第17話 嫌いになんてなれない

「殺して…………!」


 ベッドから麟太郎を蹴り出し、布団をひっかぶってうめくルニエ。夢を覗かれたのがものすごく恥ずかしかったらしい。こういう時、どう接するのが正解なのか、リヴィンなら知っていたのだろうか。


「あれって、ルニエの記憶を追体験したとか、そんな感じなんだよな……?」


 とりあえず簡単な質問を投げてみると、布団の下から黙って手が突き出された。どうすればいいのか分からず、おずおずと握ってみたら、びくっとなった後に叩かれた。ちょっと傷つく。


「……バカ。帽子ちょうだいよ」

「そっち……いや、ごめんって」


 床に転がっていた魔女帽を拾い上げ、軽くホコリを落としてから渡す。帽子は布団の中に吸いこまれ、ややあってから踏ん切りを付けるように布団をはねのけルニエが姿を現す。紫紺のドレスこそ戦塵に汚れているが、つやつやとした銀色の髪は窓から差しこむ月光を照り返してなお輝いていた。三角に尖った魔女帽の下には空に浮かぶ月のように醒めた青白色の――取り返しのつかないほど欠けた――天輪があるのだろう。広いつばの下から覗く猫のような瞳は伏せがちで、こらえるように唇を引き結んでいる。


「……そうよ」

「え?」

「さっきの質問! 私の記憶なのかって!」

「あ、ああ……そっか、わかった、ありがとう……?」


 どうにもぎこちなく、気まずい空気が流れる。廃屋に二人きり、居心地が悪いことこの上ない。窓の外に目を移すと、さほど広くない敷地の向こうに黒々とした森が見えた。


「ここ、いざって時の隠れ家なの。貴方に言われて用意したものなんだけど、役に立ったわね」


 記憶を失う前のリヴィン、もしくは麟太郎のことを言っているのだろう。確かに寝台で休めたのは大きかった。一度目覚めたときに感じた強烈な頭痛と筋肉痛はいくぶん和らいでいる。


「フォークトが介入してきたところまで見たのよね。あれが決定打よ。ランドラブが逃走して統制を失った兵が潰乱して、数で劣るこっちは動きが取れないでいるうちに包囲殲滅された。サーデンはフラクタに殺され、レフィトとライゼトも生死不明。支配下にあった兵と民も、少しずつ手から離れていくような感じ……おそらくフォークトに支配を上塗りされてるんでしょう。遠からず、帝国はあいつのものになるわ」

「俺の……せいだよな。ルニエの言うことを聞かずに暴走して……」

「…………いいのよ、もう」


 返ってきた言葉は、予想と違った。


 一度は天輪を砕かれても復活し、短期間で軍勢をまとめあげたルニエなのだ。頭も麟太郎より回るし、この世界についてよく知っている。当然、再起を図るものだと思っていた。麟太郎としては、その前にわだかまりは解消しておこうというつもりで述べた反省の弁だった。


 それまでの態度は虚勢だったのかと見紛うような、帽子のつばを両手でつかんで伏し目がちのまま喋るルニエの様子は、弱々しい女の子のそれだった。隣にいる麟太郎まで胸が苦しくなってくる。ふと、フラクタの名を出してみればと思いつく。あれだけ敵愾心をあらわにしていたのだ。奮起を促せるかも知れない。


「裏切ったフラクタと漁夫の利をさらったフォークト、あいつらにやられっぱなしで済ませるのか?」

「だって、もう味方もいないし……私、どうすればいいのか……」

「どうしたんだよ、ルニエ。味方が壊滅したなら、なおさらこんなところでぼんやりしてる場合じゃないだろ! 王都周辺はもうダメだとしても、帝国って言うからにはそれなりに広いんだろ? まだ無事な土地を巡って、味方をまとめ上げれば戦えるんじゃないか?」

「いいの! ……もういいの」


 子供のように首を振って駄々をこねるルニエ。ついぞ見せたことのない態度に途方に暮れる。


「いいって、なにがいいんだよ」

「だってもう耐えられない! 恐いの、残された貴方まで失うのが! もういいでしょ? 私も貴方も一度は死んだようなものなのよ? 二人ともここに居るのはたまたま、運がよかっただけ! これ以上は戦ったって、得られるものより失う可能性の方がずっと高いのよ! だったら、二人だけで……!」

「……やっぱり、ルニエは分かってるんだな」


 いやいやするように首を振るルニエ。

 だが、麟太郎でも気付いたことに彼女が気付かないはずもない。


「ルニエの言う通りだ。ここには二人しかいない。リヴィンが……あいつがいないんだ」

「でも貴方がいるじゃない。あいつと同じ姿、あいつと同じ声の貴方が! 私に、それすら失えって言うの? お願いだから、もうやめてよ……取り戻せるかもなんて、実現しない希望を持たせるのは……」

