第25話 アーティファクト
老人が語り出した。
「この世界が存在する理由、それはな、神が作ったのだよ。人々が修行するためにな」
「でも、そうだとしたら、なぜ人は修行する必要があるの?」
老人はデザートに伸ばした手を止めて、マルヴィナを見据えた。
「それは、マナを貯めるためだ」
「マナ? 魔法を使うときに使うマナのこと?」
マルヴィナの問いに老人が頷く。
「でも、なんでマナを貯める必要があるの?」
老人はふたたび伸ばそうとした手を止めて、マルヴィナを鋭いまなざしで見据えた。
「それはな、マナが魔法などの現象を起こすエネルギー源になるだけでなく、魂を存続させるためのエネルギーそのものだからだよ」
マルヴィナが、よくわからないからもう少し詳しく説明してほしい、という視線を老人に投げかけた。
「この世界をフェノメナル界、そして、神々や魂が存在する世界をアストラル界と呼ぶのを君たちは知っているかね?」
「ええ、魔導書にそういったことが書いてあった気がするわ」
こんどはヨエルがデザートに手を伸ばす。その様子を見守る老人ラオ。
「君たちは、アストラル界から修行をするためにここフェノメナル界に来ているわけだが、君たちはそれぞれアストラル界にマナの貯蔵庫のようなものを持っている。もしこの貯蔵庫のマナが亡くなると、魂は消滅する。消滅しないために、全ての意識ある存在、つまり魂はマナを貯める。それは神々も同じだ」
「ふうむ」
マルヴィナとヨエルはそれを聞いて少し身震いした。
「でも、どうやって修行すればいいのかな?」
今度はヨエルが尋ねた。その隙に、マルヴィナがデザートに手を伸ばす。
「それはひとそれぞれだ。人は生まれる前に、アストラル界で自分の使命を決める。生まれたあとはアストラル界での記憶をいったん全て失くしてしまう。なので、自分自身をよく見つめ、魂の方向性を感じとり、そして使命を思い出す必要があるのだ」
そう語りながら、ラオの鋭い瞳はデザートの行く末を見つめた。
「でも、ほとんどの人は特に修行もしていないし、方向性が全く見つからないひともいるわ、ふぐっ」
マルヴィナは口にものが入ったまましゃべったので少しむせたようだ。むせつつももうひとつ取る。それを見て、ヨエルが二個同時に掴んだ。
老人の目がさらにクワっと鋭くなった。
「修行をしていないように見えても、ただ安穏と暮らすことを使命として生まれてくる者もいる。難しい使命ばかりではないのだ。さらには、最終的な使命の前に、いろいろなことを経由する場合もある」
マルヴィナがさらに手を伸ばした。それは、最後のひとつだった。
「君たちも生きていれば、必ずその、大事な、たったひとつの使命が見つかるはずだ」
最後のひとつがマルヴィナの口のなかに消え、
そしてラオがうなだれた。
パリザダが、ニワトリの足のかたちをしたクッキーを山盛り持ってきたことで、ラオの機嫌もよくなった。
「屍道の本がほしいなら、ほれ、その腰掛けてるの、そこから一冊持っていけばよい」
マルヴィナが慌てて立ち上がって見てみると、たしかに積んであるのは屍道書だった。
「これ、最新のやつ? やったあ!」
一冊抱えてもういちど座りなおすマルヴィナ。
「神は積極的に修行する者にはどんどん力を貸してくれる。わしも同じでな、挑戦する若者には何でも欲するものを贈りたいのだ」
「あのう、出来れば屍道士におすすめな装備なんかもあったらいいんですけど……」
「ふむ。屍道士か、なんかあったかのう」
そう言いながらクッキーを三個ほど詰め込む。
「おう」
何か思い出したようだ。ボトルに口を付けたあと、
「そういえば、パリザダは若いころ屍道士の修行をしていたはずだ。何かおすすめを知っているかもしれん」
そう言っているうちからパリザダが階段を上がって来た。
「これなんかはどうだろうねえ」
何の変哲もない灰色の鞄から取り出したのは、やはり何の変哲もない灰色のマントだった。
「おお! これは! 伝説の龍が守っていた秘宝……」
「あたしが子どものころに親がくれたんだよ。近くの質屋で見つけたって」
「確か、姑息なマントとか言ったな」
「違う、孤独のマント」
「そうそう、わしが言いたかったのはそれじゃ」
「ほら、着てごらん」
パリザダがマントをマルヴィナに手渡した。
「いや、そうじゃなくて、灰色の面を内側にするんだよ」
「うわ、マルヴィナがいなくなった!」
ヨエルがびっくりしたとおり、マルヴィナの姿が消えた。そして、マントのフードをさげたのか、顔だけが出てきた。
「へえ、こんなのがあるんだ。なんとなく着心地もいいね」
「これを着るとね、戦場で誰にも見つからなくなるんだよ。だから孤独のマントと呼ばれている。特に屍道士におすすめなんだけど、理由がわかるかい?」
「えっと、なんでだろう?」
