第18話 リヴィンとフラクタ

 焼け焦げ、打ち崩された石壁から激しい戦闘の痕跡が読み取れる国境の砦を脇目に、フラクタはリヴィンを連れて北へ向かっていた。見晴らしのいい原野には腐臭を放つ死体が目につく。死者の目玉やはらわたをついばみ、丸々と太ったカラスやネズミの鳴き声と草を揺らす風の音しかない。十万を超えるランドラブの軍は、大半が討たれるかフォークトの支配を受けるかして消滅したようだ。


 フラクタもリヴィンも、主を失って草を食んでいた軍馬にまたがっている。このまま北へ進めばアシロパ大陸を東西に横切るヤンクシー大河に出るので、大規模な軍勢も渡せる渡河点として知られるリベイネ河畔を目指す。砦を背にしたところで隠れ潜んでいた野盗が群れを成して襲いかかってきたが、実力差も見切れない雑魚に苦戦するはずもない。頭目の天輪を砕いたら残りは逃げ散っていった。


 季節は秋に差しかかりつつある。河岸で下馬し、血に濡れたウォーハンマーを水ですすぐ。跳ねた飛沫が顔にかかり、ひやりとした感触を伝えてきた。馬を捕らえられたのは幸いだった。リベイネ河畔は渡河点として知られるだけあって水深は浅いが、場所によっては腰ほどまで浸かってしまう。馬に乗ったままなら足先が濡れる程度で済むだろう。


 ヤンクシー大河を渡りきれば、もうそこは旧ランドラブ領だ。支配者を失った土地を野心を持つ天輪持ちが放っておくはずもない。今は支配の魔女が治めていたヴァレリア帝国の掌握に努めているフォークトだが、いずれはこの地も手中に収めようとするだろう。後回しにしているのは単なる順番の問題だ。


 ランドラブ領は他の有力な天輪持ちの領地に比べて、決して広くはない。北はソルレイ領、南はヤンクシー大河を挟んでヴァレリア帝国が国境を固め、西にはヤンクシー大河に注ぎこむ支流を挟んでフォークト領が広がっている。残る東も海に塞がれており、ソルレイは領土拡張の意欲が薄いことで知られているため、現在のランドラブ領は一種の空白状態にあると言えた。


 フラクタの経験上、こうした土地では突如として強力な天輪持ちが生まれることが多い。あたかも土地の支配者が死に、その天輪が砕け散るのがきっかけとなったかのように、生まれた赤子が天輪を持っている確率、非保持者だった人間が一夜にして天輪持ちとなる確率が跳ね上がるのだ。


(天輪は循環する。砕けて消えたように見えても、どこかで再び結晶する)


 復活する天輪持ち――〝支配の魔女〟ラブルニエストゥス――の存在を知り、推測は確信に変わった。天輪の扱いに長けたあの女は、なんらかの方法で砕かれた天輪の吸収もしくは散逸を防ぎ、なにかを核に再結晶させる、というような手順で復活している可能性が高い。あくまで仮説であり不明点も多いが、それは問題ではない。重要なのは、実際に砕けているという事実だ。


(支配の魔女の強みは支配したものの量と質、つまり蓄積にあります。砕くことでそれらがリセットされるのが確認できたのは収穫でした。復活のネタは割れ、最強の武器であるリヴィンもわたしの手中にある。現状では最強の天輪持ちであるソルレイを支配でもしない限り逆転の目はありません)


「悪巧みしてるって顔だな」

「ええ、当然でしょう……おや、ようやく話す気になりましたか?」


 どういう風の吹き回しか、戦場から連れ出してから丸一日だんまりを決めこんできたリヴィンが、自身の乗馬に軽く拍車を入れてフラクタと馬を並べると気楽な調子で話しかけてきた。


 フラクタの馬と併走させる手綱さばきは確かなもので、おっかなびっくり操っている印象だった以前とは別人のようだ。容姿や声はランドラブのそれでありながら、口調や発する雰囲気は明確に異なるのも違和感を覚える理由だろう。天輪の契約による繋がりだけが彼をリヴィンだと訴えている。


「あんたがどういう人間か、少しはわかったからな」

「……貴方はリヴィンですね? どういう経緯でわたしと契約してここにいるのか、記憶はありますか?」

「そうだ、俺がリヴィンで間違いない。城に忍びこんで、俺とルニエの天輪を見事に叩き割ってみせた手際、敵ながら賞賛に値するぜ。契約の経緯も、記憶を失っていた間のことも覚えてるぜ」

