第286話 魔族襲来と救済の祈り
それは不意に訪れた終末だった。
逢魔時、天は暗黒の雲に覆われた。
不吉な雷鳴が轟き、バンシーが鳴き、慟哭のような赤い雨が降った。
海の向こうから、魔族に率いられた魔物の軍勢がやって来た。
魔王の封印が解かれそうになっている。
各国の王族は自国を守らんと奮戦する。
グランジェルドの王も、結界師たる神官に国を守る為の結界維持に力を注げと命を下した。
私も王命で大神殿へ呼ばれたので、転移陣で駆けつけた。
霊獣は外で戦う自分の護衛騎士に貸した。
国の上空に神聖大結界の魔法陣が光る。
この魔法陣を作り出したのは、聖下と、私だ。
私は魔物を退ける為に、人命を守る為に、広い国土のほとんどを覆う、大結界をはった。
端っこまでは無理だったので、人々は結界内に避難した。
しかし元から国の中にいた魔物達は結界の聖なる力で弱体化しつつも、人を襲うので、騎士や冒険者達が懸命に戦っていた。
巨大な魔法陣結界を維持するのには私と聖下のみでは流石にきつかった。
補助に国の結界師達が力を貸してくれている。
この大結界の光の魔法陣は妖精の悪戯でギルバートと体の入れ替わりの時、王城の持ち出し禁止の書庫で見つけた古く貴重な本に載っていた。
ギルバートは結界外で魔物と戦って数を減らす為に騎士達と奮戦している。
邪悪な魔物では無い、人間は結界の中と外を行き来できる。
魔法師が水晶玉で映し出した離れた所にいる王族の状況を、リアルタイムでスクリーンに映して見せてくれている。
今は海で暴れているシーサーペントを倒すべく、兄のロルフ殿下と一緒に戦っている。
シーサーペントは放置すると津波を起こすと言われているので、見過ごせない。
ギルバートの風魔法とロルフ殿下の雷がシーサーペントを撃つ。
響くシーサーペントの断末魔。
そして世界の至る所に空を飛ぶ巨大なエイに似た魔族が出現し、人々の生気、生命エネルギーを吸い上げ、命を奪って行った。
魔物は無理矢理結界内に入ろうと魔法の壁に衝突している。
「第13結界師、魔力枯渇! お倒れになりました!」
「第12結界師、お倒れになりました!」
「第11、第10、第9結界師、魔力枯渇! お倒れになりました!」
結界師達も、結界維持の為、命懸けで精一杯ワンドに魔力を注いでいる。
無常にも大神殿に結界師が力尽きて倒れる報告が響く。
まるで終末へのカウントダウンのように。
けれど、私も聖下もそうだ、諦めずに、あらん限りの命の炎を燃やして魔力を結界に注いでいる。
「物見の魔法師より伝令! 隣国の結界が壊れ、王都陥落の知らせです!
上空のエイのような魔族に人間の生命力が吸われていっております!」
人々の嘆き、絶望、苦痛、生命エネルギーを糧に、魔物が勢力を増していく。
グギャオオオオオオ!!
「ドラゴンの咆哮!!」
「新たな邪竜出現!!」
なんですって!? ドラゴンまで!!
ややしてさらなる不安を煽る報告が来た。
「ライリー辺境伯夫妻、出陣されました!」
「待って! お父様どころか、何故お母様まで!?」
私は結界を維持しつつも伝令役をしている巫女に問うた。
「邪竜の灼熱のドラゴンブレスから、夫の辺境伯を冷却魔法で守るのだという事らしいです!」
「お、弟は、ウィルバートは!?」
「辺境伯令息は冒険者と騎士と乳母に預けて守らせてるそうです!」
最悪、弟が残れば領地はどうにかなるという考えでお母様まで戦場へ!?
