第9話 西園寺家


 僕の養子先が西園寺家になることが決まった日、ゆきちゃんと千秋さんが説明に来てくれた日から1週間が経った。


 今日はいよいよ退院手続きを済ませて西園寺家へと引越しをする日だ。といっても手続き諸々は霧島先生が済ませてくれたし荷物も多くないしであんまりすることはなかったけど。

 一応の付き添いとして霧島先生も来てくれるらしいし特に心配事は無いかな。


 約束の時間には僕が男ということもあって目立たないようにと病院の裏手の集合になったんだけど...そこには漆黒の光沢によって輝きを放つリムジンが停車していた。


「えぇ...」


 ちょっとした想定外に思わず困惑の声が出る。隣の霧島先生は額に手を当てて天を仰いでいた。

 病院の裏手とはいえ街中の通りには変わりないわけで近くの人たちが何事かとリムジンに視線をやっていた。


「二人とも早く乗ってちょうだい」


 開いた後部座席の窓から礼ちゃんが乗車の催促をしたので、いろいろ言いたいことはあったけどひとまずリムジンに乗り込んだ。

 リムジンに乗り込む際こちらを見ていた人たちがなにか言っていたけどなんて言ってたかはよく分からなかった。


「おはよう二人とも。ましろは忘れ物はないかしら」


「あぁ、うん、おはよう。忘れ物も大丈夫だと思う」


「それじゃあ出してちょうだい」


 進みだしたリムジンの車内には礼ちゃんと千秋さん、霧島先生そして僕の4人が後部座席に座っていて運転手の女性がハンドルを握っている。

 最初に口を開いたのは礼ちゃんだった。


「まずは退院おめでとう、ましろ」


「うん、ありがとう礼ちゃん」


「明日香もわざわざごめんなさいね。勤務中だったでしょうに」


「いや、そっちは別にいいんだよサボる口実にもなるし...問題は目立たないようにって言ってたくせになんでリムジンで来てんだってことだ。もっと目立たない車種で来いよな」


「? リムジンって目立つの?立食会の時やお母様の仕事についていった時にはよく見てたのだけれど」


 そりゃあ、上流階級の人たちの価値観ならそうかもしれないけど...礼ちゃんってもしかして結構世間知らずなのかな?


「はぁ...これだから金持ちは。千秋は分かってただろ。止めてくれよ」


「なにをおっしゃいます。真白様をお迎えに上がるのですから西園寺家に連なる人間として中途半端な真似などできませんよ」


「別にそんなにかしこまらなくても...」


「はぁ...やめとけやめとけ。こう見えて千秋は頑固者なんだ。何言ったって聞きゃあしないさ」


 そんな感じで車内では軽口を叩きあいながら穏やかな時間が流れていく。聞くと西園寺家本邸までは少し時間がかかるのだそう。


 ふと、窓の外に目をやるとそこには日常生活を営む女性たちの姿があった。

視界に入る全ての性別が女性というのはなんだか不思議の国にでも迷い込んだかのような錯覚に陥りそうになる。


「初めての外はどう?」


 こちらを見つめる礼ちゃんの瞳にはどこか心配しているような気配があった。僕が不安を感じていないか心配してくれたんだろう。

やっぱり優しい子だなぁ。そんな礼ちゃんを心配させないようにと言葉を選んで返事をする。


「うーん、なんていうんだろ?不思議な感じ、かな。『あぁ、男の人って少ないんだなぁ』って実感が徐々に湧いてきてるというか」


「そう...なにかあったら遠慮せずに言って。力になるから」


 至極真面目な顔でそう言ってくれる礼ちゃんの優しさを嬉しく思いながら笑ってみせた。


「あはは、おおげさだなぁ。大丈夫だよ。ありがとね」


 違和感だらけのこの世界で僕がなにをするべきなのか、なにをしたいのか、今はまだ何も分からないけれど礼ちゃんたちがいてくれるなら多分大丈夫。

 根拠なんてどこにもないけれどなんとなくそう感じた。



#####



「ましろ、着いたわよ」


 景色を見ているうちにいつの間にか眠ってしまっていたらしい。

礼ちゃんの柔らかな声で目を覚ますと、身体をほぐすためにぐっと伸びをして寝起きで鈍った感覚に覚醒を促していく。


「ここが...」


 車を降りてすぐ、目の前に広がる大豪邸に開いた口が塞がらなくなってしまう。

車窓から見えた一般的な一軒家の3倍以上は余裕で大きい。

洋風建築の外観はどこかで見た映画に出てきそうな迫力を感じる。


 辺りを見回すと広々とした庭が広がっており、少し遠くに見える花壇には色とりどりの花が咲き誇っているのが分かる。


「はぇ~」


 感心したように、あるいは呆けたように口を開けたまま立ちすくんでいるとポン、と軽くを背中を押される。

 千秋さんに車椅子を引かれている礼ちゃんが呆気にとられて固まってしまった僕を正気に戻してくれた。


「ほら、家でお母様と使用人たちが待ってるわ。屋敷や庭の紹介も後でするから今は屋敷に入りましょう?」


「あ、うん...礼ちゃんってお嬢様なんだね」


「ふふっ、それ、この前も言ってたじゃない。それに私がお嬢様ならましろは今日からお坊ちゃまになるのよ?」


「あーそっか、でもお坊ちゃまって柄じゃないなぁ」


 あまりの豪邸ぶりにいつの間にか入っていた肩の力が礼ちゃんのおかげで少し楽になった。

よし、と一息。気合いを入れて屋敷へと踏み出した。



『お帰りなさいませ。礼様、真白様』


 お屋敷の大きな扉を開いて中へ一歩踏み入れると、寸分違わぬタイミングで一糸乱れずに綺麗なお辞儀でこちらを出迎えてくれる大勢の女性が綺麗に整列して並んでいた。真ん中に立つ一人の女性を除いて千秋さんと同じ統一された服装メイド服を着用していることからこの御屋敷で働くメイドさんたちだと分かる。


