第19話 無冠の男
北の国境にある砦の惨状は、すさまじいの一言だった。生存者は皆無で、砦の外にはルニエが治めていたヴァレリア帝国軍とランドラブ軍、双方の骸が葬る者もなく打ち捨てられている。死骸をむさぼる虫や獣はルニエが支配能力の応用で寄せ付けないようにしてくれているが、彼女を中心とした円形の外でうごめくそれらの存在が嫌悪感を呼び起こすのはどうにもならなかった。
立ちこめる腐臭も耐えがたい。手と布で口元を覆って、足早に進む。一刻も早くここを抜けたい一心で足を動かしていたが、不意にルニエが歩を緩めた。彼女の目線を追って、麟太郎も気付いた。周囲と比較して、戦闘の痕跡が新しい一角があるのだ。近くへ寄って、死体の様子を観察する。
「どれも頭を砕かれてる。フラクタの仕業か?」
「おそらくね。数日前ってところでしょう」
隠れ家を出てから一週間が経っている。ケッセン平原での戦いから数えれば十日だ。ルニエに執着するフォークトの警戒網をかいくぐるのに時間を使ってしまった。持ち出した食料はすでに尽き、頼みにしていた砦の兵糧も根こそぎ略奪されていた。国境を兼ねるヤンクシー河に出れば水は手に入るだろうが、食べ物についてはこの先もしばらくは期待できないだろう。
幸い、天輪持ちは水さえあればそう簡単に餓死することはないらしい。狂おしいほどの空腹感を無視すればの話だが。もう少し経てば今度は空腹を感じなくなるというが、身をもって確かめるのは遠慮したい。気を紛らわせるため、使えるものはないかと視線を走らせる。
補給部隊のものだろう焼け焦げた馬車があった。食料こそ根こそぎ食い尽くされていたが、いくらかの物資を得られたので川縁へ向かう。目の細かい布を重ねて濾過し、鍋で煮沸して飲み水を作る。燃料と火打ち石もあったのは幸いだった。革の水筒に詰め、残りを二人で飲めるだけ飲む。
のどが潤うと空腹感はさらに増したが、ルニエが文句ひとつ言わないのに不平を垂れるわけにもいかない。全身にまとわりつく疲労を振り切って立ち上がる。フラクタとリヴィンはずっと先を行っているのに、こんなところで立ち止まっている場合ではないのだ。
「さ、いこうぜルニエ」
「そうね」
「俺が肩車してやれば、さほど濡れずに……」
勢いこんで口にしかけた提案は尻すぼみになってしまう。ルニエが軽く手を振っただけで、氷の橋がみるみるできあがっていくのを目にしたからだ。
「せっかくだから、肩車してもらう方がよかったかしら?」
「…………」
「すねないでよ、もう!」
実のところ、すねたわけではない。少しはそういうところもあったかも知れないが、それ以上に直視できなかったのだ。笑みを含んだからかうような口調も、こらえきれずに吹き出す様子も、あまりにかわいくて口元が緩んでしまう。この世界で目覚めて、初めて味わう安らかで幸福な気分だった。
氷の橋を渡ってヤンクシー河を超え、今は主を失ったランドラブ領に入る。街道らしきものは続いているが、石畳は酷くすり減り、あちこちで途切れては剥き出しの土になっている。凹凸や傾斜も激しく、長いこと整備していない様子が見て取れた。全体的に荒んだ印象だ。
「これはヴァレリア街道。私たちが倒した〝不滅の永遠〟ヴァレリアンが建設させた街道なの。当時はアシロパ大陸全土がヴァレリア帝国の版図で、街道は辺境の隅々まで伸びていた。〝全ての道はヴァレリアに通ず〟って貴方は表現してたわ。そういう時代があったのよ、五百年くらい前にね」
「五百年……ってことは、そいつは〝不老不死〟みたいな能力を持ってたのか?」
「ええ。私たちはヴァレリアンを倒して、皇帝位を簒奪した。それから三年……長いようで短かったわね。荒れた領地を立て直し、南征を終えて、今度は北へ目を向けようとしたところであの女に天輪を砕かれて、後は貴方も知ってる通り。得るのは困難でも、失うのは一瞬ね」
簡単に表現したが、決して楽な道ではなかったはずだ。
ルニエとリヴィン、そして麟太郎。三人でそれを成し遂げたのだと彼女は言う。
「ルニエはすごいな。リヴィンもだ。皇帝か……想像もつかないな」
