第16話 片割れ

「思いついたら即実行、相変わらずの素晴らしい行動力でございましたね、我が主」

「そんなに褒めちぎらなくてもいいのですよ、トーキィ」


 トーキィと会話しながらも、目の前に座る人物の観察をフラクタは怠らない。


 激しい戦闘でボロボロになった衣服と鎧、焚き火を挟んで座るフラクタに向ける警戒の視線。頭上に戴く天輪は輝かんばかりの純白だが、一部が欠けた無惨な姿だった。天輪持ちにとって、天輪が欠けるのは手足を失うに等しい。特に戦闘によって欠けた場合、そのままショック死することも珍しくない。当然、天輪持ちとしての力量も大きく削がれることになるが、目の前の人物の天輪はそれでもなお力強い。フラクタの見立てでは、出力だけならランドラブにも伍するほどだ。


(当面の問題は、彼が誰なのか……いえ、彼はなんなのか、ですね)


 色が抜けたような白髪の男の顔には見覚えがある。表情から険が取れたので分かりにくいが、紛れもなくランドラブの顔だ。しかし本人ということはあり得ない。髪色が黒から白へと変わっているのもそうだが、染色や脱色でごまかしの効く髪色とは違い、どす黒い漆黒だった天輪が純白のそれに変わるなど、通常はあり得ないからだ。黒と白の二重天輪の持ち主だったリヴィンが、一度は死にかけて灰色の天輪になったのは例外であり、仮に肉体が同じであろうと戴く天輪が変わったのならそれは別の人物だと言える。


 容姿も違えば、頭上に戴く天輪すら違う彼をそれでもリヴィンと認めたのは、天輪の契約による繋がりを感じたからに他ならない。仮に契約の譲渡を成せる能力があったとしても、その持ち主が都合よくあの場にいて何の理由もなくリヴィンにそれを施したとは考えにくい。


 彼は使える道具であり、フラクタはそれを自由に使う権利がある。

 フラクタとしては、それこそがもっとも重要だった。


「トーキィ、此度の戦で砕いた天輪はいくつでしたか?」

「おお、十指に満たない数を数えるなどという退屈極まりない作業、我が主に成り代わって行うのはもちろん従者たるこの指輪めの務めにございますとも。ラブルニエストゥス軍が五、フォークト軍が三でございます」

「上々ですね。理想の世界にまた一歩近づきました」


 ケッセン平原の戦いにおいて、フラクタはおおいに戦果を挙げた。通常、力ある天輪持ち同士の戦いは率いる非保持者の軍勢による衝突から始まることが多い。支配下に置ける非保持者の人数はおおむね天輪の力に比例するが、多数を支配下に置くことに長けた天輪持ちもいれば、それを苦手とする天輪持ちもいる。支配の魔女ラヴルニエストゥスは前者の代表格と呼べる存在だ。


 自らの軍勢を率いる天輪持ちに非保持者の軍勢を率いずに勝とうとするなら、暗殺や裏切りといった手段を取るしかない。当然、それを繰り返せば警戒もされる。〝王冠砕き〟のフラクタという二つ名は、単身で実力者を仕留めていくフラクタに対して畏怖と嫌悪をこめて付けられたものだ。


 フラクタは他人を信用しない。

 自分以外の誰かを味方だと思っていない。

 彼女から見れば、誰も彼もが他人に期待しすぎている。

 だから、裏切られる。目の前の落とし穴に、目をつぶったまま平気で踏みこむ。


 リヴィンが提案した、フラクタとラブルニエストゥスを協力させるための契約。〝ランドラブを討伐するまでラヴルニエストゥスへあらゆる形で危害を加えない〟そして〝ランドラブ討伐の達成前にラヴルニエストゥスがフラクタに危害を加えた場合、リヴィンに対する命令権を拡大する〟という文言は、実のところフラクタを縛る上では意味がなかった。それは裏を返せば、決定的なタイミングが来るまで標的の側で安全に潜んでいられる保証でもあるからだ。フラクタにとっては渡りに船と言ってもよかった。


 事実、離反の機会はすぐに訪れた。混乱に乗じてサーデンらを討ち、ランドラブにラブルニエストゥスを討たせる。そのランドラブを自身の手で砕くことこそ〝日和見〟フォークトの介入で叶わなかったが、力の増し方から見てランドラブを討ち取ったのが目の前にいるリヴィンと思われる人物であることは間違いない。つまり、フラクタがその気になりさえすればいつでも砕けるということだ。


 支配の魔女も、今となっては恐れるに足りない。他者に影響を与えることに特化し、全ての非保持者を支配下に置けるポテンシャルを秘めていた彼女の排除はあらゆる天輪の粉砕を掲げるフラクタにとって絶対条件だったが、その目的は半ば達成したと言っていい。


 鍵となったのは、意外にも偶然に近い形で手中に収めたリヴィンの存在だった。


(人とはもろいものですね。あるいは、一度は砕けたことが彼女に影響を与えたのでしょうか?)


