第39話 [溶ける氷と解けない気持ち]

「なんてことを……!」

「待ってください! 彼を……少し待ってくれませんか」

霹靂かみとき美紅……。あなたならこの状況がわかると思ったのだけれど」


 零太郎がドームの壁を殴って侵入した後、黒髪黒目の女性はすぐに止めようとしたが、それを美紅が止める。

 女性の声色は悪鬼羅刹も震え上がらせる程の威圧感があるように思えたが、美紅は勇敢に行く手を阻んでいた。


「彼……零太郎は必ずやあの竜の人物を救ってみせます。絶対に!」

「私からもっ……お願いします!」


 琴音と美紅から懇願され、女性は目頭をつまんでため息を吐く。


「はぁ……。それを過ぎたら彼もろとも封印をする」

「「ありがとうございます!」」

「……会って数分なのにものすごくデジャヴを感じるわ。言われた通り、本当にあなたに似てるわね……」


 女性は、左手の薬指の付け根で煌めくものを見つめながら消え入りそうに呟き、再びため息を吐いた。



###



『はぁ……はぁ……』


 季節外れの猛吹雪、万物を静止させるような気温。そんな中、俺はただただ、前に進んでいた。

 踏ん張る足が無いから力の入れどころがわからない。けど進まなきゃいけない。


 あの時……生徒会室でウィンターズが泣いた時、抱きしめてあげていたらこんな状況では無かったのだろうか? 変わらなかったのだろうか。


 いつだってそうだ。後悔ばかりの人生。

 だから、拾い損ねたのは拾いたい。大事にしたい。もう戻れなくなる前に。


『ぐっ……!』


 地面に倒れこむと、一気に氷が侵食して俺の炎を弱めてゆく。吹雪は強まるばかりで、『こっちに来るな』と言わんばかりに吹き荒れている。


『まだ……! まだ諦めきれねぇよ……!!』


 氷を振り払い、俺は炎を絶やさないように意識を集中させる。髪色が段々と白くなっており、霊力の消費が激しいのは確かだった。


 先にはウィンターズの人影が見えるほどの距離。一気に前に進見たいのは山々だが、進めたらどんなに楽なことか。


『ウィンターズ! お前には……俺には無い足も、命もあんだろ!? まだ何も始まってねぇくせに終わらせんなよ!!!』


 髪先も服も、所々凍っている。

 俺はゆっくりと距離を縮め、ついにウィンターズのすぐ目の前までやって来ることができた。

 彼女の手や頰には鱗がついていて、ツノや尻尾も生えている。その瞳はとても空虚なもので、昔の自分を見ている感覚がした。


『ウィンターズ……! この玉を飲んだらこの自体もおさまってくれるんだ。外にいるやつらはお前のことを封印しようとしてんだ! だから……』

「ダメだよ……。僕は……もう、助からないよ……」

『助かるんだよ!! ウィンターズ、お願いだ……!!』

「……キミは本当に優しいね。カッコいい生き方をしてる。だから……こんなことになるなら巻き込みたくなかった……」

『そんなこと……』

「地獄から大地獄に行くみたいなものかな……。僕は大丈夫」


 大丈夫だとか、そういうのは大丈夫じゃない人が言うセリフだ。でも、ウィンターズは覚悟が決まっている目をしている。


 思えばそうだった。

 琴音だって、自分の怪我を後回しにしてまで俺をここまで送ってくれた。美紅も俺たちを救うために一緒に戦ってくれたし、助けてくれた。外にいる人たちも覚悟があった。


 覚悟ができていないのは――俺だけだった。


 俺も地獄のような環境にいた。けれど先に地獄から抜け出したことなんて関係無い。

 地獄にいるやつを救うには、安全な場所から手を伸ばすことでも、遥か上から見下ろしながら蜘蛛の糸を垂らすことでもない。


 腰まで浸かってるなら自分も腰まで、肩まで浸かってるなら自分もその位置まで。地獄に身を投げてでも救う覚悟を決めて救うのが、真の救い方だ。


『ふぅー……俺も、覚悟を決めたぞ』


 バチンッと両手で自分の頰を叩いて、己を鼓舞した。

 蒼く染まった空核を自分の口に含み、手のひらをこちらに向けるウィンターズに目を移す。


 俺も落ちてやるよ。


「ん……!?」


 向けられた手を掴んで引っ張り、頭の後ろを優しく包んで俺は――口付けをした。

 申し訳ないが、これが俺の精一杯の気持ちを表せるものだった。


 ツノや尻尾、あたりに生えている氷にヒビが入り、粉々になってはらりはらりと落ちる。月光に照らされ、ダイヤモンドダストのように美しい光景だった。


「え、な……!?」

『お前が地獄にいるらしいからな……俺も一緒に落ちることにしたよ。今すぐに踵を返して戻りたいからそうさせてもらう……が、その帰り道はお前も一緒だ、ウィンターズ』


 目をまん丸にして顔を赤くしているウィンターズ。嬉しさ半分と不安半分で葛藤しているようだった。


「で、でも僕は……! こんなにも人に迷惑をかけてしまったし……。犯罪者同然だ……」

『だったら俺も、その犯罪に一枚噛んだっていうことにしてくれよ。これで俺も共犯者だぜ』

「でも……っ、キミに迷惑は」

『俺の意見はどうでもいい。お前が、本当に選びたい方を選べ。一人で罪を背負うか、俺と一緒に地獄を抜け出すか。

 因みにどっちも地獄だぜ〜? 化け物と隣り合わせの生活が続くからな』


 ウィンターズは俺の服を摘んで、俺の顔を見つめてこう質問してきた。


「その生活では……キミに頼めば抱きしめてくれるかな……」


 俺はつい口角が上がり、鼻で笑う。

 ウィンターズを抱き寄せ、さらに頭をそっと撫でた。


『サービスで頭なでなでもあるぜ? ご満足いただけたか?』

「っ!! うんっ!! ありがとう……ほんとうに……!!!」


 泣き出してしまったウィンターズをもっと強く抱きしめ、余っていた氷を溶かしていった。


 溶け出した氷は確かだ。

 だが、俺の気持ちは解けないままでいい。


 今は、これでいいんだ。

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