第3話 「きっと私は恋愛運がゼロなんだ」

「あ~ただいま~。今日も疲れたぁ~。」


築40年の古ぼけたマンションにエレベーターなどという便利な乗り物は存在しない。


コンクリートの階段を4階まで息を切らしながら昇り、鉄製の赤茶けた扉の鍵を開け、やっと我が家の玄関にたどり着いた。


1Kバストイレ付・賃料6万円の狭い部屋だけど、ここが私の東京でのお城だ。


私の住んでいるマンションは、中央線のサブカルチャーの聖地と呼ばれる複合ビルがみえる駅を降り、20分ほど歩いたところにある住宅街だ。


家の近所には広い公園があり、植物を愛でるための緑と散歩には困らない。


東京という街は便利なもので、3駅くらいなら余裕で歩けるし、コンビニも銀行のATMも美容院も歯医者もいたるところにある。


それにお洒落な雑貨屋やカフェも、下北沢や吉祥寺に行けば沢山ある。


それだけでも東京に出て来て良かったと思える。


両親と4歳下の弟が住んでいる実家は埼玉にあり、東京と隣接している市だけれど、都会に出るにはかなり交通の便が悪いところだ。


駅前には大手デベロッパーが仕掛けた大型商業施設があり、ここで衣料・食料・インテリア・家電製品など生活に必要なモノが全て揃う。


けれどそこから10分も歩けば、見渡す限りの田んぼや畑の中に、ポツンポツンと一軒家が点在する地方の田舎町の風景が広がっている。


寒い冬が来ると女学生は制服のスカートの中に緑色のジャージを着用し、自転車に乗る男子学生の頭には、もれなく白いヘルメットが被られている。


私はそんな田舎町の大きな団地の中で生まれ育った。


そこでののんびりとした生活も悪くはなかったけれど、ダメ元で受けた公務員試験に受かり、就職を機に東京での一人暮らしを始めた。


経済的にはあまり余裕があるとはいえないけれど、母が定期的に送ってくれる野菜や缶詰などの食料品を使って日々節約を心掛け、慎ましい生活を送る毎日だ。


生活費を節約する分とボーナスのほとんどを貯金して、通帳の数字は3ケタに達した。


利息はあまり期待できないけれど、そろそろこの貯金を定期に変更しようかと考えている。


私が玄関でパンプスを脱いでいると、部屋の奥から愛猫のマリモがのっそりと姿を現した。


「マリモちゃーん!今日もお出迎え、ありがとね!」


「にゃおーん」


マリモは猫の中でも一番人気だと言われているミックスのオス猫。


キジトラ柄のフサフサした毛に抱きつくも、マリモは私の腕からするりと抜けて、また部屋へ戻っていく。


まったく、マリモったらツンデレ猫ちゃんなんだから。


でもそんなところも可愛い。


一人暮らしを始めてまずやりたかったことは、インテリアを統一すること。


実家のインテリアは和室なのに母の少女趣味が炸裂していて、ニトリで購入した黄色い花柄のカーテンやクッションが幅を利かせるも、本棚の中には父コレクションの旅先で買った大小のこけしが飾られている。


これが結婚生活における妥協というヤツなのね、と私は早々に結婚の現実を悟った。


だから私の東京での部屋は、大好きな昭和レトロの雑貨で埋め尽くした。


新品は高いので、下北沢や西荻窪の中古を扱うアンティークショップを巡り、自分の気にいったモノだけをひとつひとつ買い揃えていった。


特に渋い焦げ茶色のシンプルチェストは大のお気に入り。


ただ・・・ベッドは部屋の広さ的に買えなかった。


だからわずかなフローリング床の中央に、実家から持ってきた布団をひいて夜は寝ている。


結婚し子供が出来たら、部屋を自分の趣味だけで飾ることなんてきっともう出来ない。


セピア色の写真立ての横にダンナの趣味のフィギュアが並び、部屋の隅には子供のレゴブロックが所狭しと置かれるに違いない。


だからせめて今は自分の好きな雑貨や家具で部屋を埋め尽くしたいのだ。


ブラウスとタイトスカートを脱ぎ捨て、学生時代に着ていたえんじ色のジャージズボンと浅草で買った富士山と漢字で書かれた面白Tシャツに着替え、顔をバシャバシャと洗ってメイクも落とし、度の強い眼鏡をかければ、完全にオフな私に戻る。


