなく、ここにいるのがわかってしまうかもしれない。出来るだけ音を立てずに、ものにぶつからずに、しかし気持ちばかりが焦る。焦って足がうまく前に進まない。

だが、なんとか敷地の端の、木柵のあたりまで来た。


そんなとき、

「マルヴィナ―!」

「ヨエル!?」

林の奥の方角から、ヨエルが叫ぶ声だ。

「マルヴィナ―!」

「ちょっと! あんまり名前呼ばないでくれる!?」

いるのがばれるじゃない、と言おうとして、バラバラと人が飛び出してきた。

「こっちから声がした!」

マルヴィナは、ひとがいないほうへ、いないほうへ歩いていく。けっきょく、また敷地を横切って、反対側の大きな道へ出た。

少し広い場所へ出て、ほっとしたのもつかの間、さっきの鳥仮面が大勢を連れて歩いてくるのが見えた。

「こっちの気がするんだなあ、クンクン。おかしい、どっかにいるはずだけど、僕と一緒で地面に潜れるのかな?」

その言葉に、マルヴィナはまた鳥肌が立った。恐怖感もあるが、どうもこの鳥仮面とは生理的に合わないようだ。

「この周辺を探せ!」

黒装束たちが群がってくる前に、ここから立ち去ろう。

と、広い道沿いに早足になろうとしたとき、道のわきの茂みの向こうからまた声がした。

「マルヴィナ、そこにいるんでしょ?」

「ヨエル? いるの!?」

「ここだよ」

マルヴィナが見ていた茂みから、だいぶ左よりの茂みにヨエルが頭を出した。

「いたぞ! こっちだ!」

ヨエルが頭を出したことで見つかってしまった。

「走ろう!」


広い道沿いに走ったものか、それとも道から外れたほうがいいのか、一瞬迷ったが、ヨエルにそのままついていくことにした。

道を外れ、暗い、低木と草が生い茂る荒れ地を走っていく。けっこう簡単に逃げ切れると期待していたのだが、明らかに距離を詰められている気がする。

「きゃあ!」

少し深めのくぼ地に落ち込んでしまったマルヴィナ。フードをあげて顔を出すと、

「ほら!」

ヨエルが手を差し出して、くぼ地からマルヴィナを引き上げ、再び走りだす二人。

だが、走りつつも徐々に周囲を囲まれているような気がした。

「すぐに追いついてはいけないよ。追いつくことよりも、逃げる者の心が折れるのを待つことが大事なんだ、グッグッグ」

鳥仮面の男、グスタボも追ってきているようだ。

「わ!」

何度か石につまずき、木の根に足を取られ、息が切れそうになりながらも、所々に点在する厚い藪を回り込んでよけながら進む二人。

「うわあ!」

ついにヨエルが深めのくぼ地に足を取られた。

「ヨエル!」

足を止めそうになるマルヴィナだが、

「ダメだ、走れマルヴィナ!」

「で、でも……」

そうは言いつつも走り続けたマルヴィナ。

だが、

もう一度振り返って、捕まったヨエルが立たされているのを見て、足を止めた。

低い姿勢で戻る。ヨエルの周囲に三人。

しかし、周りをもっと多くが囲んでいる気配。背の低い鳥仮面の姿は見えない。

と、ヨエルが両手を後頭部に当てた状態で、顔を殴られた。さらにもう一発入って地面に転がった。

「ヨエル……、なんで覚醒しないのよ」

マルヴィナももどかしい気分で眺める。


今度は座らされた。どうやらマルヴィナを呼び止めるように命じられているようだ。

「逃げろマルヴィナ!」

相手の意図に反して、そう叫んだヨエル。今度は顔付近に蹴りが入ったのが見えた。うずくまって動かなくなるいヨエル。

「はやく! はやく覚醒してよ……」

このまま見ているのか、逃げるのか。それとも、ヨエルを助けるのか。

でも、恐い。

想像して、足が震えてきた。

ヨエルがもう一度座らされて、男の一人が剣を抜いたとき、マルヴィナは決めた。

「待って!」

孤独のマントを脱ぎ捨てた。

「わたしが神聖屍道士のマルヴィナよ」

そう名乗ってみてから、急に後悔の気持ちが噴き出した。

名乗ってみたところで、何か変わるのか?