「屍道士の呪文は、術者から効果が発して見えるものが少ないだろ? 例えば、炎の呪文を唱えれば、手から飛んでいったりするから、たいていは術者の位置もわかる」
うんうんとうなずくマルヴィナ。
「でも、ゾンビの召喚や苦痛の呪文は術者から何かが出てくるわけではない。つまり、屍道士がこのマントを着れば、どこから呪文を唱えているかがわからなくなるってことさ」
「なるほど、私、これ使ってみるよ! ありがとう!」
「消える必要がないときは灰色の面を外側に着ていればいいよ」
言われたとおりに裏返し、とてもうれしそうなマルヴィナ。それを横で見ていたヨエル、
「あのう、僕も何かほしいかな、なんて思ってたりして……」
頭をかきながら申し出た。
「おお、君も何かほしいか。しかし、何がよいかのう」
「ヨエルは気が弱いから、何か気が強くなる道具とかないかしら?」
「あたしが探してこようか」
数分も経たないうちにパリザダが戻って来た。
「これなんかどうだい?」
ふたつの黒い腕輪だ。どちらにも、赤い瞳のような模様がひとつ付いている。
「おお! これはたしか、怠惰のブレスレット!」
「違う、胆力のブレスレットだよ」
付けてごらん、とパリザダに言われて、ヨエルが両手首にそれらをはめた。
「そうそうそれ、わしが言いたかったのはそれだよ」
「これはね、身に着けているだけで運がよくなるブレスレット。そのうち自信がついてきて、勇気が湧いてくるって仕組みさ」
「へえ、よさそうだね」
そう言いながら両手首のブレスレットを眺めるヨエル。
「これはあたしが大人になってからもしばらく使ってたものさ。魔法使いとしての自信がついてからは必要なくなったがね」
「あはは! そんなデカい図体をしていて自信がない? こりゃおもしろい!」
ラオの言葉にパリザダが苦笑いしつつ頬をひくつかせた。
「この目の模様は何か意味があるのかな?」
「それは確かあれだな、地獄の目と言ってな、両方のブレスレットの目の部分を合わせてから強く念じると、地獄の門が開く、というやつだ。名前の由来も、地獄の門を開く胆力がおまえにはあるか、という意味も含まれているとかいないとか……」
へえそうなんだ、とヨエルがなにげに両手首のブレスレットに描かれた目の部分を合わせてみた。
「うわ! なんだこれ!」
何かが噴き出すような音とともに、ブレスレットの合わせ目から猛烈な黒い光があふれだした。
「腕を離すんだ!」
老人が叫んだ。強烈な臭気とともに黒い光と音が部屋を満たしていく。しかし、
「はっ!」
一瞬で光と音、そして臭いまでが消えた。パリザダが、渾身の気合いとともにヨエルの両手首を離していた。
「ふう。地獄の門はこちらから向こうに行くこともできるが、向こうから来ることもできる。わしらでも相手できんような、神クラスのもんが出てこられると……。目の部分はあまり合わせんことじゃな」
「はい、もう二度としません」
ヨエルはまだ青い顔をしていた。
「しかし、ふつうの素人がちょっとやそっと念じたところで開くもんでもないんだが。君はもしかして、特異体質かなにかか?」
さあ、わかりません、という表情のヨエル。
「じゃあ今回はこれぐらいでよいだろう。パリザダよ、彼らを送ってくれんかのう」
「あ! ひとつ聞き忘れていたわ」
何かを思い出したマルヴィナ。
「何かな?」
「究極の魔法アーティファクトというのがあると聞いたんだけど、もしよかったら見てみたいなー。というか、もしあれだったら貰っちゃったりとかしてもいいかなーって……」
「ふむ、すでに究極の魔法アーティファクトを知る者が現れたか」
老人は椅子から立ち上がり、そして座りなおした。
「それはおそらくフィロソフィースフィアのことじゃ」
「フィロソフィースフィア?」
「そうじゃ。それは、小さいものでこの建物ほどもあると聞く」
「この建物ほども? 小さいもので?」
どういうこと、とマルヴィナとヨエル。
「そう。そして、それはアーティファクトであり、かつクリーチャー。すなわち、生きておるのだ。生きて自分自身を守っている」
「どんな力があるの?」
「世界のあらゆる知識を持っている。世界のあらゆるアーティファクトを製造する知識も含めてだ」
「それはどこにいるの?」
「この大陸、いやこの惑星上にはいないかもしれん。しかし、神の意志に従い、時にひとに協力することもあるらしい」
すぐ貰えるものでもないことがわかり、マルヴィナは少しがっかりした表情だったが、とりあえず本やマントは貰えた。
偉大なる魔法使いのラオにお礼を言って、別れを告げた。
そして階段を降りる途中、
何かもうひとつ重要なことがあった気がしたが、けっきょく思い出せなかった。
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