第14話 お茶会と王家からの手紙

 翌朝。前日までの二日間の馬車移動のせいだろうか。私は気を張っていたつもりだったけれどぐっすりと眠ってしまった。


 ベッドまわりのカーテンを開け、室内履きを履いて窓のカーテンも同じように開ける。

 外を見れば、そこには青空が広がっていた。普段は朝の五時には起きるのに、今日は外を見る限り、もうすでに九時頃のようだ。


 私が起きたことに気づいたのか、隣室から声が聞こえてきた。


「イェニー様? 起きましたか~?」

「あ、うん」

「おはようございます!」


 部屋に入ってきたのはミアだ。昨日遅くまで寝ぼけまなこでお仕事をしていたのに、何事もなかったかのように元気そうにしている。

 あれから半日近く経っているので、彼女もぐっすり眠れたのかもしれないけれど。


「イェニー様、お着替えの後はどうしましょう? 朝食を持ってきましょうか~?」

「うん。お願い」

「わかりました! それじゃあ今日の服はどうします?」

「楽な服はない?」


 そう尋ねると、彼女は少し思案したのち、こちらを向く。


「わかりました! 服はアニーを呼んでくるので待っていてください! 朝ごはんのこと、料理長に言ってきますね!」


 彼女はそう言うと部屋を出ていった。その後、入れ違いと言っても過言ではないほどすぐにアニーが入室してくる。


「おはようございます。ミアが無礼なことをしませんでしたか? 着替えについては聞いております。今日は特に来客の予定もありませんし、大丈夫ですよ」


 そう言うと、彼女はふたつ隣の衣装部屋から一着のドレス、もといワンピースを持ってきた。少し装飾があるものの、コルセットをつけなくてもいいというだけで楽だ。


 着替えが終わると、ミアを通してお願いしていた朝食が隣部屋に届いた。やはり貴族は毎日白パンを食べているらしい。

 ベッドルームから出て食事を終えると、今度はベスが部屋にやって来た。


「イェニー様、奥様がお呼びです。楽な服装でも問題ないとのことでしたので、特に予定がなければお会いしていただいてもよろしいでしょうか?」

「私は問題ないですけど……アウロラ様、どうしたんですか?」

「イェニー様、奥様の前ではお母様と呼んで差し上げてくださいね。奥様が悲しんでしまわれますから……」


 こうして、二日連続で私の母だという人物と会うことになった。

 正直、昨日の笑顔が演技なのかも……と思ってしまい、あまり気乗りしない。


 しかし、彼女は曲がりなりにも私の母で、しかも貴族だ。逆らってはどうなるかわからない。いや、昨日の様子を見る限りそんなことはないと思いたいけれどでも演技かもしれ……。


「イェニー様? 大丈夫ですか?」


 私はベスの言葉に頷いた。




☆☆☆☆☆




 ベスに案内されて私がやって来たのは庭だ。位置でいえば私の部屋の前、邸の入口から馬車で乗ってきた道の右側あたりといえばよいだろうか。

 石造りの東屋の下には、軽食をとる準備がされたテーブルセットがあった。


 そこに座って、緊張して待っていると、ジジョを伴ったアウロラ様がやって来た。

 彼女はとてもにこやかな笑みを浮かべている。暗い思いに囚われている私とは正反対なようだ。

 彼女に私のこのような顔を見せてもよいものだろうか……そんな思いがよぎる。


「イェニーちゃん。急にわたくしの一存で呼び出してごめんなさいね?」

「大丈夫です。予定なかったですから」


 彼女は昨日の夕食の時といい、少なくとも私の前ではずっと笑顔だ。そういえばシェリーが以前「貴族は泣いてはいけない」と話していた気がする。そう考えていると、目の前のアウロラ様の顔が急に曇った。


「正直に言ってほしいのだけれど……ここに来て、困っていることはない?」

「えっと……どうしてそんなことを?」

「実はね、もし貴女がこのまま孤児院で暮らしたかったのだとしたら……という話をヨゼフ様としていたの」

「それは……」


 そうかもしれない、と言おうとしたが声が出ない。突然自分の顔を見て黙り込む少女のことをどう思っているだろうか。

 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、アウロラ様は口を開く。


「実は、貴女をここに連れて来たのはシェリーの希望があってのことなの」

「そうなんですか?」

「ええ。だから、もし急に帰りたくなったらいつでもお母様に言ってちょうだいね? それで、もしよければなのだけれど……今日はお茶会の練習をしてみないかと思って」

「わかりました。それでお茶会、というのは?」


 そう尋ねると、アウロラ様は優しく説明してくれた。


 簡単にいえば、お菓子やお茶を楽しみながら、色々と話を聞くことらしいけれど……ということは。


「アウロラ様。それはつまり……」

「イェニーちゃん、アウロラ様じゃなくてお母様と呼んでちょうだい?」

「は、はい。お母様……」


 ベスに言われていたことをうっかり忘れていた。その言葉を聞いてアウロラ様……いや、お母様は綻ぶような笑みを浮かべた。


 今にも踊り出してしまいそうなお母様。それからは根掘り葉掘り、日常の些細なことまで事細かに聞かれた。


 食事は? 服は? そんな質問にはじまり、それから……


「ねえ、イェニーちゃんには好きな人はいるの?」

「ふぇ?」


 思わず変な声が漏れ出ていた。そんなことを聞かれるとは思わなかった。


 いや、村の雑貨屋の奥さんもそういう話に興味津々だったけど。まさかお貴族様も同じだなんて……。


 どう答えよう。好きな人がいるかどうか聞かれたら、答えはイエスだ。


 ただ、答えてしまってもよいのかと言われると怪しい。私にはフランツさんとの約束があるのだ。


 でも、シェリーには言ってしまったし、家族の中でなら問題はない、かな。とは思ったけれど、私は彼の名前を知らないのだった。どう答えようかと考えあぐねるていると、お母様は


