第1章 電子的幻想のはじまり
第6話 はじまりはいつも突然に
電脳歴4年
AIの高度化、自動化が進み工業、商業、農業などあらゆる産業が人の手を借りることなく回るようになり、ついには天候や自然災害でさえ管理・防止できるようになってしまった世界で人々は持て余した時間の多くを趣味や勉学、娯楽へと変換した。
そんな世界でとある一人の天才によって世界はさらに飛躍的に発展した。
それが電脳歴の始まりである。
Electronic Dimension Expansion Notion(電子的次元拡張理論)。通称EDENと呼ばれる電脳空間が作り出され、数値とデータによってあらゆる事が可能になった。
人々は新たな可能性に熱狂しEDENが人々の主な活動拠点になると、特にVRゲームと呼称されるジャンルが飛躍的に発展した。
数々の企業がVRゲームを発表し界隈は大盛り上がりで勢いは日ごとに増していっている。
#####
正確無比な体内時計に従って午前6時に目が覚める。大きく伸びをして身体をほぐすと寝床としているソファから身を起こし顔を洗いに部屋を出る。
「あ、先輩おはようございます」
「ん、はよー」
仮眠室を出ると、そこに広がっていたのは清潔感のある真っ白な内装と両の手じゃ足りないほどのディスプレイの山、そしてそのディスプレイの山に接続された複数のキーボードとマウスだった。
仮眠室と併設されている第3研究室では後輩の
「なに、つかちゃんまた徹夜?女の子があんまし徹夜なんてするとお肌によくないぞー」
「うるさいですよ先輩。私のことはいいんでさっさと顔洗ってきたらどうですか?
今日9時から『電子力学的作用をもたらす空間内で自然発生したAIの人格形成における効率のいい学習方法』の論文の発表でしたよね」
「あーそれ今日だっけ?あぶなー資料まとめ終わっといてよかったぁ」
「しっかりしてくださいよ。資料ならさっき草薙さんにコピー頼んどきましたから」
「おぉーさっすが頼れる助手ちゃんだ」
わしゃわしゃと雑に頭を撫でてみると乱雑に振りほどかれてしまった。
「さっさと準備する!」
「ふぁ~い」
冷たい水で眠気を完全に洗い落とすと思考もクリアになって今日のスケジュールを詳細に思い出してくる。
あれやこれやと考え事をしながら準備を済ませ、第2研究室を通って休憩室へと続く扉を開けるとすぐさま鼻腔を良い匂いがくすぐった。
「あら、神崎さんおはようございます」
そこには今まさに朝食の準備を終えたばかりの女性の姿があり、理想の結婚生活の朝をそのまま切り取ったかのような光景が広がっていた。
...まぁ、結婚相手なんかではないんだけど。
「草薙さんもはよーざいます。資料コピーしてくれたって聞きました。まじ感謝です」
艶やかな黒髪は朝の柔らかな光を受けて天使の輪を作り出している。細身の身体に無地のエプロン姿がとても様になっている。
童顔で整った顔立ちは多くの男たちの庇護欲を掻き立てるものでキャンパス内でも人気があるとかないとか...