何という事……。
王と王妃も宝珠や聖杯の力を使って結界維持に奮戦している。
臣下も、皆、命がけだった。
「第8結界師、お倒れになりました!」
「第7結界師、お倒れになりました!」
「カハッ」
──吐血した。
ついに、私も限界みたいだった。
結界師は皆、血を吐いて死んだ。
私ももうすぐ死ぬかもしれない。
今、私も血を吐いた。
息が上がる。
胸が苦しい。
身体中が軋むように痛い。
限界まで魔力を放出しているせいで、全細胞が悲鳴を上げているみたい。
「ここ……まで……か」
「無念……」
側にいた残りの結界師達が次々に倒れる音がした。
人々が嘆き、啜り泣く声が聞こえる。
「だ、駄目です! 結界師、全て、魔力枯渇!!」
「残るは聖下とライリー辺境伯令嬢のみです!」
……う、私も……目が、霞んで来た……。
ふいに、バタバタと、人が駆け寄ってくる音が聞こえた。
けれど、気にしてる余裕はもう無い。
「どうか……神様、愛する皆の命と、この地をお護りください……」
「もういい、セレスティアナ! 十分だ、これ以上は、魔力枯渇で死んでしまう!」
……え? ギルバートの声だ。
いつの間に、結界内に戻って来たの?
──ああ、さっきの靴音……。
でも、最後に、声が聞けて、良かった、目はもうほぼ見えないけど。
人は死ぬ時、最後まで機能しているのが、聴覚だって聞いた事がある。
「もうやめろって言っているだろう!!」
悲鳴のような声をあげて、私を止めようとしている。
「家族を、国を、領民を、お願い……します……」
「バカ! 何を言っているんだ! 今すぐ魔力放出をやめろ!」
「最終秘術……」
「え!?」
「セレスティアナ嬢! いけない! その呪文は!」
聖下の静止の声が聞こえたけど、私はもう覚悟を決めた。
この命、天にお返しいたします……。
『ファイス・サドーズ・クシープ・リ・アトラ・ディアス!!』
大結界から眩い光りの柱が伸びて、大地に白い柱が立った。
そして、国を覆う暗雲と、魔物達が光に包まれて消失していく。
夜が昼に反転したかのような明るい光が満ちた。
私が使ったのは、術者の命と引き換えに、愛する者達を守る呪文だった。
* * * *
〜(ギルバート視点)〜
「魔物の軍勢! 光の中で消失しました!」
「た、助かったのか、我々は生き延びた!」
巫女と下級神官は驚き、生き延びた事を、歓喜した。
神殿の外でも恐怖に震えていた民衆が助かったと歓声をあげた。
その喜びの裏で、俺は今、目の前が真っ暗で、絶望に落ちている。
「最終秘術……使ってしまったのか、セレスティアナ嬢……」
「聖下、辺境伯令嬢は聖女だったのですか!? 世界が、人が皆、滅ぶ前に……助かりました」
「聖女を超えた力を、女神の権能を感じた」
ダメだ、耐えられない! 諦めきれない!
「セレスティアナ! 俺を置いて行くな!」
「ギルバート様、我が君の脈、心音、共に……ありません」
「たとえ其方の犠牲で世界が救われても、其方のいない世界で俺に生きろと言うのか!?
セレスティアナ!!」
セレスティアナの華奢な肩を揺さぶるも、返事はもう無い。
「「ティア!!」」
「辺境伯夫妻、到着されました!」
赤黒い血に染まった状態で、辺境伯夫妻は大神殿に到着した。
辺境伯の服はぼろぼろぼろになっているし、あちこち包帯も巻かれた状態で、またも邪竜と死闘を繰り拡げたのだと推測される。
そして、最愛の娘はもはや静かに目を閉じて、俺の膝の上で横たわっていた。
「嘘だろう? ティア、返事を、してくれ……お願いだ……」
「私の可愛いティア、目を、目を開けてちょうだい……」
「俺と、結婚してくれるんじゃ無かったのか?
目を開けくれ、いつものように、あの美しい新緑の瞳で、俺を……見てくれ」
『ギルバート! まだ、きっと間に合う!