長い髪は黒いゴムで後ろ一本に結わく。


鏡を見ると、きっと化粧を落としたからであろう、薄い顔がさらに薄くなっている。


キッチンで即席の味噌ラーメンと、昨日の残りの豆腐で冷奴をササッと手早く作る。


豆腐の上にネギとショウガを乗せ、冷蔵庫からキンキンに冷えた発泡酒を取り出す。


低い折り畳み式テーブルにささやかな晩餐の品を乗せ、手を合わせて頂きますと軽くお辞儀をして、プルタブを開け発泡酒をグイッと喉に流し込んだ。


「ぷは~。生き返ったぁ。」


テレビを付けると昨夜とはまた別の動物番組が放送していた。


「わ~。今日はキリン特集だ~!」


私はそうはしゃいだ声をあげる。


自宅での私は職場でのウスイサチとはだいぶ違う。


一人のときの私は、けっこう陽気だし、元気だし、鼻歌も歌う。


家に帰れば「ウスイサチ」ではなく「臼井ちさ」に戻るのだ。


別に私の生まれ育ちは、まったくもって幸薄いものではない。


実家の両親、弟は健在だし、病気など子供の頃から無縁な健康体だ。


決して裕福な家とは言えないけれど、お小遣いも誕生日やクリスマスのプレゼントも毎年貰えていたし、少なくとも私は家がお金に困っていると思ったことはない。


どちらかといえば幸せな環境で育ってきたと思う。


けれどそんな私の唯一にして最大の幸薄い点は・・・それはどうしようもなく「男運が悪い」ことだ。


高校時代に初めて付き合った初恋の彼は、爽やかなクラスの人気者だった。


初カレが出来た私は舞い上がってしまい、お弁当を作ってみたり、彼のサッカー部の試合を応援に行ったり、彼女として出来る限り尽くした。


彼の言う事はなんでも従った。


けれど一年後、教室の窓辺で夕日を見ながら「他に好きな子が出来た」と告げられた。


「私の何が駄目だったの?私、悪い所があったら直すから・・・。」と私は未練がましく彼を引き留めた。


そんな私に彼は「そういう卑屈なところが嫌なんだ。」と言った。


その彼が私の次に付き合った子は、私とは正反対の真夏の太陽みたいなクラスの一軍女子だった。


その後しばらくは、だったらどうして私と付き合ったの?と悶々と考える日々を送った。


後々まで引きずる悲しい恋だった。


大学生になり、合コンで知り合って付き合うことになった美容師の彼は、ちょっとチャラかったけれど、天真爛漫で人懐こくて、自分とは正反対なところにどんどん惹かれていった。


けれどすぐに、彼には私の他にも女がいることが判明した。


女というか、奥さん・・・配偶者がいたのだ。


告白してきたのは彼の方からなのに、何故か私が略奪者扱いされ、奥さんからは「末代まで呪ってやる」と脅され、危うく慰謝料まで取られそうになった。


彼と私がまだそういう関係ではないことを何度も説明し、二度とその彼と連絡を取らないと一筆書かせられ、そして・・・きっぱりと別れた。


きっともう一生会うことはないだろう。


残ったものはなんとも言えない理不尽な思いと、やり切れない苦い恋の欠片だけ。


そんな私だけれど、幸薄そうな顔を好む男はどこにでもいるもので、就職するまでは彼氏が途切れることはなかった。


でもその間付き合った男といえば「ギャンブル大好き男」「キャバクラ通い男」と金遣いが荒い男ばかり。


私の外見で、「男に尽くす女」と見込んだのだろうか。


たしかに私がお金を持っていたら、きっと彼らに貢いでいた。


けれど私には彼らを助ける財力なんてなかった。


そして私からお金を引き出せそうにないと分かるやいなや、男達は私の前から去っていった。


「モラハラ男」と付き合ったこともあった。


最初は優しくて紳士的だったけれど、お付き合いが始まると約束をドタキャンされることが当たり前になり、逆にこちらの都合を考えないで予定を立てられ、断ると暴言をまくしたてられた。その彼にはお願いだから別れて欲しい、とこちらから土下座して関係を切った。


あのまま付き合い続けていたら、メンタルがボロボロになっていただろう。


最後につき合った彼は真面目で優しくて、とてもいい人だったけれど、彼のファーストプライオリティは、とある仏様だった。そして彼の入っている宗教にしつこく勧誘され、断ったら「価値観が違う」と言われてフラれた。


最後の恋からもう3年が経つ。


就職してからは誰ともお付き合いしていない。


もう恋愛なんて・・・男なんて・・・懲り懲りだ。


きっと私は恋愛運がゼロなんだ。


暗くて面白味もない私は、すぐに飽きられて捨てられるつまらない女なんだ。


本当に「幸薄い女」なんだ。


何も男の人に高望みなんてしていないつもりだ。


イケメンじゃなくても、お金持ちじゃなくても、高学歴じゃなくても・・・ただ誠実に私だけを好きでいてくれるだけでいいのに・・・。


自らの情けない男性遍歴を思い返し、無性に悲しくなる。


ちょっといいな、と思っていた和木坂課長とも、やっぱり運命の糸は繋がっていなかった。


和木坂課長の、右目だけ細める優しい笑顔を思い浮かべ、目尻に涙がにじむ。


こんな淋しい一人の夜は、無性に実家が恋しくなる。


でも東京で頑張るって決めたんだし、家族に心配かけたくない。


私・・・結婚出来るのかな?


結婚出来たとしても、幸せになれるのかな?


漠然と将来は結婚して子供を二人くらいなんて思ってきたけれど、こんなに男運が悪いんじゃ酷い男を引き当てて、浮気されたりDVされたり・・・その結果離婚してシングルマザーになって・・・そんな未来しか予想出来ない。


だったら一生お一人様でいいんじゃないの?


今どき結婚しない人間なんてゴロゴロいるし、一生独身でいることだってもうそんなに肩身が狭いことじゃない。


私にはマリモがいるし、公務員というお堅い仕事にも就いているし、一人きりの将来設計だって何の問題はない。


貯金してお金が溜まったら、お洒落なマンションをローンで購入しちゃうのもいいかもね。


うん。そうだ。そうしよう。


私は気ままな独身生活をずっと謳歌しよう。


そんなことをつらつらと考えながら、テレビ画面のキリンの赤ちゃんを眺め、また一口発泡酒を飲んだ。

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