第2話 榊原

 榊原とは中学生までは学区が違っても、この町で一つしかない高校で知り合った。勿論、紗和子とは小学校からずっと一緒だ。そのせいか療治が榊原と仲良くなるに従って、榊原と紗和子が顔を合わすようになった。あの二人を見ていると、どうも榊原の方が紗和子に気があるようだ。だが最近の紗和子は体力で負け出すと口で負かすようなり、療治はいつも口げんかでは負けている。それを榊原は羨ましそうにいつも距離を置いて見ていた。

 彼と紗和子は地元の信用金庫に就職した。二人一緒と言うより、紗和子が学校での進路指導で決めてから榊原も追随したが「俺は金融機関へ行きたかったのだ」と療治にはバレバレの嘘を吐いている。それが面白おかしく聞き流して、療治は京都で仏教系の私大を受けて入学した。別に彼は仏教寺院とは無関係に庶民的な宗派で、仏の慈悲で広い門の大学を選んだだけだ。その同じ大学に学費が安くて入学して来たのが療治の彼女だった。

 法要が終わると紗和子は後片付けを手伝った。これには療治の両親はあんたがうちに来てくれたらねぇと愚痴を溢していた。それを尻目に療治は久しぶりに会った榊原を誘って外に散歩に出た。榊原にすれば後片づけをする紗和子に後ろ髪を引かれる思いで、波多野家現当主の次男坊の誘いを断り切れなかった。

 流石に田舎だけ有って旧家は門構えが大きい。二人はダウンジャケットを羽織って旧家の門を抜けると、刈り取られた田園の中から駅へと続く道を、法事を終えて歩く弔問客を横目に見てあぜ道に入った。

「どうだ」

 と言われて紗和子と一緒になってから波多野に初めて会えば、榊原には此処で二人の話題は紗和子しかなかった。波多野の口入れで紗和子は来てくれたようなもので、彼には頭が上がらない。

「良くやっているよ」

 波多野には、それはどう解釈して良いのか、更に突っ込まれた。

「紗和子は気まぐれな処が有るから真面に聞いていればお前は身が持たないぞ」

 とハッキリしろと云われている。

「だからさっきも言ったとおり俺に良く尽くしてくれている」

「そりゃあまだ新婚だろう、最初の正月で今年はいい歳を越せただろう」

 と嗤われてしまった。

 榊原にすれば何でこんな寒空の下で笑われるのかと「逆に用がなければもう帰るぞ」と波多野に言った。

 晴れ渡った空から吹き下ろす風が頬を凍らせる。その中でも一人で片付けを手伝う紗和子が気になった。榊原に用件をせっつかれて二人はそこで引き返したが、畦道をかなり歩いてしまった。一般道を歩いていた弔問客の一行はもう見えない。今頃は駅前の商店街で時間待ちの買い物でもしているんだろう。どこの家でも松の内などとっくに明けて、門松なんかはどこにも見当たらなかった。

「ああ良い正月が迎えられた」

 と榊原はダウンのフードを被り直して先を急ぐとその後ろから。

「それより、お前、どうして転勤に賛成したんだ」

 とやっと榊原から本筋を伺うと、彼は足取りを鈍らせた。

 榊原は此処でくすぶるより京都の方が働きがいが有ると一も二もなく紗和子の誘いに乗った。いつからそんなに熱心に紗和子がどうして勧めたのか更に聞いてみた。すると、どうやら去年の夏に療治さんの卒業が決まりそうなので、これで社会人どうしなら一層京都へ転勤すればあなたも家が近くなって、気軽に付き合えるでしょうと言われた。

「それで榊原は紗和子の話に乗ったのか」

 と他に紗和子に他意はないのか波多野は返事を催促した。

「有るわけがない、信じるのと好きとは別次元だと解ったよ」

 狭いあぜ道の縦列だからどんな顔ぶれか知らないが、榊原の此の言葉には彼の紆余曲折が窺えた。

「判らんことを言う奴だなあ高校時代は俺と紗和子がいると嫉妬していたのを薄々感じていたからお前との友情の証しで紗和子に納得させたのに……」

「有り難く思っているがそれは本当の恋なんだろうか」

「そんなに難しく考えるもんじゃないよ男と女は、要は好きか嫌いか他に何が必要なんだ」

「それはそのまま返したい何で紗和子の思いを踏みにじる」

「踏みにじるとはお前らしくない穏やかで無い言い方だ。昔はそうでもなかったのに」

「じゃあ俺から質問するが最初の彼女とは別れてもまた新しい彼女が出来たのだろって言うんだ紗和子が、そうなんか」

「そりゃああれから四年近くも大学に居れば女友達も出来るがそんな深い付き合いじゃう無いのは此処に連れて来ないから分かるだろう」

「分からんから聞いているんだじゃあその女友達は何て言うんだ」

「言うほどの仲じゃないぜ」

「それでも居るんだろう、それとも言えんような女なのか、じゃあお前が云うように大したことの無い女なんだなあ」

「そんなことは無い !、みぎわだ」

 嫌な奴だと挑発に乗せられて、こうなれば売り言葉に買い言葉で。口を衝いて出てしまった。

「波打ちぎわのあのみぎわ、さんか、それを紗和子に話せば紗和子は不貞腐ふてくされそうだなあ。それであたしに結婚をそそのかしたんだと言われれば一緒になった俺の立つ瀬がないだろう」

「だからさっきも言ったが単なる友達だ、気に入らないのか」

「そうじゃないが紛らわしくて配慮がない。そんなの愛じゃないだろう」

「別に愛に定義が有るわけじゃあないだろう気持ちの持ちようだろう」

「じゃあ波多野、お前はどうなんだそのみぎわさんとやらに何処まで心を寄せているんださっきはただ単なる友達の一人に過ぎないと言ったが、もし違っていたら紗和子はお前を殺しに行くぞ」

 と振り向きざまに言われた。

「紗和子は小さいときから大げさなんだ」

 と関わりを避けるように変に嗤うと、榊原はこれ以上問題を抱えたくなく、今の話は俺の胸で止めておくと云った。

 家に帰り着くとさっそく家の者に、支度は手伝わないし後片付けも人任せで、いったい何様だと思っているだと怒鳴られた。これじゃあこの春からは社会人なのに困った息子だと言われてしまった。

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