蝋燭の炎が消えるように、ティアの命の灯火は消えてしまったけれど、僕が今までティアの側で集めた魔力を生命力に変えて、返すから! 今、この時の、この為に僕はいるんだ!』
「え? リナルド!?」
いつの間にか妖精のリナルドが目の前に来ていた。
『飛び去ったティアの魂が完全に取り戻せない領域に行く前に、取り戻すんだ!
僕が幽界への道を開く、ティアの魂が霊界に行く前に見つけて連れて帰って!
そこで懐かしい人に会って誘われても、何も食べたり飲んだりしないで!』
「わ、分かった! セレスティアナを救えるなら、あの世でもどこにでも行く!」
『白フクロウの羽がティアの魂の元まで導いてくれる。
ティアが歩けない、力が入らないとか言い出したら、担いででも、戻ってくるんだ!
青い道に入ったら決して後ろを振り返らずに進む! いいね!?』
「分かった!」
『ティアの隣に寝て、彼女の手を繋いで、目を閉じて』
言われるままに、俺はセレスティアナの隣で横になって手を繋いで、目を閉じた。
「ギルバート様、娘を、宜しく……お願いします」
「お願い……いたします……」
「はい」
辺境伯夫妻の震える声に、俺ははっきりと応えた。
セレスティアナ、彼女の存在が今までどれだけ俺の心を満たしていたか……思い知る。
失えば、心の壁に穴が穿たれ、空っぽになりそうなくらい。
決して、このまま終われない。
「ギルバート様、幸運を。きっとセレスティアナ様と無事にお戻りを」
部下の声だ。
「ああ、必ず」
『アストラルゲート』
リナルドの声が聞こえた後に、ふわりと魂が体から抜け出るような浮遊感があった。
暗闇の中に、白い羽が見えた、明るい光がある方に、俺を導いてくれるようだ。
あの羽根について行こう。
そこが、黄泉の世界でも……。
愛する彼女を迎えに行くんだ。
* *
白く丸い光の扉をくぐり抜けると、草原があった。
その先には花畑があった。
天国のように美しい場所だった。
白い羽に導かれ、俺はセレスティアナを探した。
いつかどこかで見たような顔の人間が、桃のような果物をくれようとしたが、俺は人を探して急いでいるからと、受け取りを拒否した。
亡くなった母が川向こうに立っていた。
懐かしい姿に涙が出た。
俺に向かって手を振っている。
おいで、とは言っていない。
俺は母さんに頭を下げて、白い羽をひたすら追った。
走った。ひたすら走った。
いつしか深い森の中に入った。
景色が紫色だ。
亡霊のような白い影達とすれ違う。
しばらく進むと滝の音が聞こえた。
川の側の岩はふっくらした苔に覆われていた。
滝の流れる川の側の岩に、セレスティアナが座っているのを見つけた!
ついに見つけた!!
「セレスティアナ!!」
「ギルバート……」
「迎えに来たぞ!」
「こんな、所にまで……あなたって人は……」
「文句は生者の世界に帰ってから聞く!」
俺はセレスティアナの手を引いて立たせた。
しばらく彼女の手をひいて紫色の森の中を歩いていたが、
「もう、足に力が入りません、私をここに置いて行って下さい」
そんな事を言い出した。
「嫌だ」
俺はそう断ってセレスティアナを肩に担いだ。
何故かずしりと重い。
彼女はもっと軽かったはずだ。
俺の体の上に布団の代わりのように乗って来た時より、明らかに重い。
しかし、女性に重くなったと思うなど、失礼だ。
そして今は本来魂だけの存在だ。重いはずが無い。
きっと場所のせいだろう。
この場所が俺の心を折ろうとしている。
負けるものか。
「前に、急に劇のシナリオ変更しろと言われた時だったか……私の言うこと、聞いてくれるって言いましたよね? ここに、置いて行って下さい」
随分昔の話をよく覚えていたな。
だが、何でも聞くとは言ってない。
「俺に出来る事ならと条件をつけたはずだ。
其方を見捨てる事は、俺にとっては無理な事だ」
「ここに……長くいたらギルバートまで戻れなくなります。
私はもう、死んだんです。諦めて一人で帰って下さい」
「よく聞け。其方こそ諦めろ、俺は折れない」
「ギルバートの……頑固者……」
「俺はハッピーエンドしか許さないと言っているだろう」
オオオオオオ………
滝の裏から青白いゴーストが追って来た!
