第12話 歓迎されているはずなのに
領都、それは私の想像以上の場所であった。
馬車の中から覗いてみたが、どこを見ても人、人、人である。商人の乗る馬車もそこかしこを走り回っている。
私は十五年生きているが、人生の中でこれほどの
そもそも人が多すぎるのだ。村とは比べようもない。今朝出てきた宿のある町ですら足元にも及ばない。
レンガ造りの建物は、夕陽を受けて赤く輝いている。二階……というか、屋根裏部屋だろうか。各々の窓には可愛らしい花が飾られていた。
その様子が春の訪れを喜んでいるみたいだ。私なら麦を飾っていたかもしれないけれど。
大人ひとり分の身長の短い橋を越え。中央の水を天に吹き上げるモニュメントを人々が眺める広場を右に曲がり。やがて馬車は硬質な門の前で止まった。
黒い鉄柵の奥には頑丈な扉。石造りの壁はいかにも丈夫そうで、私の知り合いではこの向こう側に行くことは叶わないのだろう。
やがて門が開かれると、再び馬車は中に向かって進み始めた。
向かう先にはいくつかの大きな建物が見える。どれも輝いて見えたが、今の私はそれに感動する余裕もない。父母との対面が近づくにつれ、私のお腹はきりきりとし始めた。
馬車が止まりしばらくすると、扉が開かれる。三度目ともなれば、慣れたものだ。
私は内心を隠しながらも感謝の気持ちを伝え、差し出された手を頼りに馬車を降りた。
目の前の建物は遠目に見た時に比べて、予想外に大きかった。私がこれまでに見たどんな建物よりも、である。
しっかりした石造りの建物は、町の家々と違って、淡い橙色をしていた。
加えて、質のよさそうなガラス張りの窓が、壁の多くの面積を占めている。その建物だけで裕福なのだと一目見てわかった。
孤児院にも窓ガラスはあったが、表面がガタガタしていたあれとは大違いだ。
目の前に視線を移せば、そこにはきっちりとした衣装に身を包んだ数人の男女が並んでいた。
よく見れば、女性たちはベスと同じ服装をしている。馬車の中でシェリーが話していたシヨウニンの女性の服装なのだろう。
中央に立っていた長身の男性がこちらに進み出た。
「おかえりなさいませ、シェリー様、イェニー様」
彼はそう言うと、深々と礼をした。続けて他の人たちも彼に同じく礼をした。それを呆然と見ていると、右にいたシェリーが一歩前に進み出る。
「ただいま、みんな。イェニーと帰ってきたわ」
直後、私は彼らの視線を集めた。
どう答えればいいのかわからない。どうすれば正解なのか……
そう私が悩んでいると、斜め後ろにいたベスから声をかけられた。
「皆様、イェニー様が困っておられます。さあさあイェニー様、ひとまずお部屋に向かいましょうか」
「そうですね。その方がよろしいでしょう」
そうして、私はベスに部屋まで案内されることになった。
中に足を踏み入れると、内部の印象は外から見たそれとは違っていた。孤児院を豪華にした感じ、といえばよいのだろうか。
目の前に広がるのは大きな階段だ。吹き抜けになっている天井からは、今朝食事をとった部屋にもあったシャンデリアがぶら下がっている。
床はダークブラウンの木の板が敷き詰められており、その上に赤い絨毯が敷かれている。
壁には白い漆喰と、こちらも落ち着いたダークブラウンの木組みが使われていた。左後ろからあたる日没前の光が、邸内によりあたたかみを感じさせる。
二階に上がると、私は玄関から向かって右側の、入口側の部屋に案内された。入ってみると、中は非常に可愛らしくまとめられていた。
正面には大きなガラス窓があり、昼間は日光をたっぷりと取り入れられる造りになっている。
床こそ他の場所とまったく同じものが使われていたが、壁は白く塗られた木が部屋の四隅と上方に用いられていた。
その上、壁には淡いグリーンの壁紙が貼られているようであった。それと合わせたのか、重厚なカーテンは色素の薄い青で目に優しい。
中央には低めのテーブルと白みがかったベージュのソファがあり、壁際にはまた別の机と椅子があった。
どちらも机は白いものが使われており、高い方の椅子は白い木と飾りの金色の金具でできていた。座るところに置かれているのはいかにも柔らかそうな青いクッション。
「イェニー様、こちらが寝室です」
「これが……」
寝室だという右側の扉をくぐると、そこは入口で床が一段高くなっていた。
絨毯はくすんだピンクというべきか。ベスによると、ここで靴を脱ぐのだという。