「そうじゃない! あいつは生きてる!」

「……どうして、そんなこと言えるのよ」

「説明する前に、天輪がどうなってるか確認したいんだけど」

「……っ、勝手にすればいいじゃない」


 突き出すように手渡された手鏡を覗きこむ。灰色だった天輪は黒に変わり、一部は欠けて輪が途切れている。元は白黒の二重天輪だったというから、ずいぶん寂しくなったものだ。


「これ、どうなってるんだ? 見立てを聞かせてくれよ」

「目算で、天輪の出力は半分くらいになってる。前と同じ感覚で動くと違和感があると思うから気をつけて。それから、もう二度と能力は使わないで。今度こそ死ぬわよ」

「…………けっこう、厳しいな」

「でも、朗報もないわけじゃない。気付かない? あの女との契約がなくなってるの」

「え? 本当に?」


 ルニエに促され、恐る恐る天輪に触れてみる。言われてみれば、妙に頭はすっきりしている。能力の反動で全身が重く、頭痛もあるが、のどに刺さった小骨が抜けたような感覚だ。


「本当だ……フラクタとの契約を感じないっつーか、目覚めてからずっと重荷を背負ってたのがなくなったのに気付いたって感じだ。なんか、ぼんやりしてたのが急に晴れたっていうか……」

「きっと、能力を使ったときに一緒に焼けたのね。これで貴方を縛るものはもうない。あの女に会いさえしなければ、山奥に二人で隠れ住むくらい難しくないわ。ね、そうしましょうよ」


 すがるようなルニエの言葉を余所に、思考を巡らせる。

 フラクタと契約を結んだときの記憶は鮮明にある。忘れようもない。

 あの契約は今ここにいる天輪の持ち主、麟太郎がフラクタと結んだものだ。


 そして現状を作り出すきっかけとなった〝限界突破〟は元々麟太郎の天輪に与えられたものだ。今も能力を使える手応えがあることから、それは間違いない。つまり、麟太郎を構成する一部に加えてリヴィンを構成していた部分とフラクタとの契約を担っていた部分だけが能力行使の代償として選択的に燃えたことになる。あまりにも麟太郎に都合のいい結果で、どうにも嘘っぽい。


 これが麟太郎の能力なら、燃えるのはまず麟太郎の天輪であるべきではないか。

 それに麟太郎が生きているのに天輪の契約が燃えるのもおかしい。上手くやれば契約を踏み倒せることにもなりかねない。感覚的な話だが、天輪の契約とはそれほど軽いものではないはずだ。


 なにより不審なのは、ルニエの態度だった。二人きりであること、今後の見通しが明るくないことを差し引いても、話の進め方が拙速に感じる。まるで、さっさと結論を出してしまおうと言わんばかりだ。


「リヴィン……?」


 黙りこんだ麟太郎を心配するように、涙に濡れた瞳で見上げてくるルニエ。

 だが、彼女が自分を呼んだその名前に、胸がずんと重くなるような気分を味わった。


「あっ……ご、ごめんなさい。貴方は、リンタロー、なのよね……」


 欠けた天輪を戴く、支配の魔女ラヴルニエストゥス。そんな大仰な名前の似合わない可憐で理知的な彼女とどこかで隠棲するという提案はとても魅力的で、きっと楽しいだろうという予感があった。


「……違うだろ、それは」

「……リンタロー?」

「リヴィンは生きてる。フラクタとの契約は、あいつが持っていったんだ」


 思いつきに近い言葉だったが、口にしてみて確信に変わる。


 リヴィンと麟太郎、白と黒が混ざって灰色になっていた天輪が黒に戻ったなら、どういう形であれ白い天輪の持ち主、リヴィンもどこかに存在しなくては理屈に合わない。フラクタとの契約が綺麗さっぱりなくなった理由といい、麟太郎が気を失っている間にリヴィンがなにかをしたのは間違いない。


「あいつ……またあいつが俺を助けたんだ。また。そうだよ、フラクタに砕かれた時も、ランドラブを相手に能力を使って暴走した時も。あいつは、リヴィンならそれができる。そうだろ、ルニエ」

「リヴィンが生きてる? でも、そんなことって……」

「そうだ、証拠はない。それでも、そうなんだよ!」


 ふつふつと胸の内に湧き上がってきたのは、意外にも怒りだった。


「ああ、くそ! なんなんだよもう!」

「リ、リンタロー?」

「あいつは俺のなんなんだよ! 何度も何度も、助けられる側の気も知らずに一方的に助けやがって! しかも身体はひとつだから借りを返すにも返せないと来てやがる! 思えば最初からそうだった!」