俺は腰に有るミスリルの剣でゴーストを追い払いつつ、出口に急いだ。
森を進んでいたはずが、景色が急に変わった。
岩だらけの暗い坂道のようだ。
通路は青い。
身体がすごく重くなった。
命の力を周囲に吸われているかのようだった。
青い道に入ったら、決して振り返る事なく進め。
そう言ったリナルドの忠告を思い出した。
「お兄さん、一緒にお茶しませんか?」
「お疲れでしょう? ここで休んで行きなさい、一緒にお食事をしましょう」
急に出て来た亡者の女が俺に声をかけてくる。
悪いが急いでいる。
俺は無視して白い羽を追う。おそらく出口へも導いてくれると直感する。
「止まりなさいよう……」
亡者の女が恨めしげにそう言って俺の足を掴んで来ようとくる、俺はセレスティアナを担いだまま走った。
「ねえ、美しい王子様、その女を置いて、代わりに私を連れて行って下さいまし」
今度は長い黒髪の、美しい女が目の前に立ちはだかった。
肌は青白い。
「邪魔だ、どけ」
「……いつか見た、あちらの世界の昔の……黄泉の世界のお話の中のようだわ……。
なんだか、凄く……眠く……なって来た」
俺に担がれたままのセレスティアがポツリと言った。
肩に担いだセレスティアナの顔は後ろにあるから、俺には今、見えない。
とても不安になって、俺は焦って言った。
「寝るな! 何でも良いから話をしてくれ! まだ謝らないといけない事がある!
結婚式の後に、前回置いて行った場所に、連れて行ってやるから!」
「……やっぱり……なんかコソコソしてると思ったら、どこかに行って……私を置いて行ったんですね……」
「悪かった! 今度は連れて行くから! 綺麗な鳥のいる森! 見たいだろう!?」
「ちょっと、おまえ達、ワタシを、無視するんじゃないわよ……」
恨みがましい目で、知らん女が睨んで来る。
「女、そこをどけ、道を塞ぐな」
「……ギルバート、もう、いいので……私を置いて行って……」
「駄目だ! セレスティアナは連れて帰る!
新婚旅行では美しい島やオークションにも行くんだろう!?
乙女ゲームのカフェも! 其方がいないと始まらないぞ!」
「う……」
セレスティアナが痛い所をつかれたというかのように、小さく呻いた。
俺は鉛のように重くなった身体に鞭を打つようにして、謎の女の横をすり抜けて走った。
「逃すな! 追いなさい!」
謎の女が叫ぶと、幽魂が邪魔しに飛んで来た。
「邪魔を、するな!」
俺は叫んで、襲いくる幽魂を剣気で吹き飛ばし、追い縋ってくる亡者達をミスリルの剣を片手で振り回して追い払う。
「インベントリ……これでも……くらえ」
霊体でもインベントリは使えるのか、セレスティアナは俺の肩に担がれたまま、力無く悪態をついて、何かを取り出し、投げたようだ。
そして何かにぶつかる音と、地面に何かが落ちて転がる音が聞こえた。
俺は後ろを振り返る事が出来ないから、ひたすら前に進む。
ただ、桃の……香りがした。
その後、亡者達が追って来る気配が消え、前方に明るい光の扉が見えた!
俺はセレスティアナを担いで出口に辿りついた!
既に足はガクガクとくず折れそうだったが、ついに!
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