第10話 「今、ここで電話してみようかな」

和木坂課長に連れられて入ったオイスターバーの名前は「ムーンリバー」


黒で統一されたモダンな店内のカウンターに、私と和木坂課長は並んで座っていた。


JAZZのスタンダードナンバーが静かに流れ、間接照明のオレンジ色の灯りが、和木坂課長の憂いある横顔を照らす。


和木坂課長はウイスキーのオンザロック、そして私の手元にはカルーアミルクの入ったグラスが置かれている。


そして透明な皿には美味しそうな生牡蠣。


『今夜は君と飲みたい気分なんだ』


たしかに和木坂課長は、そう言って私をここへ誘った。


それって臼井ちさと飲みたい・・・ってことでいいんだよね?


和木坂課長は幸田ミチルが好きなんじゃなかったの?


ここって幸田ミチルと行くはずだった場所では?


和木坂課長が浮気?!


いや幸田ミチルも臼井ちさもワタシではあるのだけれど・・・。


私はどう振舞ったらよいかわからず、カルーアミルクの入ったグラスをチビチビと舐めるように啜っていた。


和木坂課長が琥珀色のウイスキーを煽ると、グラスの中の氷がカランと音を立てた。


右隣に座る和木坂課長と私の腕が触れ合いそうなほど接近していて、思わず肩をすぼめてしまう。


和木坂課長からいい香りがする。


柔軟剤なのか、それとも香水を付けているのだろうか。


きっとこれも幸田ミチルに会うためだったに違いない。


「ごめんな。急に誘ったりして・・・迷惑じゃなかった?」


「いえ・・・大丈夫、です。」


誘って頂いて嬉しいです、という言葉をはっきり言えない自分が嫌になる。


ふいに和木坂課長が私の顔を、真剣な表情でじっとみつめた。


「な、なんですか?」


「いや、何でもない。」


和木坂課長はすぐに私から視線を外すと柔らかく微笑み、その表情を解いた。


そして唐突にスマホを取り出すと、その待ち受け画面を私の目の前にかざした。


「これ、ウチの猫。」


そこにはふてぶてしい顔をしたエキゾチックショートヘアが、畳の上で寝そべっている様子が写っていた。


きっとこれがケンケンなのだろう。


「わあ。可愛いですね。」


「ああ。世間ではブサカワ猫なんて言われてるけど、俺にとってはコイツが世界で一番可愛い猫だと思ってる。」


「わかります。私もウチの猫が世界で一番可愛いと思ってますから。」


「へえ。臼井さんも猫、飼っているんだ。」


やば!・・・ま、大丈夫か。猫飼ってる人間なんて、そこらじゅうにいるだろうし。


「写真、ある?見てみたいな。」


「あ、はい。」


私は言われるがままにスマホのアルバムからマリモの写真を写し、和木坂課長に見せた。


「可愛いね。名前は?」


「マリ・・・・」


「ん?マリ?」


「マリリン!そう、マリリンっていいます。」


危ない。マリモって言いそうになってしまった。


「それってあの有名な女優から?」


「は、はい。」


「ウチの猫の名前はケンケン。バアちゃんが自分の好きな俳優にちなんで付けたんだけど・・・誰だかわかる?」


坂口健太郎だよね。でもここは外さないと。


「えーと、安田顕?」


「違う。」


「三宅健?」


「ううん。」


「誰ですか?」


「松山ケンイチ。」


「?!」


和木坂課長、堂々と嘘ついた!


私が口を半開きにしてフリーズしていると、和木坂課長はプッと噴き出した。


「どうしたの?なんか、あっけに取られたような顔をしてるけど。」


「いや、なんでもありません・・・」


和木坂課長は若干の虚言癖あり、と心にメモした。


「実はこのくだり、ある人と、つい最近したことがあってさ。」


そう言うと、和木坂課長は嬉しそうに口元を緩めた。


「へ、へえ。そうなんですか?」


「ああ。今夜、その人と会う約束していたんだけど、急に駄目になっちゃって。」


そう投げやりに言うと和木坂課長はウイスキーをグイッと飲み干した。


「俺、嫌われているのかも。残業だなんて口実で、本当は俺と会いたくないのかもしれない。」


「そんな・・・。そんなこと絶対にないですよ!」


私が語気を強めて言うと、和木坂課長は不思議そうな顔をした。


「どうしてそう言い切れるの?」


「なんとなく・・・です、けど。女の勘っていうか。」


「なんとなく、か。」


「そのお相手って、女性、ですよね?」


「ああ。」


「彼女さん・・・ですか?」


私はドキドキしながら、そう聞いてみた。


和木坂課長はなんて答えるんだろう?