その予想通り、

「グスタボ様、敵首領を確保しました」

どこからか鳥仮面の男が姿を現わしていた。

「よし、取り押さえろ」

寄って来た者たちに、マルヴィナは地面に引き倒された。

「ちょ、ちょっと、痛い!」

「よし、まずこの男から処分せよ」

横目に、ヨエルの横にいた者が剣を振り上げた。しかし、踏みつけられて声も出せない。

痛みで目をつぶった瞬間、がッという音、そしてもう一回、

「なんだこれ、切れないぞ」

何度か剣を振り下ろすような音がして、ピチャピチャと液体が跳ねるような音。マルヴィナは悲鳴をあげたかったが、声が出ない。首元を押さえられて意識が遠のきかけたとき、

突然ひゅっと熱い風を感じた。

「なに?」

さっきまでかかっていた、圧がふっと消えた。

「……人は生まれるとき、自らの死期を決めてこの世に出てくるという」

マルヴィナがふと顔をあげると、ヨエルの姿をした、しかし目つきの違う男がこっちに歩いてきた。

「ディートハット?」

「ディートヘルムだ」

男は落ちていた孤独のマントを拾い、マルヴィナに手を貸して立たせると、マントを渡して着るように言った。

「おい、何をやっている! はやく片づけろ!」

黒装束の男たちが群がって来た。

「マルヴィナ……」

その男たちを見渡しながら、ディートヘルムと名乗った男は言った。

「敵は必ずおれが倒す。おまえはただ、戦場を生き延びろ……」

マルヴィナがマントを着たのを認めた瞬間、ディートヘルムが胸の前でパンと手を合わせた。

「きゃあ!」

突然の熱風が彼女を吹き飛ばした。

あたりは一瞬昼間のように明るくなり、そして暗くなった。草木がところどころ燃えていた。草木と、そして何か別のものが焦げる嫌なにおい。

マルヴィナはそこにいてはいけないと思い、とにかく走り出した。


「そっちではない、向こうだ」

ディートヘルムは、マルヴィナの姿が見えているかのように、今彼女が走り出した方向と逆を指さした。

「こっちだ! まわれ! 取り囲め!」

確かに、今マルヴィナが行こうとしたのは拠点があった方向で、また人がたくさん湧いてきた。

「グスタボ様!」

「かまわん、始末しろ。久々に手ごたえのありそうなやつがいるな、グッグッグ」

鳥仮面は姿を消したり現したりしているが、姿が見えるときは必ず周囲に警護の者がいるようだ。

すると、また周囲が光った。その直後に、爆風。

「今日は邪魔な仲間たちがいないようだな。手加減なしでやれる」

ディートヘルムは口の端で笑った。

「ちょ、ちょっと、わたしがいるのに……」

爆風で再び吹き飛ばされながらも、起き上がって走りだすマルヴィナ。マントがかなりの熱と衝撃を防いでくれているのは確かなようだ。

「グスタボ様! かなりの被害が出ています!」

「かまわん、手柄はおれのものだ。百人隊十隊を全て呼び寄せろ!」

そこから、黒装束の男たちがそれこそ黒山のように迫ってきた。

手に武器を持った男たちに加えて、ところどころローブを着た、魔法を使えそうな者も混じっている。

「おやおや、こんなところに古き友が」

ディートヘルムが何か棒状のものを拾い上げた。同じころ、走っているマルヴィナは自分の腰あたりにあった護身用の剣が無くなっているのに気づいた。だがもう今さら、このまま走り続けるしかない。