「では、その姿になった経緯については?」

「それについちゃ黙秘だ。知ってるかどうかも含めてな」

「…………」

「いいだろそんなの? 大切なのは二人のこれからだよ」


 短いやり取りだが理解できた。こいつは食えないやつだ。


「トーキィもいますけれどね」

「従者の一人くらい許容するさ。それより、俺とソルレイをぶつけるつもりならやめとけよ」

「命乞いなら……」

「俺が能力を使ってランドラブとやり合うのを見たんだろ? そうだな、仮に〝超強化〟とでも呼ぶとして、あれは俺の能力じゃない。やれと言われりゃソルレイ相手でも二合か三合くらいなら粘ってみせる自信はあるが、まともにやり合えば確実に負けるだろうな。知ってんだろ? やつは強いぜ」


 フラクタの言葉を強引に遮って喋る。今までのリヴィンにはなかった行動だ。

 話した内容も併せ、全てが演技だとしたらたいした役者だ。


「なぜ、今まで黙っていたのですか?」

「まあ気になるよな……なんつーか、混乱してたんだよ。能力を使ったのがきっかけで記憶を取り戻したはいいものの、色々と取り返しがつかねえ感じになっちまってるし、身の振り方をどうしようってな」

「そんな説明で納得すると思いますか?」

「そう言われてもな……どうしようか悩んだのは本当だぜ? で、考えたんだけど聞いてくれるか?」


 聞きたくないと言っても彼は勝手に喋るだろう、と直感した。


「どうぞ」

「取引しないか。俺があんたを勝たせてやる」

「呆れました。勝てないと言ったその口で言うことですか?」

「まあ聞けって。あんた、ルニエと話してどう思った? 規格外の支配力を発揮する器を持ちながら、人格面ではちょっとばかり嫉妬深いだけのかわいいやつだろ? あの〝不滅の永遠〟ヴァレリアンを倒したやつがこんなもんかって思わなかったか? 思ったよな、わかるぜ」

「……なにが言いたいのですか?」

「彼女を皇帝に押し上げたのは自分だとおっしゃりたいものかと、我が主」


 ぱちんと指を鳴らすリヴィン。少しだけ癇にさわる。


「指輪君、さすがだね。つかおもしろいな、天輪だろあんた」

「おやおや、どうお答えしたものか」

「黙秘します。迂闊なことを言うと割りますよ、トーキィ」

「いいさ、そっちも興味はあるが後でいい。いま俺が興味あるのはあんただ、フラクタ」

「…………」

「警戒すんなよ。文字通りの意味さ。天輪にかけたっていい」

「支配の魔女と貴方自身の天輪を砕かれた恨みはないと?」

「なくはないさ。でもそりゃサンクコストってやつだろ? ああ知ってるか? 過ぎたことにこだわっても仕方ない、みたいな意味の言葉なんだが」

「理解はできますが、納得はできません」

「それも仕方ないな。こういうのは根気と真心が大切ってね」


 軽薄な言動にますます不信が募る。

 闇討ちを企んで信用を獲得しようと試みているようにしか見えない。

 フラクタが逆の立場ならそうするからだ。


「トーキィ、どう思いますか?」

「らしくもないご下問かと。我が主をあのソルレイに勝たせるという取引、耳を傾けてもよいのでは」

「……そうですね、いいでしょう。リヴィン、取引というのなら対価を示しなさい。わたしを勝たせる代わりに、貴方はなにを望むのですか?」

「お、じゃあやる気はあるってことでいいんだな? だったら、まずは実力を示してもらわないとな。いくら俺の助けがあったって、ある程度の地力がないことには話にならないしな?」

「わたしが戦う姿は何度も見ているはずです。それでは足りないと?」

「足りないね。手合わせしようぜ」


 身軽に下馬したリヴィンがフラクタの馬の前に立ち塞がる。その手に得物はなく、拳まで覆う鋼の手甲を目の前に構え、かかってこいと言いたげに手招いてみせる。


「お得意の闇討ちはソルレイに通じない。俺にすら勝てないようじゃ何度やっても返り討ちだ」

「わたしは得物を使いますよ」

「おお、当然だよ、全力でかかってきな」

「怪我しても知りませんよ?」


 馬を下り、手綱を放して下がらせる。ゆったりと戦鎚を構える、と見せかけて一気に踏みこんだ。


「それそれ。正面からの実力を見せろっつってんのに、小手先の奇襲に頼る手癖。そういう戦いばっかしてるからランドラブごときに手こずるんだよ。まんまと脳天を砕かれた手前、大きな顔はできねえけどよ」