まぁ、基本的に
「いえ気になさらないでください。それもお仕事の一環ですから」
うんうん朝っぱらから美人さんの笑顔が見られたし今日はなんかいいことあるかも。
ひどく事務的な言葉ではあったが、ほんわかとした微笑みとセットなので冷たい印象はみじんもなく彼女の人となりが現れた返答だった。
「そういえば
「造里さんでしたらまだ寝ていらっしゃると思いますよ」
「あぁまだ寝てるのか。じゃあ朝ごはんありがたくいただきますね」
「えぇ、どうぞ召し上がれ」
「いただきまーす」
穏やかに時が流れる早朝。日本、いや世界でも最高峰の教育機関、国立大宮学園の第零号棟のいつもの朝の風景だった。
#####
無事に論文の発表を終え、ほぼ自宅と化している第零号棟へと帰路についていると携帯にメールが来ていたことに気づいた。
発表中はマナーモードにしていたため気づくのが遅れてしまったようだ。
「えーなになに...珍しいな父さんからか」
文面を要約すると、大事な話があるから一度会っておきたいとのことだ。
思えば随分と実家に帰っていない。大学入学とほぼ同時に研究室に居ついてしまったからもう2年ぐらいになるか。
ごく稀に電話で話をすることもあるし、別にお互い嫌ってるわけではないと思ってはいるが...今の環境が居心地が良すぎるからなぁ。
メールに返信するとすぐに返事が返ってきた。その速さに携帯の前で待機していたのではと少しあきれたがけれど、まぁいいか。
出来るなら今日にでも会えないかとの文章に逡巡する。
今日の予定といえば今しがた終わった午前の論文発表を除けば後は普段通り研究室にこもって研究に没頭するだけだ。
少しぐらいなら全く問題ないので、さっさと終わらせて戻ってくるとしようか。
その後、何度かのメールのやり取りを経てファミレスで昼食を一緒にしながら話をすることに決まった。
「ただいまー」
「やぁ、おかえり
朝は聞かなかった知的な声音の主に目を向けると何とも優雅にコーヒーを楽しんでいた。
俺とは対照的な濡れ羽色の髪に有象無象を惹きつけてやまない整った顔立ち、細く均整の取れたスタイルはモデルにも負けず劣らず。
声だけでなくその全身からどこか知性にあふれる雰囲気を醸し出しており常人には近寄りがたい空気を纏っていた。
まぁ、俺はちょー天才なので近寄りがたいなんざ欠片も思わなかったけど。
「どうもこうも、いつも通り教授たちの度肝を抜くような研究を叩きつけてきただけ。会議室を出る頃には阿鼻叫喚といっても過言じゃなかったね。
そういうお前は随分快適な生活リズムじゃないか造里?」
「あぁ、なんせうちのラボには稀代の大天才がもう一人いるからね。朝の会議はそいつに任せておけるから楽でいいよ。なぁ相棒」
「たまには代わりに出てくれてもいいだろー?」
「嫌だよ。どうせ早起きしてる君だって朝ごはんを食べたら研究の続きをするだけだろう?
なら共同研究なんだし朝に弱い私に代わって会議に出席するのは最早義務といっても過言じゃないね」
「どう取り繕っても過言だろ」
いつもの軽口を叩いているとタイミングよく?草薙さんが休憩室へと入ってきた。これ幸いとばかりに先程入ったばかりの今日の予定について伝える。
「草薙さん、ちょっと予定入ったから昼飯は外で食べてくるよ」
草薙さんの返事よりも先に声を上げたのは造里だった。
「おや、珍しい。今日はこの後特に予定は入っていなかったはずだが?」
「ん、珍しく父さんが話があるって言うんでな。ちょっと行ってくる」
「へぇ、君の父君がねぇ...」
「分かりました。じゃあ今日のお昼はとびきり豪華にいたしましょうか」
「ひどいっ!?」
「うふふ、冗談です」
思わずオーバーにリアクションを取ってしまうと草薙さんは楽しそうに笑った。造里もつられるように笑っていた。
#####
「さてそろそろ行くか」
時刻は現在午前11時。約束の時間も迫ってきていたのでそろそろ待ち合わせのファミレスへと出向くことにする。
