第160話 日傘とソルベ

「ティア。泣いてばかりではいけない。

家令はずいぶん長い間頑張ってくれたのだから、隠居するその時が来たら、笑って送り出してやらないと」


 夏の朝の執務室。

 人払い中なので、そこにいるのは両親と私の3人だけだった。


「お父様の言う通りですよ、ティア。今生の別れでも無いのだし。

コーエンは先代の辺境伯の命日にはお墓参りに行っているようだから、その日にお参りに行けば会えるでしょうし」


「私、そう言えば、今まで先代のお墓参りに連れて行って貰った事が無いのですが」


「それは、私のせいだ。

ティアは幼い頃、邪竜の呪いで死にかけたから、死の気配のする場所から遠ざけておきたかった」


「そうだったのですか。でもいつか、連れて行って下さい。

この地を守る為に死力を尽くして戦った先代様にお花と歌を捧げたいと思います」


「ああ、10歳になれば専属の護衛騎士も選ぶから、その後なら」


「とりあえず、自分の蒔いた色んな種も育っているでしょうし、収穫の事も考えて、元気を出して。

落ち込んでいる暇は無いでしょう?」


「はい。……お米と瓢箪の畑の様子を見に行ってもよろしいですか?」

「ああ、ずっと待ち望んでいた植物が育っている様子を見れば元気になるだろう。

7日後くらいに行きなさい。アシェルに同行を頼んでおく」


「瓢箪の方は例の子爵令嬢の元庭師が頻繁に様子を見てくれているから、そちらに先触れを出しておくわね」

「はい、ありがとうございます。お父様、お母様」


 やはり、変わらないものは無いのだと。

 しんみりと時の流れを感じる……。


「ところで冷蔵庫が欲しいと言う問い合わせが、ギルバート殿下の所とシエンナ様の公爵家からも来ているのだが」


「ああ……そうなりますか。ではやはりあれも商業ギルドに登録して商品にしてしまいましょう。

その後、複数の工房と契約して下さい」


「分かった、書類を作っておく」

「お願いします」


 *


 工房でアシェルさんが持って来てくれたアラクネーの白い糸を確認。

 うん。

 数本集めて編んでみるといい弾力のあるゴムっぽくなる。

 これでドールの関節部分に使えそう。


 後は、殿下に貰った獅子の魔物の鬣。

 これ、クリーム色なんだけど、全部同じ色だとなんだし、聖水に浸けてから、染料で染めてみよう。

 念の為にその色のまま使う分も浄化の為に聖水に浸けよう。


 容器の中に、毛束の先を縛った毛を入れて、しばし聖水に浸す。

 それを祭壇前に置くように執事に運んで貰う。


 この後は赤い生地で作るドレスのデザインとお父様の礼服のデザイン。

 ついでに墓参り用の黒い服のデザインラフも描いておこうかな……。


 ……ちょっと気分転換しないとインスピレーションが働かないな。


 *


 デザインは一旦置いといて、蝋燭に絵付け。

 でもこれはゴスペルとか聴きながらやりたいな。

 作業用BGMが欲しい。


 クリスタル持って行って教会か神殿で巫女達が歌を歌っている様子を撮影可能かしら?

 王都の教会で聴けるかな?歌なら外にいても聴こえて来るかも。


 ラナンを連れて王都に行こうと思い立った。

 その前にお父様のいる執務室へ許可を貰いに行く。


「作業効率を上げたいので、ちょっと王都の教会に行って来ます」

「え!? 急に!? 護衛騎士はちゃんと付けるんだぞ。最低3人!」

「分かりました。ラナンがいるので、あと二人借りて行きます」


 *


 ジャンケンの結果、ヴォルニーとナリオを伴い、魔道具で茶色のアリアカラーにして、アイスブルーのピンタックワンピースを着て出発。


 お忍びゆえ、ラナンも町娘のようなワンピースである。

 騎士達も冒険者風コーデ。

 


 教会に到着した。


 近くにいる信者っぽい人に歌が聴けるのはいつ頃か聞いてみた。

 午後の2の鐘の鳴る頃らしい。午後2時くらい。

 教会には巨大な砂時計が置いて有る。

 あの砂の量で大体の時間を測っているらしい。


 今は午前11時くらいだから……そうだ、ライリーだけでは無く、王都のギルドにも樹液の依頼を出そう。


「ギルドで樹液採取の依頼を出して、それからどこかでお昼ご飯を食べて時間を潰して来た方がいいみたい」

「はい。我が君。移動は徒歩ですか?」

「あ、言葉使い! 私はここではラナンの妹のアリアって設定よ。

敬語はやめてね。乗り合い馬車に乗って、ギルドに行って、その後、屋台でも見に行こう」


 そう言ってラナンのスカートの裾を掴む。


「は……いえ、ええ。分かったわ」


 珍しくちょっと焦ってるラナンが可愛い。


 乗り合い馬車に乗ってギルド付近に到着。


「うっかりしてたけど、ギルドに行くとはお父……さんに言って無かったの。

中に入ったと言うと、危ないだろうと怒られそうだから、近くで待ってる。

誰か代わりに行って来てくれる?」


「私が代わりに行きま……行くよ」


 私の代わりに行ってくれるヴォルニーにメモを渡し、依頼を出して貰う。


 ナリオとラナンと一緒に外で待機してると……


「よう、ねーちゃん、可愛い顔してるな。俺と一緒に食事でもどうだい?」


 ラナンが早速ナンパされた!