「好きな人、いるのね? 誰なのか教えてちょうだい?」


 なんてことを言い出した。顔に出ていたのかもしれない。


 これは答えるべきか否か……迷う。はぐらかす? それではまた別の機会に聞かれるだけだろう。内緒にしてと言う?


「い、います……でも言っちゃいけないって言われたので」


 そう言って私は口に人差し指を立てた。あきらめるか、あるいは今度聞き出そうという素振りを見せるのかと思いきや、目の前のお母様は突然破顔した。


「そう……そうなのね」

「そう、とは?」

「何でもないわ。ところで……」


 そう言ったお母様は後ろに控えていたジジョに目配せをする。


 彼女はこちらに進み出て一通の封筒をお母様に差し出した。

 受け取った封筒をお母様はこちらによこす。封はすでに切られており、中からは一枚の便箋びんせんが顔を覗かせている。


「貴女あてよ。開けて気を悪くしてしまったなら、ごめんなさいね。貴女と一度も顔を合わせたことがないはずの王太子殿下からのお手紙だったから」

「オウタイシデンカ……誰ですか?」

「そうね。イェニーちゃんにはまだ教えていなかったわね。王太子殿下は、この国の王様の御子で、簡単にいえば次の王様ね。そのお方がイェニーちゃんと結婚したいって」

「結婚?」


 次の王様。そんな人から私宛てに手紙が届くなんて。


 結婚、か……今までそんなこと、一度たりとも考えたこともなかった。


 王様の息子ということは、王子様みたいな人だろうか。

 いや、言葉としては王子様なんだろうけれど、王子様と結婚する? きっと断ることなどできないのだろう。

 この国のお貴族様の中で最も偉い王様の息子。断れるわけがない。


 王子様と結婚すると聞いたら、イライザは喜ぶのだろう。では私は……。


 少しその様子を思い描いてみたが、ダメだった。吐き気がする。絵本の中に出てくる王子様を想像してみたが、受け入れられない。


 キラキラの王子様と結婚できる機会なんて、他の人に譲ることができるなら、そうしたい。たいていの村娘は王子様と結婚することができるなら、喜ぶだろう。しかし、私はそうではないらしい。


「イェニーちゃん……大丈夫? 顔色が悪いわ」

「大丈夫、です……」


 私は気持ちを切り替えて、目の前の手紙を手にとる。見たこともないほど真っ白な紙には、丁寧な文字で王子様の私への想いが綴られていた。


 しかし、読み進めるほど、私の気分はどんよりと曇っていく。


 これはここに来るまでの馬車の中でシェリーが言っていたことだが、文字が読める孤児、というか平民は珍しいそうだ。それも、商人に弟子入りするかもしれない都市部ではなく、片田舎の孤児院で育った者ならなおさらだという。


 それはさておき。私は彼を受け入れられそうにない。

 私は彼のことをまだ何も知らない。しいて言えば知っているのは、彼がこの国の王子様であることと、彼の名前がフレデリクという、たった二点だけだ。というか、今知った。


 にもかかわらず、彼は私のことを好きだとか、そのような心にもないことを言っているのだ。そうに違いない。だって、会ったことすらない相手だ。


「あの、もしかして王子様って、ストーカーだったり……」

「うーん……イェニーちゃんも知らないとすれば、隠れてこっそりイェニーちゃんの生活を見ていたことも……でも本人ではなくて、部下だとは思うけれど。心当たりがあるの?」

「……ないです」


 王子様がストーカーだったなら、どうして私は気づかなかったのだろうか? そんな人物に追われていたら、気づかないはずがない。


 しかし、私はじっさい気づいていないし、まったく知らない。そう考えていると、パンッと手を叩く音がした。誰かと思えば叩いたのは目の前のお母様だった。


「そんなに嫌だった? わかったわ。この話は断ることもできるけれど……一度会ってから決めても遅くはないんじゃないかしら? どのみち王宮──王様のお城にもイェニーちゃんを連れて行かないといけないから」

「えっと。それはどういう……」

「王様がイェニーちゃんを家に帰ってこさせてもいいって、もう一度家族に戻っていいって言ってくれたことに感謝しに行くのと、イェニーちゃんがどんな子なのか王様に知らせるために行くのよ。これは他の家の子も、わたくしもシェリーちゃんたちもやってきたことだからお断りすることはできないわね。ごめんなさいね」

「お見合い、ですか?」

「お見合いではないわよ。王様にはお妃様がいるから、お見合いの必要はないわ。するなら手紙にも書いてあるけれど、王子様ね」


 そう言うと、お母様はウインクした。シェリーに年齢は一応聞いているが、そうは見えない。私のお母様は女神様のようにお茶目な人だった。

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