「……なに言ってるのよ。力はあっても目的がなかった私とリヴィンに、リンタローが方向性を与えたのよ? 作戦を考えたり方針を決めたりするのも貴方が中心だった。私は貴方たちの言う通りに動いただけ。それが悔しくて、たくさん学んだわ。言ったことはなかったかも知れないけど、貴方は師匠でもあった」
「俺が?」
正直に言って想像もつかない。予想外の言葉に戸惑っていると、ルニエが慎重に言葉を継ぐ。
「……そうね、振り返ってみれば、貴方も虚勢を張っていただけなのかも。危ない場面は数え切れないほどあったし、予想外のアクシデントで酷い目に遭うこともあった。だとしたら、そうさせたのは確実にあいつね。そういうやつよ、リヴィンは」
「人を使うのが上手いってことか?」
「人をその気にさせるのが上手いの。なんか……あいつに言われるとできる気がしちゃうというか……実際にできちゃうというか……ふと我に返るとすごい無茶してる自分に気付くというか……」
「天輪の能力なのか、それ? サーデンの〝鼓舞〟みたいな」
「あいつの天輪、よくわかんないのよね」
「ルニエでも?」
「そう。その方がいいんだってリヴィンは言ってた。わけわかんない」
頬を膨らませるルニエ。彼女は気付いているだろうか、リヴィンのことになると酷く子供っぽい顔を覗かせることに。指摘すると酷い目に遭わされそうなので口にはしないが。笑っているのを見咎められても怒られそうなので、やや足を速める。街道は途切れながらも続いているので迷う心配はなかった。
「天輪と言えば、これの持ち主は誰だったんだろうな」
背嚢から赤黒い天輪を取り出し、指先にかけてくるりと回す。麟太郎が握り締めていたという話だが、まさか手で持って運ぶわけにもいかず、背嚢に入れてあった。かなり頑丈でちょっとぶつかった程度では壊れなさそうだが、どういう状態なのか未だに判然としないので扱いに困る。ルニエが〝継癒〟と呼んだ能力は健在で、ちょっとしたかすり傷ならものの数分で治ってしまうのには助けられていた。
「気になるの?」
「リヴィンと全く関係ない、ってことはないだろ?」
「状況から考えるとそうでしょうけど、そこから答えが読み解けるとは限らないわ」
「……なにかの意図を持って俺に握らせたのか、それともたまたまこうなっただけなのか分からないから?」
「そうよ。なんだ、頭は回ってるじゃない。こういう考え方も、貴方から教わったのよね」
過去の麟太郎は、ずいぶんがんばっていたらしい。自分も気を引き締めないと失望されそうだ。
「それにしても、ランドラブ領に入ってからどうも雰囲気が悪いな」
敵がいるというのではない。補修の行き届かないヴァレリア街道もそうだが、街道の両脇に広がる森や、それを抜けた先に広がる畑も荒廃しているのだ。ねじくれた枝と生い茂った下草で視界を塞がれた森は人の侵入を拒むようだったし、野放図に刈られた畑では少なくない量の作物が踏みしだかれ、そのまま腐っていた。虫の数も多く、ルニエの虫除けがなかったらかなり不快な思いをしたことだろう。
「ランドラブ軍が略奪しているところは見たでしょう? 進軍速度を優先して、あれを自領でもやりながら進んできたんでしょう。非保持者が飢えて死のうとお構いなしに、ね」
「……酷い話だ」
「貴方の世界では、非保持者が一揆? っていうのを起こすのよね。そういうのはないから」
「ランドラブが死んで、この地はどうなるんだ?」
「新しく生まれた天輪持ちが頭角を現すか、他から流入した天輪持ちが幅を利かせるか、いずれにしろ戦いになるでしょうね。今は嵐の前の静けさってところかしら」
「なんとかならないのか? 先んじてルニエが支配するとか……」
深く考えずに発した言葉は、強い口調で遮られた。
「リンタロー、私たちの目的を忘れないで。ここを一時的に取っても、次は旧ヴァレリア帝国の掌握を済ませたフォークトとの戦いになる。私が、私たちが手塩にかけた肥沃な領地と豊富な資金力を持つ精兵と! この死にかけの土地の絞りかすみたいな兵で! 戦いになるわけないでしょ!」
キレている。普段は冷静なルニエが地団駄を踏んで悔しがっていた。