「ハハハ、こんなこともできる!」

ディートヘルムは剣を抜き、あたりを薙いだ。

うわーんという嫌な耳鳴りとともに、炎の衝撃波が瞬時に広がる。

「また!?」

しかし、マルヴィナは、衝撃が来る瞬間に体を丸めることで、爆風をだいぶ楽にやり過ごせるという要領が少し掴めてきた。

転がってすぐ立ち上がって走りだす。

「名付けて、死と炎の衝撃波、紫炎乱舞……」

くっと笑うディートヘルムと、ぴいんと震えて共鳴する剣。

ディートヘルムは、マルヴィナが逃げる方向へ歩んでいるだけのように見えるが、なぜか走っている彼女と速度があまり変わらない。

そこへ、どおんという轟音とともに、雷撃が飛んできた。

「ファイアシールド。ファイアシールドは雷撃を受け流し、拡散する」

ディートヘルムのまわりに炎の壁が具現化し、その言葉どおり、雷撃が分散してバチバチと周囲に広がった。

「うわあ!」

周囲で悲鳴が上がり、感電して動かなくなる者多数。

「待て! 雷撃はもう使うな!」

そこに、別の魔法使い。その手から火球が発生し、ディートヘルムへ向かって飛んでいく。

「はっ、我に火球とは」

鼻で笑ったように見えた。

火球はディートヘルムの眼前で止まり、それを、文字通り口を開いて飲み込んだ。そして吐き出す。

さらに巨大になった火球がその魔法使いへ返っていき、そこにいた数人を飲み込んだ。

すると、突然地面が割れた。ディートヘルムはその隙間に飲み込まれ、そして地面が閉じようと動く。

「ファイアブーツ。ファイアブーツは空を翔ける」

ディートヘルムの履いていたブーツの底から炎が噴き出し、体ごと大きく空へ跳ね上がると、少し先の地面にすとんと着地した。

閉じようとした地割れから体を現わした鳥仮面の男。

「このグスタボ様の攻撃を避けた?」

さらに歩むディートヘルムの前方。空から巨大な銀色の球体が飛んできて、ドスンと音を立てて転がった。それが金属音を軋ませながら展開し、ディートヘルムの三倍ほどの背丈に立ち上がった。

「え!? 何あれ!?」

マルヴィナも、変なものが落ちてきたので驚いて振り返った。いったん距離をとるために走って、また振り返る。

「ふっ。笑止、千万に値する。獄炎の剣士相手に鉄の人形など……」

これでどうだ、とディートヘルムが叫ぶとともに剣を頭上に掲げると、そのさらに上空に、小さな太陽のような火球が出現した。本人はそのまま鉄の巨人の横をすり抜けて歩いていく。

それでもかまわず、鉄巨人はディートヘルムを元気に追いかけるのだが、しばらくすると徐々に足が重くなってきた。その巨体全体が赤熱化しているのか、赤く変色しだした。

ついには、膝をつき、手をつき、そして弱い煙をあげながら溶けはじめた。同時に頭上の火球は徐々に小さくなる。

溶けてかたちが無くなった巨人の横を抜けて魔法を唱える者。

ディートヘルムの周囲に白く霧が発生し始め、地面も白く染まり出した。そして直後、広範囲に地面が青白く変化した。

「氷結か。悪くはないが、この程度ではわが歩みは止められまい」

ブーツを白く凍り付かせながらも、強引に引き剥がして歩き続けるディートヘルム。

「そろそろ終わりにしよう。少し飽きてきたぞ」

剣を二、三度振って鞘に納めたとたん、周囲に巨大な火柱が連続で発生した。そのたびに、そこにいた者たちが黒く炭化していく。

「ぐぬぬ、いや、しかし。必ずこやつのマナが切れる。必ずや……」

ディートヘルムから引き離されないように、地面に潜って火柱をやり過ごしながら様子を見ていた鳥仮面の男。警護の者の数もかなり減って、もはや数人だ。

すると突然、

「いい加減認めたらどうだ?」

グスタボの耳元で声がした。

「ひ? なんで?」

狼狽するグスタボ。

「格下の者よ。私はアセンデッドマスターだ。言っている意味がわかるかな?」

ディートヘルムが、地面に潜ろうと尻を向けている男を見下ろして立っていた。

「ひいー!」

鳥仮面の男は、必死に地面に潜った。

そして、あとさき考えずにひたすら逃げた。走って逃げ、潜って逃げた。

「ハッハッハ。帰っておまえたちの主人に伝えるがいい、戦っている相手が誰かをな」

高笑いを続けながら歩く男を、もう誰も追ってこなかった。

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