第6話 療治の住まい

 療治のアパートは北大路通りと堀川通りが交差する近くに在る。洒落た庭付きの一戸建て住宅が並ぶ一角に、楡の木が生い茂る中に、二階建てのモダンな集合住宅が建っている。バスを降りた二人はここまで歩くと、そのままその集合住宅二階の角部屋に入った。一人住まいにしては広い。入り口脇にバストイレが有り、リビングキッチンが有り、奥が和室になっていた。みぎわの部屋も二間あるが、一部屋は流し台とユニットのバストイレになり、此処は一部屋余分にある。初めて招かれたときは学生の身分でなんなのこの部屋はと思った。四六時中監視しているわけじゃ無いけれど、此のアパートで一人暮らしはみぎわの知る限り彼だけだ。彼の話だと祇園で働くホステスが一人暮らしだ。たまに派手な化粧して夕方出掛けるのを二三度目撃した。でも夜も昼も静かな所で真面目に勉強すればはかどるが、彼の成績はそれほどでも無かった。なんせせっかく取り寄せた値段の高い本も埃を被っている始末だ。それらの本は大学の講義をもっと深めたいと、あのズボラの君に相談して取り寄せたらしい。

 そのズボラの君さんともみぎわはお目に掛かっている。でも何処どこがズボラなのかキチッとした身なりに、これじゃあ療治さんの方が外見はズボラだった。だがズボラの君はなぜが約束事にはいい加減だ。それで自然とその名前で皆は呼ぶから、入学式に聞いたはずの名前は、スッカリ周囲の者は記憶から完全に抜け落ちていた。

 部屋に入り二人がキッチンテーブルで紅茶を飲みながら寛ぐと、急にズボラの君の本名を思い出したと甲高い声を上げた。これにはみぎわは驚くやら呆れるやらと浮かぬ顔で療治を見る。さっきまでバスの中で話題にしたのは、シングマザー達の愛の認識不足が招いた不幸だった。しかし療治が考えて居たのは、話が途切れた一時の暇に任せて、訊かれたズボラの君の名前だった。このちぐはぐな処もみぎわには、逆にこの人の醍醐味になっている。

「それでなんて言うの」

「牧野、牧野神事まきのしんじ

「信じる人」

「いや、神の行い事、で、神事」

「どっちにしても可笑しな名前ね」

「前にも言ったが寺の住職の次男坊なんだよ。そう言えば君にあの子ども食堂を紹介したのもお寺の娘さんじゃ無かったかなあ」

「あら、そうだわ」

 と今更ながら仏教系の大学だとみぎわは笑った。

「あなたが余り訊かなかったから云わなかったけれど、その子は多美ちゃんって言うの室屋多美むろやたみって謂うちょっと面白い子なの」

 今までみぎわはあの食堂に掛かりきりで大学にも余り顔を出していない。療治とはメールの遣り取りで会うのは時間的にすれ違いが多かった。会えばお互いの考えや思いの交換ばかりで、今訊かされた室屋多美は初耳だ。どうやら彼女も大学でみぎわの代返をしていると聞かされて思い当たる節があった。

「ちょっとニキビのある小柄な子が君の代返をしていたけれどあの子か」

「喋った事あるの?」

「ないよ講義が終われば皆はサッサと部屋を出ちまうもんだから直ぐに見失う」

「急に云われてもそうだけど多分その教室ならその子だと思う」

 みぎわは半年前にあの食堂を辞めてから、急に時間の余裕が出来た。それで結構友達にも会うようになって最近は良く会っている。

「その多美ちゃんにあなたのことを話したら結構面白がっていた」

 愛って対象者が居ない間は、ああでもないこうでもないと理想を追い求める。でも結局は出会いの印象で決まるものなのねと言われた。

「だってみぎわから聴かされた話だと日頃から云ってる理想とはかけ離れているんだもん」

 と多美ちゃんに言われちゃったとペロッと舌を出して療治に云った。その子にどう説明しているか知らんが、じゃあ俺は理想じゃあないのかと思った。ともかくみぎわは理想だと思っている、と突っ返したが反応はイマイチだった。

「出会いの印象か……」

 とそれでも聞こえるように独り言を云ってみたら、そうねと少し笑っていた。ちょっとは効いたが、淹れてくれた紅茶はいつもより渋かった。此の微妙なさじ加減が何を意味するのか気になるが、今は彼女の話題に乗って先のことを考えよう。

「その室屋って子の実家のお寺は保育園なのか」

「ううん違う託児所」

「どう違うんだよ」

「保育園や幼稚園は小学校へ行くまで預かるけれど託児所は子供に制限が無いのだから行政官庁からの許可も制限も受けないから結構自由に預かっている」

 でも一時預かりが多いからその分、収入は不安定だ。どっちか謂えば保育園の方が経営は安定してるから多美ちゃんは保育園にしたい。だけどお父さんが経営は二の次で、様々な親が居るんだからその希望に応えるのが、お釈迦さんの教えに合ってるそうだ。

「じゃあ愛の尊さを説く君の考えに近いんじゃない」

「あたしはお釈迦さんの教えは知らないし教義にも付いていけないのよ」 

 そんな難しいものより、愛の重さは授かった子の重さと同じだと想って、一緒に扱うべきだと彼女は言っている。

「でもあの大学は宗教法人が経営する学校だろういやでも頭に入るが、そうか殆ど出席してないから別に関係ないか」

「変な言い方、あたしは学費が安くて教義にも拘束力のないから決めた大学ですから」

「要は大卒の肩書きなんか」

 ウフと笑って「あんな高い本が埃を被っているんだからあなたはもっとそうでしょう」と逆に言われてしまった。 

 

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