「リンタロー、貴方、記憶が戻って……?」

「おぼろげだけどな!」


 そう、二人の関係は初めからそうだった。


 ふっと脳裏をかすめた情景。初めて能力を使って、そのまま制御できず燃え尽きかけていた麟太郎に、リヴィンが手を差し伸べた。きっとその時から、二人は一人になったのだ。


「リヴィンは生きてる。きっとフラクタと一緒だ」

「生きてる……」

「ルニエ。君を守り切れず、君との約束も守れなかった俺が頼める筋合いじゃないんだけど……」


 口にしかけた言葉は、唇に押し当てられたルニエの細い指で遮られた。


「バカね。貸しとか借りとか、もういちいち数えるような付き合いじゃないでしょう?」


 前にも似たようなことを言われた気がする。

 息を吸いこんで、それがどういう意味を持つのかを胸に刻んでから言葉にする。


「リヴィンを助けたい。でも俺一人じゃ無理だ。ルニエにも力を貸して欲しい」

「はぁー……」


 返ってきたのは、とんでもなく大きなため息だった。


「……多分、俺が予想してるより困難なんだと思う。お互い、今度こそ完全に砕かれるかも知れない。酷いことを言ってるのはわかってるんだ。それでも、俺は……」

「いいわ、わかった……ううん、そうじゃない。本当は私が言わなきゃいけなかったのよね。心のどこかでリヴィンは生きてるってわかってたのに……もう失うのが恐いからって目を背けて、逃げようとした。あまつさえ、貴方に対して事実を隠したまま決断させようとした……最低よね、私」

「ルニエ……」

「いいの。ごめん、もうやめ。謝り合ってても仕方ないし、やるって決めたんでしょ?」

「じゃあ、俺と来てくれるのか?」

「言ったでしょ。私、どうしても貴方を嫌いになれないの」


 そう言って泣き笑いの顔を見せるルニエは、麟太郎の知っている彼女だった。


「はい、これ」

「なにこれ……って、天輪!?」


 立ち直るや否や、ルニエの行動は素早かった。

 手鏡と同じ感覚で気軽に手渡されたのは、鈍く光る赤黒い天輪だった。


「は? 取り外せるもんなのこれ? つーかこれの持ち主は? なんで俺に渡すの?」

「いっぺんに聞かないでよ……私だってよくわかってないんだから」


 矢継ぎ早に質問する麟太郎にため息で応えるルニエ。


「私がレフィトとライゼトの開いた突破口から脱出した後、ランドラブ軍の天幕で倒れてた貴方を回収して戦場を離脱したのは説明……してなかったかしら。その時に見つけたのがそれ。すぐにフォークト軍の追撃がかかりかねない状況だったし、貴方が握り締めて放さないからそのまま持ってきたの。むしろ質問したいのはこっちよ。他人の天輪を奪う能力でも隠してたの?」

「いや、さすがにそれはないと思うけど……」


 ランドラブ戦で能力を使ったおかげだろうか、自分の中で能力の輪郭がはっきりした感覚がある。次に使うときは念じるだけで発動できるだろう。もっとも、一回使っただけでこの有り様なのだ。次に使ったときも天輪が〝燃え残る〟かどうかは未知数だ。強力だが使い勝手が悪いにもほどがある。


「ルニエはこの天輪の持ち主に見覚えないのか?」

「貴方ね、私の支配下に天輪持ちが何人いたと思ってるの? よっぽど特徴のある天輪ならともかく、この程度の天輪持ちなんて掃いて捨てるほどいたのよ」

「そっか……」

「でも、そうね。天輪だけでも分かることはあるわ。重要なのは、これは生きてて、能力も使えるってこと」

「どんな能力なんだ?」

「即効性はないけど継続的に治癒できる〝継癒〟って種類の能力。そんなに珍しくはないし、これだけで持ち主を特定するのは難しいわ。今、貴方が普通に喋れてるのもこれのおかげ」

「そうなんだ……」


 赤黒くてちょっと不気味だなとか思ってごめんなさい、と心の中で謝る。


「行方をくらましたフラクタの手がかりはそれくらいね。どうやって追うか考えはある?」

「……ルニエに考えがあったら聞かせてくれ」

「そんなことだろうと思ったわよ……貴方の能力を知って、あの女はどうすると思う?」

「え? でも〝限界突破〟は俺の能力で、リヴィンは……」

「あの女にはそんなことわからないでしょ? 命令権も一回きりだから試すわけにもいかない。あれだけ派手に披露したら能力の性質もバレたと考えていい。じゃあ問題です。使い捨ての強力な武器を手に入れたあの女はそれをどう使うでしょうか?」

「……自力じゃ倒せない相手にぶつける」

「そうね。あの女、全ての天輪を砕くとかほざいてたんでしょ? なら、標的はきっと……」


 いつか、フラクタに聞かされた覚えがある。

 〝最強の天輪持ち〟ソルレイ。

 彼女が目指すのは、遙か北にあるというソルレイの支配地だ。

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