第15話 王太子殿下は女性がお嫌い

 お茶会が終わり、私はベスと共に部屋に戻った。


 部屋の真ん中に置かれたソファの上で私はお母様とは似ても似つかないようなだらしない姿勢になる。

 簡単にいえば、深々と腰掛けているというか、完全にもたれかかっている。


 あの後はお茶の味とか産地とか、色々なことをお母様は話してくれたけれど、あまり頭に入らなかった。

 はじめのうちはそんなものよ、とお母様はなぐさめてくれたけど、それはそれでつらい。


 王子様とは一度会うことに決めた。でも、たぶんそれっきりだ。なぜ、と今誰かに問われたとしても、簡単に答えられる。私が初恋をこじらせてしまったからだ。

 「彼」は、お貴族様なのに、物語の王子様のように優しかった。


 しかし、本当のお貴族様はそんなに優しいものではないと私は知っている。


 村のみんなが言っていたように、私が知っているフランツさんや、場合によってはシェリーも典型的なお貴族様なのではないか。

 自分の姉だという人物を高慢な彼と並べるのはどうも申し訳ないが、自分の思い通りに事が運ぶことを望むのがお貴族様というものだ。たぶん。


 そんなことを考えていると、ベスから声がかかった。


「イェニー様、旦那様からの言伝ことづてです。王都への出発の日程が決まりました。一週間後にここを発つそうです。それから、明日から少しずつでいいのでイェニー様の貴族令嬢としての教育を始めるように、とのことです」


 これは決定事項なのだろう。ここまで来て孤児院に引き返すという選択肢は事実上ない。私は心の中で溜め息をついた。


 それにしても、今日は昨日までの怒涛どとうの日々とは違い、時間が非常にゆっくりと流れている。というか、予定がなくて暇だ。孤児院にいた頃より暇かもしれない。


「イェニー様、いかがなさいましたか?」

「いや、暇だなぁって思って」

「でしたら、イェニー様は文字も読めるようですし、ご本を読んでみてはいかがでしょうか」

「本、ですか。読みたいです」

「それではこちらに持って来させますね」

「あの、その本はどこにありますか? 選びたいです」

「そうですね……わかりました。では、ミア。イェニー様を図書室にご案内して」

「は~い! イェニー様、行きましょう!」


 ベスが呼びかけると、どうやら私の寝室にいたらしいミアがこちらに顔を出した。

 ハタキを持っているから、掃除をしてくれていたのだろう。

 ソファを立ち、隣の部屋を覗くとやはりアニーと二人で掃除をしていたようだ。


 私たちは廊下を歩き、エントランスを越えて西側にあるという図書室に向かう。昼下がりの廊下は静まり返っていた。


「わたし、掃除が苦手だからこっちに回されたのかな~? うん、本を読むのは好きだけど、まさかベスさんがそんな理由で仕事中にこっちに行くように言うはずがないし……」

「どうしたの?」

「うん。ちょっと思うことがあって……って誰にも聞かれてないですよね!? 聞かれてたらどうしよう……あ、イェニー様~。こんな話し方をしたの、内緒にしてくれませんか~?」

「う、うん。いいけど一つ聞いていい?」

「わたしにわかることなら何でもいいですよ~!」

「オウタイシデンカってどんな人?」

「王太子殿下、ですか……」


 困らせてしまったかな? ──答えなくていいよ、そう言おうと思ったらミアから答えが返ってきた。


「女性が嫌いって噂ですね~」

「え?」

「殿下の周りに女性がみんな寄って行くんですよ~。イェニー様のお姉様のフアナ様もそうなんですけど……それはおいといて、とにかくどこにいても女性に囲まれてしまうお方なんです」

「それで女性嫌いに……?」

「みんな殿下と結婚したがっているんですよ~……それで、みんな色目を使っているから殿下は嫌になったみたいで。今までに婚約者を作ったことはないですね。あと、婚約者を作るように国王陛下から口酸っぱく言われているみたいですよ? ……これで答えになってますか~?」

「あ、うん。ありがとう」


 婚約を申し込んできた王子様は女性がお嫌い、と頭の中に書き加える。


 そうこうしている間に私たちは図書室に着いた。西側の二階、入口とは反対の北側にその部屋は設けられていた。


 中に入ると、ぶわっと古い本の匂いが広がる。孤児院の書庫を思い出すが、その部屋の中は院のそれとは比べ物にならないほど広く、おおくの本が並んでいた。


 ミアは私に好きな本を選ぶように言うと、そのまま自分も読みたい本を探しはじめた。私もゆっくりと壁際の本棚の背表紙を眺めていく。

 中には知らない言葉が書かれた本もあるし、そもそも知らない字が書かれていて読めないものもあった。私は小さな本を一冊手に取ってみる。


 椅子に腰かけて、ページを開く。現実逃避をしたくなっていた私は、あっという間に物語の世界へと引きずり込まれた。


 最後のページを閉じた頃には、私はすっかりと幸せな気持ちに包まれていた。作中の主人公の少女が幼い頃の両思いの相手と結ばれたからだろうか。


 しかし、現実に引き戻されると、多幸感はあっという間に去ってしまう。

 私があの彼と結ばれず、女嫌いだという王子様と結婚させられる運命にあるからだろうか。

 時間が遅くなってしまったので、私たちは部屋に戻ることになった。




☆☆☆☆☆




 夕食を終え、湯浴みをし、ベッドに身体を沈める。そうして、私は次の日の朝を迎えた。

 今日から王都に向かうまでの期間は、最低限の礼儀作法をはじめとした、様々なことを勉強することになっている。


 朝食の席でお父様とお母様は、別に無理しなくてもいいと言ってくれたけど、結局は学ばなければならないことはわかりきっている。

 心配させないように大丈夫です、と答えておいたが、二人ならおそらく私の内心にも気づいているのではないだろうか。


「イェニー様。こちらへどうぞ」

「は、はい」


 彼女に案内された部屋の中に入ると、そこにはすでにシェリーがいた。


 彼女は腰掛けていた椅子から立ち上がり、こちらにやって来たかと思えば、初対面の時と同じように、手が強く握られた。


「イェニー、先ほどぶりね! 今日から国王陛下の前でも恥ずかしくないように、練習しましょう?」

「うん、何をするの?」

「そうね……まずは言葉遣いを直すところからだと思うわ。貴女の話し方はどこから聞いても庶民のそれだもの」


 淑女は自身のことをわたくしと呼ぶものよ、シェリーはそう言って笑った。


 それからは、シェリーの言葉遣いのレッスンが始まる。「侍女」や「王太子殿下」といった難しい、貴族特有の言葉を教えてもらったり、はたまた助詞の使い方といった細かい部分まで、である。


「それではイェニー、国王陛下に挨拶する時の練習をしましょうか」

「はい、シェリー」

「この場合は『ええ』の方がいいと思うわ。わたくしは貴女の双子の姉とはいえ、別にそのように接してほしいわけではないもの」

「ええ、わかりました」


 そして、昼食が終わった後も含め、丸一日が特訓に費やされた。


 こうして、今までとは違う意味での忙しい日々が再び始まった。

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