第109話 輝ける夏の追憶
昨夜は気を張っていて、あまり眠れなかった。
そのせいで朝から弟のウィルに本の読み聞かせをした後、ベッドの上であやしていたら、窓から入る早春の陽射しに安堵を覚え、そのまま寝落ちしてしまった。
目が覚めたら、乳母がもうお昼だと教えてくれたので、食堂へ向かった。
寝起きであまり食欲が無かったので、軽くパンとスープだけを食べた。
部屋に戻ったら、メイドのアリーシャから騎士が取りに行ってくれた固めて使う樹液を受け取った。
良かった。
これで祭壇用の絵の為の作業を開始できる。
色付けをして、薄く伸ばす……寒い冬の日の、水溜りに張る氷のように。
固めてからステンドグラスのように使う。
切って貼るのだ。
固めるのに時間が多少かかるので、しばらく放置。
* *
作業を一旦やめて休憩中、私は自室にてお茶を飲んでいた。
「え? 殿下が部屋に室内用の靴を忘れて行かれたの?」
……慌ただしく帰ったシンデレラみたいね。
アリーシャの報告を聞いて私は閃いた。
「はい、お嬢様、どうしましょう。すぐに洗って届けるべきでしょうか?」
「せっかくだから大きさを知りたいわ、型を取ります」
「靴でも贈るのですか?」
「ええ、まだ黒い大蛇の皮が余ってるからちょうどいいと思うの」
「他の男性から贈られた素材ですが、良いのですか?」
「うちの騎士のくれた獲物だから、良いのでは?」
「それも……そうですね、別に恋仲でもありませんし。失礼致しました」
紙に型を取ってから、職人に渡して靴を作って貰う。
さて、デザインはどうしよう。
殿下は青系の服が多い気がするから黒に群青を混ぜたデザインのブーツにしようかな。
誕生日にまた何か貰ったら、お返しが必要だもの。
あ、でも殿下の誕生日って、聞いた話だと夏だったわね。
だとするとサンダルの方がいいかな。
うーん、とりあえず二種類デザイン画を描いておこう。
* * * *
[〜ギルバート殿下視点〜]
ライリーの城から王城に戻った。
サロンにて茶を飲んで待っていた、陛下達へ報告の時間だ。
「お帰りなさい、ギル! お土産はケーキかしら!?」
「帰るなり、お土産だのケーキだのって姉上……確かに苺と生クリームのケーキですけど」
「やったわ!!」
俺は請われるまま、広げた布の魔法陣と繋がる亜空間収納から箱を取り出す。
渡した箱入りケーキを姉上はしっかりと抱えた。
「陛下、兄上、結局侯爵令嬢の誕生パーティーへは行けませんでした。申し訳ありません」
「いや、ギルバート。我が息子よ、其方が無事で良かった」
「いや、本当に、本来ならギルではなく私が災難に遭う所だった」
陛下と兄上の言葉に嘘は無いとは思うが、結局兄上からの指示に従っていないので居心地が悪い。
「大変だったわね、ギルバート。それにしてもセレスティアナ嬢は占いも出来たのね」
「慌てて作った占いのくじなので、普段からやっている訳では無いようです」
子を三人産んで、今なお美しい王妃の言葉に、俺は姿勢を正し、正直に答える。
「よりによって占い結果が【死神】とはな。騎士のセスから報告を聞いて、寒気がしたぞ」
「アンデッドが敵だったなら凄い占い精度じゃない、見た目もまんまだわ」
「まあ、それはたまたまでしょうが」
確かに、アンデッドなら不吉な死神と姿が重なり過ぎていると俺も思うが。
「ところで、シエンナ。ケーキの箱を1人で抱えて何をしているの?
侍女に渡して切り分けて貰う所でしょう?」
「う、お母様……。はい……」
「光属性持ちの令嬢の作った菓子ならば、邪気祓いになるかもしれんな」
「いい事をおっしゃいますね、流石は父上です」
兄上も陛下も不吉な知らせを払拭したいのか、今すぐにケーキを食べたいようだ。
姉上が観念して渋々お土産の箱を侍女に渡した。
「ところで、セレスティアナ嬢のお誕生日プレゼントは何にするかもう決めたの?」
「好きな色は分かりましたが、あまり高い物だとお返しに困るらしいですね」
「美しい女は、ただ貢がれていれば良いのに」
「まあ、姉上はそう考えるでしょうが、かの令嬢は気にする性分なので」
「それで、どんな色が好きなの?」
「宝石で言うならパライバトルマリンのような、青と緑が混ざったような色ですね。
透明感もある物が好みらしく」
「天才と名が高いメアトン工房の錬金術師が透明感の有る美しい色グラスを作れるぞ。
先日婚約者のエレノア嬢に贈ったら喜ばれた」
ああ、どこかで聞いた名だな。
「色の付いたグラスですか、ライリーでもマツバサイダーを飲ませて貰った時、グラスを使いましたし、色付きが増えても良いかもしれません」
「……ギル、マツバサイダーって?」
姉上の目が鋭く煌めいていた。
いかんな。
うっかり甘味情報を漏らしてしまった。
「ええと、マツバの葉がどうとか」
「マツバ? それはどこに有るの?」
「ライリーの裏庭に一本有りますが、そもそもあれは、とある商会から小さな鉢植えを購入して育てた物だったかと」
「その商会を教えて。仕入れるわ」
「あそこまで大きく育てるのには魔法がいるのかもしれません。尋常じゃない速度で育っていました」
「茶葉みたいに葉だけでも買えば良いのでは無いの?」
「さあ、詳しくは聞いて無いので存じ上げません」
「何故聞かないのよ」
「物珍しさとサイダーの美味しさで、その、つい、ぼーっとしてしまいました」
「んもう! 肝心な所で使えない弟ね!」
えらい言われようである。
儚く弾ける水の泡と、目の前にいた愛らしいセレスティアナに、ぼーっとしてしまったのだ、仕方あるまい。
「今度聞きます」
「すぐに手紙を書いて聞いてちょうだいね」
姉上のわがままには困った物だが、どうせ占いとケーキの件でお礼状は出すから良いか。
「ケーキとお茶のおかわりのご用意が出来ました」
侍女の声にパッと姉上の顔が輝いた。
良かった、これで姉上の意識がケーキに行くだろう。
美しいグラスをセレスティアナに贈れば、また一緒にジュースでも飲んでくれるだろうか。
「ギルバート、何か忘れていないかしら? ほら、美容と健康に良いという」
「あ! 白樺の樹液ですね。アンデッド騒ぎの件でつい、忘れておりました」
王妃の言葉を聞いて、俺は慌てて「こちらです」と言いつつ、白樺の樹液を亜空間収納から出した。
本当にうっかり記憶から抜け落ちてた。
もう脳内のほとんどは一瞬で、ライリーの庭園のガゼボにて、あの夏の日彼女と一緒に、サイダーを飲んだ風景に塗り替えられていたのだ……。
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