 一度は砕いた魔女が復活したと知った時は警戒したが、恐ろしい魔女も蓋を開けてみれば惚れた男に執着する弱い女に過ぎなかった。実際、彼女には再起のチャンスも残されていたのだ。復活した後の時間で速やかに再支配を進め、サーデンを中心とした戦力で王都ヴァレリアを守らせた上で支配を外れた各地の戦力を再編成して挟み撃ちにしていればランドラブとフォークトを撃退できたはず。そうならなかったのは、彼女がリヴィンを切り捨てずにフラクタから取り戻すことにこだわったからだ。


 おそらく理屈ではない。リヴィンの生存は支配の魔女にとって最優先事項なのだ。


 つまり、リヴィンがフラクタの手の内にある限り、支配の魔女はいつでも砕ける。

 加えて、復活と言っても完全に元通りになるわけではないのも確認できた。何度でも砕き続ければ、そのうち復活もできなくなるだろう。手間はかかるが不可能ではない。遠大な目標に向かって、めげずくじけず根気よくやり続けるのはフラクタの得意とするところだ。


 そのためにも餌となるリヴィンの状態はきちんと把握しておかねばならない。


「……そろそろ喋ってもらえませんか、リヴィン、もしくはリヴィンとの契約を引き継いだ貴方。貴方がリヴィンであるなら裏切りを怒るのも理解できますが、まずは貴方がリヴィンかどうかくらいは教えてくれてもいいでしょう。これでは壁に向かって話しているのと変わりません」

「…………」

「困りましたね。以前のリヴィンとは少なくとも会話らしきものは成り立ったのですが」

「それも我が主の妄想だった可能性もございますな」

「ふふっ、不遜な口を利くのはこの指輪ですか? えいっ」


 爪を立てる。天輪持ちの力を加えられた指輪がみしりときしむ。だがトーキィは反応しない。分かっていたことなので、すぐにやめる。ちょっとした稚気に応えてくれる相手が居ないのは寂しいものだ。


 〝日和見〟フォークトが介入したあの戦場で、フラクタは逃亡するランドラブとそれを追うリヴィンを一時見失った。正確には、さらなる混戦に陥ったことでフォークト側の天輪持ちも何人か砕けるのではという欲に抗えなかった。勢いに乗って三人まで砕き、フォークトの勝利で大勢が決したころには全てが終わっていた。血塗れの天幕の中で一人たたずむリヴィンを発見した時には残党狩りが始まっており、いくらフラクタといえども彼を連れて戦場を離脱するしかなかった。


 おそらくはあの場にランドラブが複数の能力を操る鍵が隠されていたのだろうが、それも分からずじまいだ。首尾よく手中にできれば大きな力になったに違いなく、悔いは残る。だが、あの戦場でリヴィンが見せた圧倒的な力を思えば些細なことだ。あの力は最強の天輪持ちソルレイにすら届き得る。


「時間はあります。北へ向かう道中、ゆっくりと理解を深め合いましょうね?」

「…………」


 ランドラブ戦でリヴィンが見せた能力。その後に起きた変化。

 あの時なにが起きたのか、それを踏まえて天輪の契約による一度きりの命令権をどう活かすか。


 考察すべき事柄は多いが、フラクタのやることは変わらない。敵と味方を知り、工夫を凝らし、策を巡らし、最後のひとつまで天輪を砕く。次に砕くべき天輪も決めた。


 〝最強の天輪持ち〟ソルレイ。


 難敵だ。二度までも見逃された屈辱を忘れはしない。だが今度こそ砕いてみせる。

 そう、こういうシチュエーションを表す言葉、取るべきポーズがあったはずだ。

 確か――


「敵はソルレイ。リベンジマッチ、といきましょう。えいえい!」

「…………」

「おー、とでも言えばよろしいのございましょうか?」

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