 二人連れのガラの悪い男達が目の前に立ち塞がる。


「いいえ、お断りよ。連れを待っているから」

「おお? そこの小さい子もえらく可愛い顔してんな?」

「私の妹に近寄らないで」

「俺の連れに絡むな」


 ラナンとナリオがチンピラを睨む。

 ──いけない。

 ライリーの若手騎士の中でも、ナリオは一番可愛い系の顔だった。

 市井に馴染みそうな柔らかい雰囲気の騎士より睨みを効かせるのに向いたローウェかヘルムートにすれば良かったかな?

 でもそっちは悪目立ちしそうなのよね。

 どの道ジャンケンの結果だけど!


「おい、下がれ下郎。ぶっ飛ばされたいのか?」


 え!? 聞き覚えの有るこの声は!

 勢いよく振り返ると、やはりギルバート殿下だ!

 ガイ君カラーで何故ここに!?


「ああん? なんだあ? この坊主。やる気か?」

「どっかのボンボンか? 良い服着てるな」

「その娘に指一本でも触れたら地獄を見せるぞ」

「はあっ!?」


 渾身のはあ!? が出たけど、いつの間にかチンピラの背後に回った殿下の護衛が手刀で奴らの首の後ろを強打して気絶させてしまった。


「邪魔だから道の端っこに捨てておけ」

「はい」

「が……ガイ君? どうしてここに?」

「えーと、買い物? そっちは?」


 えーとって、今考えたの丸出しなんだけど!?


「ギルドに素材依頼と、買い食いと、教会の歌を聞きに」

「か、買い食いと歌って?」

「別にいいでしょ」

「それはそうだが……。まあ、いい。さっきのように物騒なので、同行して守ってやる」

「……一緒にいたら、あなた達、凄く目立つんだけど」


 冒険者風に変装しててもイケメンの護衛騎士を5人も連れてるし。


「その言葉、そっくり返すぞ」


 ぐぬ……。


「お待たせ。依頼はして来……え!?」


 ギルド施設から出て来たヴォルニーが殿下を見て驚く。


「またこんなキラキラした金髪の美形を連れておいて、そっちもどうせ目立つじゃないか」

「レザークのような銀髪よりは珍しく無いかと」

「あの蛇を倒した黒髪の男は?」


 ローウェの事ね。


「ジャンケンに負けて留守番……」

「ああ。……ん? なんか今日はイマイチ元気が無い気がするな? 何かあったのか?」


 殿下は目ざとく私の些細な雰囲気の変化を見破ったようだ。


「うちの……おじいちゃんが隠居するって、私の10歳の誕生日を見届けたら、うち……を出ていくの」


 私はお忍び中ゆえ、城だの家令だとか言う言葉を使わないように喋っている。


「爺さんが家を出てどこに行くんだ?」

「……娘夫婦が家で面倒見てくれるんだって」

「娘と暮らせるなら本人は喜んでいるんじゃないか?」


「……そうだろうけど、私……寂しい……」

「そうか……気晴らしに買い物にでも行くか? 財布になってやってもいいぞ?」

「……ふっ。おかしな励まし方」


 財布になってもいいだなんて。つい、少し笑ってしまった。

 そんな言葉で、不器用に気を使ってくれている。

 殿下は優しい人だ。


 黒髪赤い目に変装してる殿下が、一瞬、周囲を見渡した後で雑貨屋に目を止めた。


「……それにしても暑いな。そうだ、あの雑貨屋に入ろう」


 私の手を掴んで、日陰を求めるように、近くにある雑貨屋に入った。

 前世の日本と違い、湿気が無いから、日陰に入るだけで、だいぶん涼しかった。


「そこの日傘を好きなのを2本、いや、3本選べ」

「え?」

「女は太陽の光に焼けるのが嫌で日焼け止めとか使うんだろう?

じゃあ日傘も使えばいい。買ってやるから、母と、その……姉? の分も選べばいい」

 

 殿下は本日、偽装姉役のラナンの方をチラっと見て言った。


 窓際を見ると白くて綺麗なレースの日傘が複数有る。

 微妙にデザインも違うみたいだ。

 でも、こっちにも魔物退治の報奨金もあるのに……


「綺麗なレースの日傘……でも臨時収入もあるし、自分で買えるけど」

「プレゼントだ。綺麗なレースが好きなんだろう?