 余裕をもって回避したリヴィンが得意気に指摘する。

 取り合わず、まっすぐに攻める。渾身の連撃は、全て紙一重でかわされる。


「能力は使わないのですか?」

「必要を感じないね」


 蛇のようにするりと距離を詰め、堂に入った動きで拳打を放つリヴィン。

 柄を使って拳を防ぎ、衝撃を勢いに変えてウォーハンマーを振るう。空振り。

 距離を取るのではなく、すれ違いざまに脇腹へ拳を叩きこまれて息が詰まる。

 密着されれば長物は不利だ。空しく地面を叩いた戦鎚を軸に蹴りを繰り出す。


「蹴りは初めて見るな。だが、ちょいと動きが荒いんじゃないか? 喧嘩殺法って感じだぜ?」

「…………!」

「能力を使わないのはあんたも同じだろ? それとも、使えない理由があるのか?」

「どっちだろうと……」

「関係なくはないさ。磨き抜いた武芸と自分だけが持つ能力は天輪持ち同士の戦における両輪。片手を縛って勝てるのは格下か、よほど周到に準備した相手だけだ。不意打ち闇討ちおおいに結構、だがそりゃ本質的には逃げだ。本当に強いやつにはそれじゃ勝てない。違うか?」

「知ったようなことを言いますね」

「知ってんだよ、お姫様」


 リヴィンの頭上にある純白の天輪が輝きを増す。

 かろうじて反応できたのは、ここまでのやり取りで彼の拳打を見ていたからだ。


 フェイントも織り交ぜた攻めに対応するべく、フラクタも天輪の出力を上げる。使っているのはお互いに身体強化だけ、天輪の出力ではフラクタが勝るにもかかわらず攻めきれないのは、どう攻めてもことごとく回避されてしまうからだ。逆にリヴィンは細かいながらも打撃を与えてくる。


 鈍痛と疲労が蓄積していくのに焦りを感じながら、さらに数十合を重ねる。互いの呼吸、動きの癖を読み、誘いをかける。意図した大振りに合わせて突っこんできたリヴィンを体当たりで止めて体勢を崩し、次の一撃へ繋げる、はずだった。相手の顔に合わせたはずの左肩が空を切る。


 空が見えた。

 後頭部には地面の感触。

 顎の痛み、軽い吐き気、ぼやけた視界。

 目では捉えられなかったが、顎を打ち抜かれて昏倒したらしい。


「天輪に頼りすぎだな。加えて決着を焦り過ぎてる。あんた、根本的に駆け引きする気がないだろ」

「こ、の……!」

「真正面からやり合うのはどうひっくり返っても負けようのない格下だけ、同等か格上の相手からは逃げるか短期決着狙い、決め手も雑な仕掛けからの一撃一択。戦闘は目的を達成するための手段と捉え、戦いそのものには興味ないタイプにありがちだな。どうだよ、当たってるだろ?」

「……悪い、ですか? 勝てれば、そんなのはどうでも……」

「悪くはないさ。戦うために戦ってるやつとぶち当たっておっ死ぬまでは勝てるだろうよ。けどフラクタ、あんたはやるだけやったら死んでも構わない、なんてタマじゃないだろ?」


 差し出された手を握って、立ち上がる。少しふらついたが、問題ない。

 おそらく手加減された。それだけの余裕をもって打ち倒された、ということだ。

 意識の飛んだフラクタを殺すことも容易だったはずだ。しかし彼はそうしなかった。


「あなた、目的はなんですか? なぜわたしに協力すると?」

「言っただろう。あんたに興味があるんだよ」


 フラクタの問いに、リヴィンは呆れた声音を隠しもせず答えた。


「わたしは貴方と恋人の頭を叩き割り、一時は同盟を結んでおきながら裏切った人間なのですよ?」


 どうかしている、と言外の意をこめて吐き捨てると、リヴィンは困ったように頭をかいた。


「あー、もっとストレートに言わなきゃダメか? くそっ、あいつにも散々ダメ出しされたもんだ」

「……? なにを言って……」

「おやおや、これはこれは」


 揶揄するようなトーキィの声。

 腹立たしい、という所感はそれに続くリヴィンの言葉で吹き飛ばされた。


「あんたに惚れちまったんだよ、フラクタ。力を貸す理由なんて、それで十分だろ?」

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