さらにその奥、壁際に置かれたベッドにはなんとカーテンまでついていた。窓際のものは前の部屋と同じ色素の薄い青だったが、ベッド回りのカーテンは鮮やかな赤に金色がアクセントになっていた。ちなみに壁紙の色も同じだ。
「ベッドにカーテンがあるなんて……」
「イェニー様はご存知ないかと思いますが、侯爵家ともなれば当然ですから。旦那様がご用意してくださったのですよ」
あとで感謝の気持ちを伝えなければ……そう思いつつ前の部屋に戻ると、入口から見て左側、つまり今私の正面にある扉が開いていた。
「こちらは衣装部屋ですよ。イェニー様が入ることはないかと思います」
やんわりと入室を断られた。部屋の中に今回持ち出した荷物を片付けているのだという。さて、とベスは話を切り替える。
「イェニー様、湯浴みと行きましょうか。旦那様と、イェニー様のお父様と会う前に綺麗に整えなければなりませんから」
☆☆☆☆☆
私はベスに案内され、一階の東翼、北側にある浴室に移動した。
着替え用の部屋と、浴槽のある部屋は繋がっているようだ。浴室だけは邸内の他の部屋と違って、全面石造りだった。
ダイリセキという高価なものを使っているらしい。壁はカーテンがしまっており、外から見えないようにしているのだそうだ。
とはいえ、開ければ窓ガラスからは裏庭が見えるらしい。とにかく、このようにして私は三たび、ベスの職人技のお世話になったのだ。
バスローブをまとい浴室を出ると、何人かの女性が待っていた。そこに用意されていたのは、ここまで着ていた服に比べても大きな服や、はじめて見るものばかりだ。正直タオルぐらいしかわからない。
そして、目の前には同年代であろう少女ふたりが並んでいた。
「アニー、ミア。ご挨拶を」
「旦那様よりイェニー様のお世話を仰せつかりました。アニーでございます」
「ミアです! よろしくお願いします!」
「ちょっとミア、お嬢様にその態度はないでしょ!? あなた、本当に貴族なの?」
「貴族とか関係あります~?」
「私はお嬢様に対する態度を直すべきだと言っているの。わかる?」
「この子たちはこの通り、まだまだなところがありますが……その働きぶりはとても評価が高いのですよ」
「イェニーです。よろしくお願いします」
私が頭を下げるとふたりに慌てふためかれた。そういえば、主人はシヨウニンに頭を下げないんだっけ?
その後私たちは仕切り直してお互いのことを紹介した。
アニーは黒髪に灰色の瞳をしていて、私より背も高い。おそらく年上だろう。細い黒縁の眼鏡のせいか、しっかり者のように見える。
実家は商人をやっているのだという。商人と聞いて旅商人を思い浮かべたけれど、その後商人のイメージを覆されたことは彼女には秘密だ。
ミアは明るい茶髪をおろしており、瞳は栗色だ。私より背が低く、華奢な体型をしている。元気いっぱいという感じだが、農作業には向いていなさそうな体つきだな、と思ったのは私が村にいたせいもあると思う。
自己紹介が終わったところで、私は目の前の服に着替えることになった。
靴下にはじまり、下着のワンピース、パニエという鳥籠みたいなもの、新しい靴とどんどん重ねられていく、が。
「あの、ミア……ちょっと苦し……!」
「イェニー様~、コルセットは貴族女性にとってものすごく大事なんですよ! でも、イェニー様は体型がいいですから、そこまできつくないはずなんですけど~……」
私はコルセットというものに苦しめられていた。何これ。お貴族様はとても余裕がありそうに見えていたが、実は見えない所でこんなに苦しんでいたのだろうか。
これできつくない、というのだから恐ろしい。もはや私にはこれから先のことを考えている暇もなく、脳内は痛い苦しいやめての大合唱だ。
着替えが終わった頃には、私はすでに息絶え絶えだった。やっと終わったかと思えば次の瞬間、これはまだ途中なのだと思い知らされる。
「それでは、お化粧いたしましょう」
そこからは再びなされるがままだ。チークがどうとか、よくわからない言葉が飛び交っていた。
孤児院にいた頃は化粧なんてしたことがない。私にとって化粧とはお祭りで大人の女性がするもので。
そういうわけで、ベスに入浴のあれこれをされて以来、私は小麦粉まで加工されていく小麦の気分とはこんなものなのかもしれない、などと現実逃避をしていた。
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