「いや・・・まだ彼女じゃない。」


「・・・・・・まだ?」


「うん。でもそうなる予定。」


そう自信ありげに言い切り、和木坂課長は私の顔を見て口角を引き上げた。


「彼女、ミチルちゃんっていうんだけど、すごく笑顔が可愛くてさ。俺、一目見てビビッっと来たんだ。この子が俺がずっと探し求めていた女の子だってね。」


「・・・・・・。」


すごく嬉しいけど、すごく困る。


だって幸田ミチルはもうすぐ消える予定だから。


幸田ミチルに消えてもらわなければ、臼井ちさの恋は先に進まない。


そうこうしているうちに、和木坂課長はかなり酔ってしまい、とうとうカウンターに突っ伏してしまった。


そして突っ伏したまま、顔を私の方へ向け、子犬のような目でこう尋ねた。


「ね。臼井さん。どう思う?」


「どうって・・・。」


「彼女、ミチルちゃん、俺のことどう思っていると思う?」


「も、もちろん・・・課長のことを憎からず思っていると思いますよ?そうじゃなかったら連絡先の交換なんてしないと思います。」


「そう?俺のこと、好きだと思う?」


「・・・好きですよ。きっと。」


私は和木坂課長を励ますように言った。


こんなぐだぐだな和木坂課長も可愛い・・・。


しかし、和木坂課長はそんな私の想いも知らず、とんでもないことを言い出した。


「ミチルちゃん何してるんだろ。・・・今、ここで電話してみようかな?」


和木坂課長はおもむろに、背広のポケットからスマホを取り出した。


「それはちょっと!!」


「え?・・・臼井さん、どうしたんだ?」


和木坂課長が私の顔を怪訝そうに見た。


その目が座っている。


「もう遅いし・・・もしかしたら寝ているかもしれないし、止めた方がいいと思います。睡眠にはゴールデンタイムというものがあって、美容にとても大切なものなんですよ?」


しかし和木坂課長の耳には、私の助言など全く入っていないようだった。


「ん・・・声聞くだけだから・・・ごめん、ちょっと席はずす。」


そうつぶやき、和木坂課長は席を立ち、店の外へ出ていった。


「え?ちょ、嘘でしょ?!」


私はスマホを片手に握りしめ、店内のトイレへ駆け込んだ。


トイレの個室に入ったと同時に、スマホの着信音が鳴り響く。


どうする?


無視する?


ええい。出てしまえ!


私は通話ボタンを押し、コホンと咳をした。


『もしもし』


『あ、ミチルちゃん?俺、和木坂だけど』


『あ、あ~、和木坂さん?こんばんは!どうしたんですか?』


『ごめんな。こんな遅くに電話しちゃって。残業、お疲れ様。』


さっきまで酔いつぶれていたとは思えない、落ち着いた優しい声音。


臼井ちさに見せていた子供みたいな情けない姿とは打って変わって、余裕ある大人の対応。


『和木坂課・・・さんも、お疲れ様です。今日はドタキャンしてごめんなさい。』


『気にしないでいいよ。仕事じゃ仕方ないし。』


『・・・・・・。』


『でも、声だけ聞きたくてさ。』


『・・・・・っ。』


『今度、会えるの楽しみにしてる。じゃ、おやすみ。』


『はい。おやすみなさい。』


こうして短い通話はぷつりと切れた。


和木坂課長・・・ほんとのほんとに幸田ミチルのことが好きなんだ・・・この想いを私は踏みにじることが出来るの?


私が席に戻ると、和木坂課長は嬉しそうな顔でスマホをみつめていた。


「・・・どうでした?ミチルさん。」


私ってば、知ってるくせに


「うん。ちゃんと家に居たよ。もしかしたら他の男と会っているんじゃないかって思ってたから安心した。」


幸田ミチルがそんなにモテるわけないのに。


「好きなら、ちゃんと信じてあげなきゃ駄目ですよ?」


「ははっ。そうだな。」


「あの・・・和木坂課長に聞いてみたいことがあったんですけど。」


「なに?」


私はここぞとばかりの質問を和木坂課長に問いかけた。


「課長は・・・女性芸能人で、誰がタイプですか?」


本当に和木坂課長はB専なの?


「え?そんなこと聞いてどうすんの?」


「あ・・・えっと・・・どんな女性タレントがいま人気なのかなって・・・。」


「うーん。そうだな・・・」


和木坂課長は少し考えあぐねたあと、軽い調子で言った。


「昔好きだったのは、綾瀬はるか・・・かな?あと長沢まさみ。」


「あっ、そうなんですね?!」


・・・普通に可愛い女優さんが好きなのね。


てっきりブサイクで売ってる女芸人の名前とかを出すのかと思ったのに。


ていうかもしかして「世界の中心で、愛をさけぶ」が好きなだけなんじゃ・・・。


「臼井さんは誰のファンなの?」


「私ですか?」


興味ないくせに、一応聞いてくれるんだ。


「私は・・・要潤さんです。」


「ふーん。奇遇だな。俺の名前も要って言うんだよ?」


そんなこと知ってる。


だから好きになったの。


なのに和木坂課長はまったく興味なさげに、大あくびをした。


「もう遅いから帰ろうか。タクシーで送るよ。」


和木坂課長は腕時計を見ると、カウンターチェアから降りた。


「大丈夫です。まだ電車ありますし。」


「いいから送らせて。」


そう言って和木坂課長は、私の頭に軽く手を置いた。


和木坂課長は幸田ミチルが好き。


それでも臼井ちさとして、和木坂課長に近づけたことが嬉しかった。







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