第13話 お父様とお母様

 着替えが終わったころにはもう日はすっかり沈んでおり、私はへとへとだった。


「終わりましたよ」

「これが、私?」


 鏡を見るように促されると、そこにいたのは絶世の美少女だった。いや、そうではないかもしれないが、少なくとも私ではない。


 まず、頬のそばかすがない。唇の血色もいい。髪や瞳の色はたしかに私のものだ。


 それでも別人に見える。ベビーブルーという淡い青色のワンピースドレスは、肩周りこそシンプルで孤児院で着ていたものと変わらないけれど。ひじの少し下あたりにはリボンをはじめとした飾りがついており、そこから先が広がっていた。


 それにしても。スカートは何枚か重ねて履いているし、靴はかかとが高いし……で動きにくすぎるのではないだろうか。やっぱりお貴族様は大変だ。


「垢抜けしましたね!」

「ミア、失礼よ。ベスさん、この後お嬢様は旦那様や奥様と晩餐でしたよね」

「そうですね。アニー、ミア。あなたたちは休憩していてちょうだい。イェニー様、それではご夕食に参りましょう……とその前に。ふたりとも、あれを出して」


 あれ、とは何だろうか。そう思っていると、差し出されたのは金の鎖に透き通った淡い桃色の石がついていたペンダントだ。どこかで見た覚えが……


「アクセサリーはこちらをどうぞ」

「あの! ペンダント返してください……!」

「心配しなくても大丈夫ですよ。今からイェニー様がお使いになるかと思ってお持ちしました。イェニー様にとって大切なものだと、わたくしどもは重々承知しております」


 なぜあんなにも大切なものの存在を今まで忘れていたのだろうか。でも、ペンダントが無事でよかった。

 そう心を落ち着けている間に、私の首にペンダントがかけられる。


「旦那様も奥様も。もちろんわたくしたち使用人もおかえりをお待ちしておりましたから、何の心配もございませんよ。シェリー様も先に行ってお待ちです」


 ふたりが退出していく。ベスに促された私は、椅子から立ち上がった。しかし。


「あの、ベス……この服、裾を引きずりそうなんですが」

「ああ、お伝えし忘れていました。詳しくは後日教わることになるかと思いますが、このような時はスカートを軽くつまみ上げてください……そう、そのように」


 お貴族様のドレスは、着ているとわからないものだけれど、スカートを持ち上げてみた限り意外と重いものらしい。


 私はベスに案内されるがままについて行く。やがて彼女が立ち止まったので、なんとか目的の部屋までたどり着けたようだ。

 コンコンコンと重厚な扉から子気味よい音が響く。


「旦那様、ベスです。イェニー様をお連れしました」

「うん、いいよ。入っておいで」

「失礼いたします」


 そう言ってベスは両開きの扉の片方を引いた。中には細長いテーブルが置かれており、部屋の奥、窓側の端にはシェリーと、一組の男女が座っていた。男性は私に気づくと、声をかけてくれた。


「イェニー、こっちへおいで」


 そう言われた私はベスの方を振り向いく。彼女が頷いたのを見て、私はシェリーたちのいる部屋の奥の方に向かった。

 すると、壁際に控えていた男性が椅子をひき、私はそこに座るようにと促された。


「うん、座って大丈夫だよ。君は僕たちの大事な子だからね。今日は君のために料理を用意したんだ」

「あ、ありがとうございます……」


 私は感謝の言葉ぐらいしか返す言葉が思いつかず、それだけ口にすると席につく。

 すると、今度は目の前の女性がこちらに身を乗り出した。


「会いたかったわ! わたくしたちのイェニー。これまで辛い思いをさせてしまって本当にごめんなさいね……」

「アウロラ、仕方なかったんだ。だって……」

「あなた、仕方ないというのは事実でも言っては駄目よ……イェニーちゃんの前で仕方ないも何もないでしょう? わたくしたちはもっと他の道を模索すべきだったのかもしれないわ」