一度は放り出そうとした領地だが、やはり奪われたのが腹に据えかねたらしい。
「頭にきた、あの野郎! 思い出すだけで腹が立つ! なにがぼくのモノになれ、よ!」
ひとしきり騒いで落ち着きを取り戻したルニエはフォークトについてこうまとめた。
「あれは放っておいていい。能力は割れてるし、嫌なタイミングで人の弱みを突くのは得意でも、戦の天才ってわけじゃない。リヴィンを取り戻してからでもひっくり返せるわ」
「じゃあ、フラクタを見つけなきゃだな。やっぱりそこに戻ってくるか」
フラクタの目的は推測できるし、痕跡も見つかっている。だが一週間近く先行していると思われる彼女を捉える方法となると難しい。また発見しただけで終わるとは思えず、間違いなく戦闘になる。リヴィンがどういう状態にあるのかも不明で、作戦が立てにくい。ルニエとも話したが、具体的にどうやってフラクタを打倒し、リヴィンを取り戻すのかは棚上げにするしかない。
それに、腹案もなくはない。
「それはそれとして……」
「お腹、空いたわね……」
二人して顔を見合わせる。やはり水を飲んだのがいけなかったのか。しかし空腹はともかく脱水はまずいという程度の知識はある。日も暮れつつある。食べ物を、できれば民家を探したいところだ。ちょうど分かれ道に差しかかる。街道はやや東へ折れ曲がり、西には細い道が伸びている。
「街道沿いの村はどうせ略奪され尽くしてるわ。他の天輪持ちが入りこんでいる可能性も高い」
「じゃあ西だな」
空腹でものを考えるのも億劫になり、示し合わせたように黙って先を急ぐ。道は曲がりくねり、次第に山道に変わり、わずかな残光も木々に遮られて足元が覚束ない。この先に集落があるのか不安を覚えつつも進むこと十分あまり、民家の灯火を見つけて安堵のため息をつく。
その瞬間を狙い澄まし、矢が飛来した。ルニエに突き飛ばされ、たたらを踏む。
背後の幹に深々と突き立った矢を見て、頭部を射貫かれる寸前だったことに背筋が冷える。
「ルニエ!」
「無事よ。リンタロー、貴方ちょっと浮ついてない?」
「うっ……」
空腹は言い訳にもならないだろう。ルニエも条件は同じだ。
反省は後でいい。短く息を吸って、吐いて、切り替えた。
「樹を避ける狙撃……〝軌道制御〟の類いね。威力から見て、射手はおそらく覚醒したばかり。一応、単独じゃない可能性と〝軌道支配〟レベルの使い手である可能性も考慮して周辺警戒」
「わかった。どっちが追う?」
「逃げられても厄介だし、私がやる」
「了解。背中は任せてくれ」
「今度はよろしくね?」
薄く笑って言い残すと、ルニエは気負いのない歩調で進んでいく。
続けざまに矢が放たれ、頭部と脚部、そして回りこむように側面からルニエに迫った。
しかし飛来した矢はその全てが彼女に届く前に空中でぴたりと静止してしまう。
魔女の周囲で滞空する矢が二十を超えたところで矢の雨は止んだ。
「こんにちは、狩人さん。力の差は理解してくれたかしら?」
山刀をぶら下げて家屋の陰から姿を現した人物にルニエが声をかける。
森に溶けこむような暗緑色の天輪の持ち主は、狼のような遠吠えを森に響かせた。
四方から下草を踏みわけるかすかな音と気配が伝わってくる。支配した非保持者を潜ませていたのかと思ったが、違った。夕闇に光る瞳の位置はごく低い。唸り声は獣のそれだった。十頭は下らない狼の群れと、狩人を挟んで並ぶ二頭の熊。かすかな獣臭と濃厚な血の匂いが鼻を突いた。
「獣の支配。悪くない能力ね。いいわ、抵抗を許します」
狩人は応えず、前触れもなくルニエに向かって疾走する。支配下にある獣たちも一斉に駆けた。地を蹴り、身体をたわめ――しかし獣がルニエに飛びかかることは決してなく、距離が詰まるにつれて足が鈍り、尻尾を丸めてその場で回ったり、伏せたりし始める。それを見た狩人の足も止まる。
「どうしたお前たち、動け! 僕の言うことが聞けないのか!」
マフラーで顔を隠しているのでわかりにくかったが、その声を聞けば狩人がまだ少年と呼んでもいい歳であることはすぐにわかった。彼は手にした山刀に目を落とし、逡巡する間を見せた。