「んじゃちょっと行ってきますね」
「はい、いってらっしゃい」
草薙さんに見送られて研究棟を出る。ぶらぶらと目的地に向かいながら結局何の用事なんだろうかと思案してみる。
まぁ、結論が出ることはないんだけど移動中の暇つぶしぐらいにはなる。
キャンバス内に常駐しているAIによって完全自動化されたオートタクシーに乗り込むと目的地の位置情報を入力する。
到着時間は約20分後、目的地を設定されたタクシーが走り出すのを確認すると発展しつくした(一昔前でいう所の近未来感のある)首都の様子を何の気なしに眺めながら背もたれに体を預けた。
#####
時間丁度に着いたのはメカニックなデザインの全国チェーンのファミレスだった。
移動中に連絡が来ており先に店に入っているとのことなので店内に入ってみるとこちらに手を振っている人物がいた。
「久しぶりだな創」
「久しぶり父さん。あー...そちらの方たちは?」
てっきり一人だとばかり思っていたので他に人がいたのは驚いた。しかも3人も。でもまぁ、うん、そういうことだったか。
「あぁ紹介するよ。こちらは
そしてこちらの2人は静香さんの娘さんで
久しぶりの父親の口から出てくる言葉にしてはかなり衝撃的な発言ではあるけど3人を見たとたんになんとなく推測できたのでそんなに驚くことは無かった。
逆に推測通りでよかったと安堵したぐらいだ。
父さんは息子が自由にやってる2年の間に新しい恋を始めていたらしい。肉親の新しい恋なんぞ正直勝手にやってくれって感じではあるが報連相は大事だ。
改めて3人を見てみるとよくもまぁこんな美人を捕まえたもんだと思う。
静香さんは全体的に優しげな雰囲気に満ちており腰辺りまで伸ばされた黒髪のロングは手入れが行き届いていて癖っ毛一つない。
保母さんのような優しい微笑を浮かべた顔つきは包容力にあふれている。
「はじめまして、優斗さんからいつも話を聞かせてもらってます。綾波 静香です。こうして会えて嬉しいわ」
続いて声を上げたのは桃花と紹介された少女だった。
「は、はじめまして!えっと、綾波 桃花です。
緊張しているのだろうか?あたふたとした様子で簡素な自己紹介をしてくれた。
綺麗というよりは可愛らしいという言葉の方が似合う娘でどことなく静香さんに似た柔らかい雰囲気を感じる。
ボブカットの明るい茶髪と起伏に富んだスタイルで花の女子高生真っ盛りといった感じだ。第一印象でしかないが友達が多そう。
御陵高校と言えば名門女子高として有名だし緊張しているのは男に対する耐性があまりないからかもしれない。
最後に静かな声で杏花という少女が挨拶をしてくれた。
「...はじめまして。綾波 杏花です」
先程の桃花さんよりも簡潔な挨拶。こちらは緊張している様子は全く見られずこちらを見るまなざしは警戒心むき出しの鋭いものだ。
ま、いきなり母親の恋人の息子とか言われたらこういう反応も普通かもしれない。
静香さんと同じようにロングの黒髪ではあるが、雰囲気は似ても似つかず近寄りがたい空気を醸し出している。綺麗系の美人さんだ。
3人の挨拶が終わると4対の目がこちらを見つめてくる。うん、次は俺の番か。
「はじめまして大宮大の3年神崎 創です。父さんがいつもお世話になってます」
「とりあえず注文を決めようか」
父さんがそう言うと全員席についてメニューに目を通し始めた。
そんな感じで奇妙な団欒の時間は始まった。
「あーとりあえず今どの段階か聞いても?」
「というと、どういうことかしら?」
「じゃあ、父さんと静香さんはもう籍は入れたの?」
「あ、あぁ、うん。俺からプロポーズして受けてもらったよ」
「えぇ、情熱的でした」
あたふたしだす父と思い出して頬に手を当てて笑顔を浮かべている静香さんを置いておいてその娘の2人に聞いてみる。
「ふむふむ、じゃあ桃花さんと杏花さんは父さんとは何回か会ったことは?」
「えっと、3回ぐらい...ですかね?どうだったっけ杏ちゃん?」