「うん、君の言う通りだ。イェニーはきっと心細かっただろうから……ってごめんね。僕たちばっかり話しちゃって」

「あ、いえ」

「本当に大丈夫? 何かあったら何でも言ってちょうだいね?」

「は、はい」


 これが私の両親か。かなり押しが強い気がする……そう思っていると、父親であろう男性が話し始めた。


「自己紹介がまだだったね。僕はヨゼフ・リチェット。君の父親だよ……これまで父親らしいことなんて一切できなかったから、これからはそうさせてほしい」

「貴女のお父様がこんなでごめんなさいね……わたくしはアウロラ。貴女のお母様よ。わたくしもお母様らしいことなんて、何一つできなかったけれど。これからはたくさん頼ってちょうだいね? お父様にも、他のみんなにも」


 何というか、私の父母だという人物は、息ピッタリな夫婦のようだ。

 やや早口なところは初対面の時のシェリーにそっくりで……なのに、右をちらりと見れば、シェリーが呆れたような顔をしていたのがちょっとおかしい気がした。それはともかく。


 私の父母だという夫婦は、お貴族様らしく顔が整っていた。

 私の正面に座る、母だという人物はアウロラという名前らしい。チェリーブロンドの髪を後頭部でアップにしており、どこか甘さを感じさせる紫の瞳は私を凝視している。


 品定めをされているのかと思ったが、そこには間違えようもないほど、親愛の情が見てとれる。しかし、目の前の女性は十五の娘を持つ母親とは思えないほど若い。


 その左側、シェリーの正面に座っている、父だという人物がこの侯爵領を取りまとめるヨゼフ・リチェット侯爵だという。

 麦畑の色に似た金髪に、ピンクの瞳という、その両方が私の色にそっくりのものだった。

 あとは、ややぽっちゃりとした体型……と言うのはちょっと失礼かもしれない。


 この二人が私の両親というのは本当らしい。容姿を見れば一目瞭然とはこのことだろう。

 そこまで考えてはたと気づく。まだ私の自己紹介が済んでいないのではないか。私は二人に倣って自己紹介を始めた。


「はじめまして、お父様、お母様。イェニーです。よろしくお願いします」

「ええ、知っているわ。だって貴女はわたくしたちの子どもだもの。わたくしのイェニーちゃんは本当にかわいいわね……これから、よろしくね」

「アウロラの言う通りだよ。何か不足があれば言ってほしい。それじゃあ、食事にしようか。イェニーはお客様じゃなくて家族だから、今日は一度に全部持ってきてもらうつもりだけど、それでいいかな?」


 私が何のことかわからずに困っていると、横からシェリーが教えてくれた。

 お客様をお迎えする時は、決まった順序で食事が提供されるのだそうだ。そして、今回は孤児院でしていたように、全部の料理を一度に並べるのだという。


 やはり私はお貴族様のことをまだまだ知らないらしい。特に断る理由もなかったので、私は頷いた。


 お父様の一声で、部屋に食事が運び込まれる。中には見たこともないような料理もあった。

 パンと牛肉はわかる。しかしスープ、そして芋を中心に野菜を白いものとえた何かの正体はさっぱりだ。


 でも、どれも孤児院のみんなにも食べさせてあげたいと思うぐらいにはおいしい料理ばかりだった。




☆☆☆☆☆




 食事を終えた私は、ベスの力を借りて自分に与えられた部屋に戻った。歩くのにも一苦労なのに、この服装で階段を上るというのは何の罰だろう。

 部屋について早々に、私は真ん中のソファに座り込んだ。


 その後、ベスが先ほどのふたりを呼んできた。アニーはこの時間でもしっかりしている一方、ミアはとても眠そうにしている。

 ベスは私の前で眠そうにしているミアを諌めたが、私は特に気にしていない。孤児院なら子どもたちはもう寝る時間なのだ。


 そうして、私は昨日の寝巻きに着替えさせてもらった。


 今日の夕食でしたような服装は、わりとする機会があるらしい。あれに慣れなければならないと思うと少しげんなりする。

 しかし、生まれてから捨てられることがなかったら、何の疑問も抱くこともなく当然のように着ていたのだろう。シェリーのように。人生何があるかわからない。


「おやすみなさい、イェニー様」

「おやすみ、みんな」


 いくら考えたところで、詮なきことだ。悩んだ時は寝るのが一番。

 私は寝室のベッドに潜り込み、カーテンを閉める。宿のものよりも柔らかいベッドはとても寝心地がよかった。

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