その顔のすぐ横を矢尻が通り過ぎる。薄く裂かれた頬から血が滴る。ルニエが支配下に置いた矢をノーモーションで発射したのだ。速度は少年の放った矢の比ではなく、麟太郎も目で捉えるのがやっとだった。もちろん、わざと外したのだろう。頬をかすめたのは操作精度の誇示に他ならない。
「〝支配〟の深さも〝軌道制御〟の強度もお話にならない。狩人さん、貴方はこの村の天輪持ちでしょう? 殺しはしないから、話を聞いてくれないかしら?」
ルニエが淡々と告げる間にも支配は進み、獣たちはもはや少年に向かって牙を剥き、唸り声を上げている。滞空する矢も少年の周りを遊弋し、全方位から彼を狙っている。天輪持ちとしての地力が違いすぎるのだ。彼の固有能力であろう〝軌道制御〟も、ルニエにとっては基本能力たる〝支配〟の延長に過ぎない。勝ち目がないのを理解してか、少年は山刀を手放すと両手を広げて見せた。
「懐に忍ばせたナイフも〝軌道制御〟の対象でしょ? ゆっくり地面に投げ捨てて」
「……チッ、わかった降参だよ」
「後ろを向いて。手は頭の後ろで組む。そう。その場でひざまずいて。腹這いになって。そのままよしって言うまで動かない。大丈夫、言う通りにしてれば痛くはしないから」
堂に入った無力化手順だった。おそらくこれも麟太郎が彼女に教えたのだろう。
ルニエは無造作に歩み寄ると、少年の天輪に触れた。二人の天輪が輝きを放つ。
「……はい、支配完了。これでこの子は私たちに手出しできない。私より強力な支配能力持ちに上書きされない限りは、だけどね」
つまり、確実に安全ということだ。鮮やかな手並みに感心する。
「すごいな、ルニエ」
「お世辞はいいからご飯にしましょ。ねえ、狩人さん、貴方の名前は?」
「……カルルア、だ……です」
「話しやすい口調でいいわ、カルルア。支配とは言ったけど、貴方の行動を縛るつもりもない。そのあたりの説明もしたいから、落ち着けるところに案内してくれる?」
うなずいた天輪持ちの少年――カルルアに連れられて一軒の民家に入る。素朴なログハウスといった趣で、光源は囲炉裏だけだった。この際、ベッドなどないことに文句は言わない。食欲をそそる匂いを漂わせる鍋が鉤にかかっているのだから十分だ。大振りな椀によそう前に、カルルアはよく煮えた具材を一口だけ食べ、煮汁を啜ってみせた。毒は入っていない、という意味だろう。
椀によそわれたのは猪肉の煮こみだった。思わず涙が出るほど旨いそれを噛み締めながら、カルルアが天輪に目覚めた経緯を聞く。彼の頭上に天輪が現れたのは一週間ほど前で、狩りから戻ってきた際に村人を襲う男を見つけ、その頭を射貫いた時だという。
彼の位置から見て男は村人の陰になっていたが、命中するという確信があった。事実、矢は村人を避けて男の眉間を射貫いた。これは村の皆を守るための力なんだと思う、と彼は語った。ルニエからは、天輪の使い方についての簡単なレクチャがあった。手探りで試すことを考えれば有益な情報だ。
「わかった。君はこの村を守るといいわ」
「いいのか?」
「明朝にはここを発つ。保存の利く食べ物を分けてもらえるとありがたいのだけど」
「色々教えてもらったし、それくらい構わないさ」
食事が終わると、あんたたちが使うなら僕は別の場所で寝るよと言い残して、カルルアは出て行った。曇った窓ガラスから彼の背中が見える。村の外れ、暗い森の中へとカルルアは消えていった。ルニエは足音が遠ざかって完全に聞こえなくなるまで待った後、薄く微笑んだ。
「どう思った?」
「この村で目覚めた天輪持ちは二人だった。もしくはカルルアは外から来た」
「村人を襲ったのもどっちだったんだか。村の外からでも血が匂うのに、死んだのがたった一人、しかも眉間を貫いて一撃で仕留めただなんて、腕自慢にしても笑っちゃう。獣たちも飢えた様子はなかった。この村に何人いたかなんて私たちにはわかりようがないし、ごまかせると踏んだんでしょうね」
「カルルアをどうするんだ?」
「特になにも。言った通り、私たちは明朝ここを発つ。それだけよ」
「……わかった」