お返しなんか考えなくていい」


「……選んで差し上げれば良いのでは?」


 エイデンさんが殿下の耳元でこそっと囁く。聞こえてるけど。


「じゃあ……、これと……これと……これ」


 結局エイデンさんの言う通り、殿下が日傘を自分で3本選んで店主の元に持って行き、精算までした。

 それを私はぼ──っと見守ってしまった。


「ほら、受け取れ」

「あ、ありがとう……」

「大丈夫か? 暑さでぼーーっとして無いか? どこかでカフェにでも行って飲み物を」


 屋台に行くつもりだったけど、確かに夏だし、暑い……。

 思えば何故私は夏の暑い時間に街に出ようなどと……。


 ──ああ、歌だ……歌を聞きたくて……ここにはCDもDVDも動画配信サイトも無いし。


「ほら、日傘を差して」


 今日の殿下はまるで世話焼きの兄のように、私を促す。傘を広げ、代わりに持ってくれる。

 ──なので、日傘の……相合い傘みたいになってる。


 夏の太陽はギラギラしている。

 白く美しいレースの日傘がギラついた陽光を遮ってくれる。


 しばらく歩いてカフェに到着したので、当然日傘は畳んだ。


「レモン水とソルベを人数分、頼む」


 殿下は給仕に注文をしつつ、しれっと私の隣に座った。

 横に長いソファだし、まあいいけど。


 しばらくして、給仕が運んで来たのは氷菓子だ。

 果実水を凍らせて細かく削ったもの。

 そんな洒落た物が出てくるとは、流石王都。


「……冷たくて美味しい……」

「そうか。良かった」


 殿下は優しく微笑んで、軽食も追加で頼んでくれた。


 目が……少しずつ覚めて行くようだった。


「昨夜アリアは泣いていたから、あまり寝ていなかったでしょう」


 う。ラナン、それは言わないでいい情報よ。


「な、泣くほど寂しかったのか」


 殿下がよしよしと、頭を撫でてくれた。


「体調があまり良くないみたいだから、買い物は今度にしよう」


 私は暑かったし、素直に頷いた。


 軽く軽食を食べた。

 スープと目玉焼きとウインナーと硬いパン。

 ストレス解消とばかりに硬いパンに齧り付いていたら、

「それはスープに浸して柔らかくして食べるんだよ」と、店の人に言われた。


 齧りたいからわざとなんだけど、一応頷いておいた。

 レモン水をグッと飲み干す。

 

 *


 カフェを出た後、殿下が乗って来たらしい馬に乗って、教会に向かうと言われた。

 ラナン達は店からレンタル馬屋から馬を借りるらしい。


 教会までは近くにレンタル馬屋さんみたいなのがあったのだ。

 教会の馬番さんに頼めば馬屋に返しておいてくれるらしい。

 レンタルサイクルみたい。


 ──それは良いけど、手を差し出された。


「え? 私がギ……いえ、ガイ君と馬に乗るの?」

「俺だって、女の子と一緒に馬に乗るくらい出来るから、心配するな」


 ……でも、よりによってこんな夏に。


「ちょっと化粧室に!」

「あ、ああ。行ってくると良い」


 私はおトイレでインベントリからタオルを取り出し、それを濡らして急いで体を拭いた。

 馬に同乗するなら密着してしまう!!

 汗の匂いとかさせたくないし!


 ついでに柑橘系の香水を手首ではなく膝裏にかけた。

 香りは下から上に立ち登るから。

 


 馬を連れた殿下達の元へ戻った。


 ──思えば殿下と馬で相乗りは初めてかも。いつも大人の人と乗っていたし。

 とても近いから恥ずかしい……。


 ふと、肌を優しく撫でる不思議な風を感じた。


「……何かガイ君の周囲に、微風が吹いてる?」

「最近魔力が増えたせいか、俺の風の精霊が暑さから守ってくれるようになった」


「魔物を倒して力を増したのかな?」

「そうかもしれんな」


 ──私は殿下の手前で横座りのまま、やや顔を上げ、殿下の方を見れば……黒髪を微風が揺らしていた。


 顔は少し赤い。

 これは暑さのせいだけでは無いのかもしれない……。


 教会に着いたら騎士達がレンタルの馬を馬番に預けに行ってくれた。

 ラナンと殿下は私のそばにいる。

 ──じきに歌が聞ける。

 今日の目的。


 教会の椅子に腰掛けてクリスタルを膝の上に置くと殿下が問うて来た。


「記録して自分の歌は聞かないのか?」

「自分の歌をわざわざ聴くなんて、恥ずかしいでしょ」

「綺麗な声なのに」

「それは関係ないので」


 ややして、教会に信者が集まり、ピアノの代わりに学士のハープ演奏と共に、歌い始めた。


 厳かな雰囲気の歌が心地良い。

 優しい雨を身体に受けているようだった。

 

 *


 ──転移陣前。


 帰り際に殿下がインベントリから本とぬいぐるみを出した。


「これをやる」

「本はともかく、この猫ちゃんのぬいぐるみはどうしたの?」

「街に出た時、セ……君に似てたから買った」

「……ありがとう」


 私の気が紛れるように、本をくれて、寂しい時はぬいぐるみを抱っこしろと言う事だと解釈した。


 私はぬいぐるみを抱きしめた。


 柔らかい抱き心地の猫ちゃんのぬいぐるみの瞳は……


 本来の私と同じ、緑色をしていた。

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