 そして、そんな人たちの真ん中最前列でこちらを出迎えてくれた人たちこそがきっと――――


「ようこそおいで下さいました。私は西園寺家現当主、西園寺 恵サイオンジ ケイでございます。これからよろしくお願いいたしますね?」


 あまりにもザ・貴族っ!って感じの雰囲気に思わず圧倒されてしまうけれど、挨拶をしてくれているのにあんまり間を空けていると無視していると思われるかも、と慌てて返事を返す。


「えっと、真白 無垢です!今日からこちらでお世話になりますっ」


「うふふっ、礼儀正しくご挨拶いただきありがとうございますね。それでは――――」


「...はぁ」


 恵さんが話を進めようとした直後、隣から大きなため息が聞こえてくる。


「...お母様、いつまでその茶番を続けるの?」


「...だってぇ、珍しく礼ちゃんが気になった男性を連れてきてくれて、しかもうちの子になってくれるって言ってるのにぃ。かっこいいところ見せたいって思うじゃない」


 急転直下。先程までの高貴な雰囲気はどこへやら、恵さんは甘ったるく優しい雰囲気に包まれた母性にあふれる女性へと大変身を遂げていた。


「...えぇ?」


 あまりの変わりように狐にでも化かされたんじゃないかと目が点になってしまう。

困惑している僕に改めて礼ちゃんが説明してくれた。


「お母様は基本的にのほほんとした人よ。西園寺家当主として仕事をなさるときはさっきみたいに化けの皮を被るけどね」


「ちょっとぉ礼ちゃんってばひどぉい。化けの皮だなんてそんな...いつもよりちょっとしゃきっとしてるだけよぉ」


 歯に衣着せぬそのやりとりだけで恵さんと礼ちゃんの仲がいいことがよく分かる。

恵さんの柔らかい雰囲気を見てきて礼ちゃんなりに西園寺家の次期当主として頑張らなきゃ、とか考えたんだろうなぁ。

それでしっかりした子になったのかも...


「こほん、改めて挨拶しましょうか...ましろくん、ここは今日から君の家になりました。そして私は君のお母さんになりました。境遇に不安を感じることもあると思うけどそういう時は遠慮なくお母さんや礼ちゃんに相談してね。これから家族として仲良くしていきましょう」


「はい、たくさん迷惑をかけるかもしれないですけどよろしくお願いします」


「...」


 あ、あれ?なんか失礼なこと言っちゃったっけ?もうちょっとかしこまった方がよかったかな?

と、不安に思っていると...


「...か」


「か?」


「かぁわいいぃっ!」


「ぐへっ」


 次の瞬間には視界が暗転し、餅のような風船のような感触に押しつぶされて息が詰まっていた。く、くるしぃ...

抜け出そうにも背中に回された腕が強靭な拘束具となって行動を阻害する。


 先生から聞いてはいたけど男性よりも女性の方が力が強くなりやすいというのを今、改めて実感している...だめだ、そろそろ息が...


「お母様っ!ましろ、気絶しちゃうから!」


「あらいけない」


「ぷはぁっ...ふぅ...ふぅ...たすかった」


 もう少しで本当に気絶しそうになってたかも。さっそく迷惑をかけるところだった。


「ごめんなさい。ましろくんがあまりにも可愛いことを言ってくれるから、つい...」


「まったく...ましろじゃなかったら大問題だったんだから」


「えへへ、ましろくんもごめんなさいね」


「あはは...」


 なんてフォローすればいのか分からなくて曖昧に誤魔化すしかなかった。



#####



 その後は、ロビー?ホール?に集合してくれていたメイドさんたちにも挨拶をしてもらった。その数なんと50名ほど。

とてもじゃないが今すぐに全員の名前を覚えきることはできない。ここに関しては追々頑張って覚えていこう。


「じゃあ、屋敷の紹介でもしていこうかしら」


「僕はありがたいですけど、お仕事大丈夫ですか?」


「へいきへいき、差し迫った案件もないしましろ君の方が大事だもん♪」


「お母様、あんまりはしゃがないで。もういい歳なんだから」


「もー礼ちゃんが冷たーい。明日香も千秋もなにか言ってよぉ」


「んなこと言ったってなぁ、私たちがいい歳なのは紛れもない事実だし...」


「えぇ、正直三十路を超えてなおその若々しい言葉遣いはいかがなものかと...」


「お三方は歳が近いんですか?」


 なんとなく会話からそう感じられたので聞いてみる。


「ましろくん?そういうのは女性に聞いちゃだめなのよ?」


「あ、ごめんなさい」


 言い知れぬ圧力を感じて思わず謝ってしまう。


「いいのよ。これからそういうマナーについても覚えていきましょうね」


「いや、いつの時代の話だよ。昔話でもなかなか無いだろ」


「しーっましろくんを私好みのパーフェクト紳士にするんだから、明日香はちょっと黙ってて」


「お母様、ましろに変なこと吹き込んだら怒るから」


「ひぃん、ごめんなさい」


「取り敢えず皆さま、移動を。これではいつまで経っても屋敷の紹介が出来ませんので」


 千秋さんに促されてお屋敷の探索が始まった。

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