「意外ね。リンタローは抗議するかと思ったわ」
「して欲しいのか?」
「……ごめんなさい。ちょっと意地悪だったわ。カルルアはちゃんと支配してある。支配下にある非保持者はちゃんと守るわ。命懸けで、とまでは強制できないけれど」
「一応、聞いとくけど。その支配は負担になったりするのか?」
「リンタロー、誰に向かって言っているの?」
麟太郎の問いに、ルニエはこれ以上ないほど得意気な表情を作ってみせた。
部屋は暖かく、腹は満ちている。沸かした湯で固く絞ったタオルを使って身体を清めると、抗いようもないほど強い眠気が訪れた。見張りは夢の支配者でもあるルニエが片手間にこなしてくれるらしい。ルニエさまさまと言えよう。速やかに意識は途切れ――
「起きなさいリンタロー!」
主観的には眠りに落ちた瞬間に叩き起こされた。
反射的に不満の声を上げかけた瞬間、顔に熱気を感じて言葉を飲みこむ。周囲は火の海だった。
「見張ってたんじゃねーのかよ!」
「だから起こしてあげたでしょ!」
寝てたなこいつ、と確信する。
だが、まずは避難だ。背嚢と装備一式をつかみ、外套をルニエにかぶせて抱きかかえる。戸口に突進し、ログハウスを転がり出た。即座に起き上がって走りながら周囲を見渡す。敵の姿はない。だが戸口を塞ぐように積み上げられた材木を見るまでもなく、これは明らかな放火だ。
腕の中でぼうっと麟太郎の顔を見上げるルニエを揺すって、自分の足で立たせる。
呆けている場合じゃないだろう。
「ルニエ、支配はどこまで伸ばせる?」
「三百メートルはいけるわ」
「村人を全員集めろ。逃げるやつがいたら教えてくれ」
「……これはカルルアね。逃げたわ」
「そっちはいい。村人に天輪持ちが紛れてるかも知れない。頭を隠してるやつがいたら要警戒だ」
「フードは取らせる。顔を隠してるやつがいたらそいつが犯人よ」
集まった村人は燃えさかる家屋を消火するでもなく虚ろに見上げている。
だが天輪持ちは一人もいなかった。カルルアにはルニエと麟太郎を攻撃できないよう縛りをかけているので犯人から除外していい。素早く火を付けて逃げたということになるが、二人を狙った攻撃なのだとしたらそれもおかしい。どうにも不自然な状況だった。
「……ルニエ」
耳元で囁くとルニエはくすぐったそうにしていた。真面目にやって欲しい。
直後、村人たちが一斉にしゃがんだ。ルニエの指示だ。
ざっと目を走らせ、そいつを見つけた。一瞬だけしゃがむのが遅れた非保持者だ。ハルバードを構えて突進し、反応する間も与えず叩きのめす。手応えは――少々あり過ぎた。骨の折れる、嫌に軽い音が柄を通じて聞こえた。男は苦悶し、その場にしゃがみこんだ。
「こいつ……」
「非保持者、ね」
「支配はかけたんだろ?」
「かけたわ! でも……!」
「かからない、のか」
試しに麟太郎も支配を試みる。普段なら苦もなく手を伸ばせる場所に強い抵抗を感じた。男は泡を吹き、骨折とは違うなにかに苦しんでいるようにも見えた。
「……だめ。無理をすると壊してしまいそう」
「こいつは村の人間か?」
ルニエが支配を試みる間に、村人に尋ねる。答えは否だった。やはり男が放火犯だろう。
「俺たちを殺そうとした、のか……?」
「……そうだ」
独り言のつもりだった。返ってきたのは、地の底から湧き上がるような怨嗟のこもった声だった。
「残念だが俺はここまでだ。だが忘れるな保持者よ。きっと仲間が……ぐふっ」
男の口から溢れた液体が地面に散る。炎に照らされたその色は鮮やかな赤。
舌を噛んだか、あるいは毒を飲んだか。慌てて背嚢から赤黒い天輪を取り出して延命を試みるも、男はすでに絶命していた。覚悟の自決。強い目的意識を持ち、万にひとつの可能性にかけてルニエと麟太郎を――保持者を焼死させようと企んだのだ。
火勢が増し、梁が崩れ落ちる音を聞きながら、しばらくルニエと顔を見合わせていた。
なにかが変わろうとしている。口には出さずとも、お互いにそう思っていることが知れた。
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