「あってるよ」
「ふーん、じゃあ初対面は俺だけか。急に呼び出した理由は?顔合わせだけ?」
「いや、実は静香さん達と一緒に暮らすことになってな。まだ創の紹介もしてなかったし色々皆で相談しようと思ったんだ」
「もう少し早く教えて欲しかったけどね」
「連絡しても出なかったじゃないか」
「あれ、連絡あったっけ?まぁ最近ちょっと忙しかったから」
最近はGAGの大会もあったし、研究の方も大詰めだったから見逃してしまっていたのだろう。
料理も運ばれてきてその後も親交を深めるための団欒の時間が続いた。
#####
料理もあらかた食べ終わった頃、
「それで家はどうするの?父さんマンションだったよね?静香さんの家に引っ越すとか?」
「いや、実はコツコツ貯めてきた貯金があるんだ。あと、ちょっと色々あってお金の方は問題ないから新しく一軒家を買おうと思ってな」
「おぉー思い切ったね。分かった、じゃあ買ったら住所だけ教えといてよ。何かあった時知らなかったらマズいし」
「えっと...創くんは一緒に住まないの?」
静香さんはどうやら俺のことも勘定に入れてくれていたらしい。嬉しい気づかいではあるけど無用の長物だな。
「まぁ基本ラボの方が居心地いいんで。研究もあるし、娘さんたちもいきなり見知らぬ男と同じ屋根の下っていうのは嫌でしょ」
「えっと...私は大丈夫です、よ?」
「...」
想像がつかないのか桃花さんの方は顔に疑問符を浮かべていたが、杏花さんの方は眉間にしわを寄せ露骨に嫌そうな顔をしているのでさもありなん。
まぁ、俺だって急に他人と一緒に暮らすってなったら嫌だからな、気持ちはよく分かる。
「無理しなくていいよ。というか俺の方の都合が大きいから」
「でも...」
「創...なんとかならないか」
それでも静香さんと父さんは食い下がってくるが、そもそも父さんは俺が大学を離れられないのを知ってるはずなんだが?
希望を持たせるのも申し訳ないのでここはバッサリと断らせてもらおう。
「無理だよ。たまに顔出すぐらいなら問題ないけど傍付きの人もいるしラボにいることが条件でもあるし」
「傍付き...?条件...?」
「ん?あぁそこは話してないの?」
静香さんはなんのことか分かっていないようで娘2人も疑問符を浮かべていた。
こうしてみるとやっぱり親子なんだな。首を傾げる動作から表情まで随分と似通っている。
「まぁ、な。本人のいないところで勝手にする話じゃないと思ったから」
「別に気にしなくていいのに。まぁ、簡単に言うと大学からちょっと特別扱いされてるってだけの話ですから、あんまり気にしないでいいですよ」
「? そう、なのかしら...」
何気なく時間に目をやると結構話し込んでいたらしい。
特にやらなければいけないことは無いがあんまり時間を無駄にするのもよくないしこの辺りでお暇させてもらおうか。
「じゃあ、そろそろいくよ」
「もう行くのか?もっとゆっくりしてもいいんじゃないか?」
...父さんは基本的に善人ではあるが少しばかり思慮に欠ける部分もあるんだよな。
「ゴメン。やらなきゃいけないことがあるの思い出した。とりあえず4人の決定に俺が何か言うことは無いから。
セキュリティとかなんか相談したいことがあったら教えて。あと、引っ越しの手伝いぐらいだったら時間作るから」
「あぁ、うん分かった」
自分の分の代金を支払うと何か言いたそうにする4人を置いて店を出る――前にこれだけは言っとかないと。
「...あぁそうだった。二人とも結婚おめでとう」
「!あぁ、ありがとう創」
「ありがとうね、創くん」
「それじゃ」
後ろ手に手を振りながら今度こそ店を出る。再度タクシーに乗り込むと大きく息を吐いていつの間にか入っていた肩の力を抜いた。
今更一緒に暮らそうなんざ冗談じゃないって。あー疲れた。
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