第5話 療治が戻る

 冬晴れの中を列車は肌を刺す風が吹く中で二条駅に到着した。ホームを徐行する列車の窓越しにオーバーコートを羽織ったみぎわの姿を認めた。此の寒い中を家に居れば良いのにここまで来るなんてと想う反面矢張り彼女の気持ちが伝わる。

 療治はそのまま列車を降りて、大勢の乗客と共に高架のホームから降りる階段の人の流れに沿って出口へ向かった。みぎわは眉を寄せて人の流れの中から療治を見つけると、探していた首がピタリと留まり、途端に笑顔を振りかざして駆け寄ってきた。風に靡く長い髪が絡むオーバーコートの下には、ウール地のスカートが清楚な感じを引き立てた。つい半年前まで後ろにゴムで髪を纏めて、姉さん被りをして欠食児童を相手に、膝の抜けたジーンズで動き回っていたのが嘘のようだ。

「どう、丹波はもう雪が積もっているでしょうね」

 と寒さには慣れぬ九州生まれのみぎわには、それが精一杯のいたわりの言葉だ。半年前にはあの食堂の病み上がりの奥さんの快復を待って辞めている。あの時は食堂で子供を引き取って帰るシングマザーの後ろ姿に、優しさの向こうにある男の本音を見抜けなかった女達の惨めな末路がここに在ると呟いていた。あの愛の解釈の行く末を何処まで噛み締めたのか、食堂を辞めてからは伝わって来ない。 

 駅前から乗った平日昼間のバスは空いていて、二人掛けの席に座り療治のアパートへ向かった。しかし同棲はしていないが時々泊まりに来る。どうも下宿の老夫婦が彼女を孫のように可愛がってる。それに気が引けてなるべく心配を掛けないように療治の部屋を訪れても日帰りにしている。それほど気遣う老夫婦に療治はまだ会ってない。しかし彼までがスッカリ同居している錯覚さえ持つぐらい、老夫妻の日常を細々とみぎわから訊かされた。

 彼女が実家への同行を躊躇ためらったのには、下宿の老夫婦に対する配慮もあると解った。

「じゃあ僕が留守の間は下宿に居てそれでじいさん達は少しは落ち着いただろう」

「あなたの所へ行くときは深夜のコンビニのバイトだと云ってるからまだ知らないわよ」

「そうだろうなあ子ども食堂を手伝ってた君が時々男の部屋へ泊まりに来るなんて想うわけがないだろうなあ」

 みぎわは卒業と同時にあの下宿を出ると一階の大家である老夫婦に宣言している。あと二月半ほどだ。元々は先輩からお世話して貰った下宿だから三年ほどになる。下宿人と云うより同居人という感覚で、殆どただに近い家賃だ。それに似たような清楚な感じの後輩を紹介して、老夫婦も了解して直ぐに後釜の入居も決まった。

「なんせ二階は八畳二間にユニットのバストイレが付いてるから引く手あまたなのよ」

 玄関の引き戸の横にもう一つドアが別に付いて、中の三和土たたきの一部が仕切られて仕切りには簡易のドアが付いて直ぐ階段になっている。だから開け閉めの音は伝わるが下宿でも個室に近い。

 老夫婦は息子に同居を願って二世帯風に改装したが通りから奥まった場所で、しかも所帯を持つには狭すぎると早々と家を出てしまって、家賃収入は当てにしていない。

「だからあの子ども食堂も安いバイト代でも引き受けられたのよ」

「なるほど、しかしあれには最初は驚いたよ家の前に子供が一杯居て、まるで児童養護施設と見間違うほどでまさかと思って入って食堂だと解ってホッとしたよ」

「それは前も言ったとおりあたしの友達にお寺で子供達を預かって居る子がいてその伝で行ってるだけ」

 みぎわはそうは云うが、仕事を終えて引き取りに来る母親達を、偽装された優しさに溺れた敗北者の群れだと決め付けていた。なんせあの食堂で彼女を知った時は、歪んだ愛の犠牲者だと哀れんでいる。それに釣られて療治は大学の出欠にも惜しみなく協力した。

「でもこの前までやって解ったがお陰で代返者も大変だよ、なんせ籍を置いてない部屋で回覧の紙に勝手にみぎわと書くから周りには変な目で見られて冷や汗もんだったが慣れるとみんな大目に見てくれて大学生活の意外な面を知ったよ」

「あの大学ではあなたは苦学生じゃないもんね、やってみてあれから代返している学生が居るのに気付くなんて気楽なものね、あの大学生らはみんなカツカツで生活してるんよ少しは社会勉強になったようね」

「そんなもんはあのズボラはひと言も云わなかったからな」

「あのズボラの君さん、前から訊きたかったけどあの人はなんて言う名前なの」

 俺も知らないと云うと、最初は信じてくれなかった。それで良く今まで友達で居られるなんて、素晴らしいと言いながらも最後には呆れた。

 みぎわには子供を犠牲にしてまで、離婚する夫婦の動機がハッキリしないのが気に入らない。彼女は子供食堂に来る子供達には父親が居ない、いや捨てたか捨てられたのか解らないが、その殆どが母親達によって育てられている。所謂いわゆるシングルマザーたちだ。彼女らは愛を捨てたんじゃない、子供に愛が乗り移っていると云うが、それは愛で無く母性本能だろうと言ってやった。

 それは一昔前の古い考え、とあの時には言われた。しかしこうしてみぎわと肩を並べて歩くと、あの食堂に居る子供達を話題にしなくなった。それは本当の愛を探し始めたと、療治自身はその都合の良い方へ解釈している。だがあれ程までに彼女達を批判しながら、今の状態に甘んじているみぎわがどうも理解しにくい。

 みぎわも窓から流れる景色に身を任して、それ以後は話題に乗って来られずに居る。療治も手持ち無沙汰にしている内に、バスは着いてしまった。


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