第二章〝二重天輪〟

第15話 再覚醒

 最悪の目覚めだった。


 割れるように痛む頭、全身を包む倦怠感と筋肉痛。ついさっきまで戦場にいたはずなのに、今は不気味なほどの静寂に包まれていた。崩れ落ちた屋根から夜空が見える。どうやら廃屋のほこりっぽい寝台に寝かされていたらしい。鎧は外され、ハルバードも壁に立てかけられている。見張りも拘束もないところを見ると、敵に捕まったわけではないようだが、麟太郎は耳を澄ませて周囲を警戒した。


(……麟太郎。そう、俺は二輪麟太郎……だよな?)


 身体を起こして、自身の肉体を確認する。特に変わったところはないように思える。だからこそ、今まで二輪麟太郎はリヴィンでもあるのだと言わしめていたものが綺麗に抜け落ちているのが分かった。ここにいる麟太郎は、ただの麟太郎だった。まるで半身を失ったような心細さに襲われ、身体を震わせる。


「……起きたの?」


 廃屋の扉を開いたのはルニエだった。黒い魔女帽と紫紺のドレスはところどころ破れ、土に汚れていた。彼女は寝台に腰掛け、大事そうに抱えていた小瓶を麟太郎に渡してくれる。


「水よ。喉、渇いているでしょう?」

「……あり、がとう」


 小瓶の中で揺れる液体に口をつけ、自分が酷く渇いていたことに気付いた。土埃の舞う戦場で大立ち回りをしたのだから無理もない。怪我ひとつ負っていないのはほとんど奇跡だろう。そこまで考えて、ルニエを救うためにランドラブと戦ってからの記憶がないことに思い至った。


「ランドラブはどうなったんだ? どうしてこんな場所に?」


 息せき切って尋ねる倫太郎を見て、ルニエが目を伏せた。


「……ランドラブは倒したわ。貴方は能力を使った反動で意識を失ったの。だから、今は休むといいわ」


 端的に過ぎる説明に、納得よりも困惑が勝つ。


「いや……そんなわけには……というかフラクタが裏切って、その後はどうなったんだ? 俺、ルニエとの約束を破って迷惑をかけたのに……それと聞いてくれ、俺の中からリヴィンが、んむっ」


 言葉は唇で遮られた。柔らかく温かいものが舌にからむ。

 寝台に押し倒された。力が入らず、ルニエのされるがままになる。


「ルニエ」

「……いいから。黙って」


 二人とも黙ったまま時間が過ぎていく。

 ふと思いついて、頭の上に伸ばそうとした右の手首をつかまれた。

 そういうことなのだと納得できた。麟太郎の現状を、ルニエは本人以上に理解している。


(なら、任せておけばいい、のか?)


 状況から見て、差し迫った脅威はないらしい。現状についてもルニエが把握しているなら、麟太郎が口出ししたところでどうなるものでもない。そう思うと、急速に眠気が押し寄せてきた。


「眠くなってきた? いいわ、貴方はゆっくり休んで」


 目蓋が落ちるのに抗えない。

 ルニエの声が、慈しむような視線が心地よかった。


「もう失いたくない……貴方だけでも……もう、奪わせはしないから……」


 痛切な気持ちが胸に満ちた、次の瞬間。

 薄い紗幕を透かして、激突する両軍が視界に広がった。

 やはり〝支配〟の効きが悪い。天輪の欠けが響いているのだろう、と思う。


(……なんだこれは?)


 気付けばあの戦場でルニエがいた輿に座っていた。先ほどの思考は、まるで自分がルニエになったような。能力を取り戻したばかりのリヴィンは頼れないし、排除して不確定要素になる方が危険だと判断して戦術に組みこんだフラクタも潜在的な敵と考えていい。理想は支配下にある軍だけでランドラブを倒すこと。まただ。ルニエの思考が自分のものであるかのように頭の中で流れる。


(夢とか記憶……みたいなものか……?)


 試しに声を出そうとしてみたが、それは叶わなかった。ルニエが黙っているからだろう。身体も自分の意志では動かせない。つまり干渉はできないということだ。今は推移を見守るしかない。


 敵勢はランドラブを先頭にして遮二無二突っこんできている。ルニエの軍は敵軍に比べて数こそ劣るものの、装備の質は高い上にサーデンの〝鼓舞〟により個々の能力も底上げされている。ここにルニエの〝支配〟が加わることで一糸乱れぬ統制が取れるのが強みだ。


 しかし、欠けた天輪では出力不足により伝達にわずかな遅れと乱れが生まれる。並みの敵なら無視できる程度の差だが、ランドラブは獣の嗅覚で急所を嗅ぎ分けて猛然と切り崩してくる。喚声に空気が震え、濃厚に血が匂う。徐々に押しこまれ、最前線が近づいていた。だが退くわけにはいかない。帝都ヴァレリアは防衛には向かず、また援軍も見こめない状況で籠城しても後がない。


 兵の質で勝っていても数で押し負けるなら、局所的な人数差を作ってやるのが常道だ。常に先頭に立つランドラブを罠に引きこみ、後続を断って包囲殲滅。サーデンはそれを見事にやってのけた。直衛の百騎あまりを後続と分断、勝負どころと見て全開の〝鼓舞〟が付与された兵たちの気が爆発的に高まる。直後、全ての〝鼓舞〟がかき消え、ルニエの〝支配〟からサーデンの気配が消え去った。


「……サーデン?」


 砕け散る天輪は、目を奪われるほど美しかった。その間に後続との連絡を取り戻したランドラブが、目に見えて精彩を欠いたサーデン麾下の軍勢を蹴散らしていく。戦場に、プラチナブロンドの髪がなびく。フラクタ。あの女が、ランドラブに注意が集まる絶好の機をついてサーデンを殺したのだ。総大将を失った軍は勢い付く敵を止められず、それどころか代わって指揮を執ろうとした者から狙い撃たれていた。


 立て直しが効かない。勢いが止まらない。

 リヴィンを呼びたい。彼に助けを求めたい。

 こんな時、いつも彼がなんとかしてくれた。

 ルニエの英雄、愛しいリヴィン。彼はもう――


 いけない、弱気になっている。いまリヴィンに助けを求めれば、彼はきっと能力を使ってしまう。あの不完全な天輪で能力を使えばどうなるかわからない。こうなったら切り札を使うしか、いや違う。思考を放棄するな。リヴィンがそんな風に戦っていたことなど一度もなかった。最後まで考えるんだ。


 けれど、どうしようもなくなったら。

 いっそ、リヴィンを連れて逃げてしまうのも手かも知れない。

 涙に視界がにじむ。自分はこんなところで何をしているのか、という疑問が去来する。


 逡巡している間にもランドラブが急迫してくる。乱戦になったらこうなるのは最初から分かりきっていた。だから国境の砦には感知と束縛、長射程大威力の能力者を常駐させて備えていたのだ。やつを倒す最善手は遠距離で固めてタコ殴りにすることであって、間違っても接近戦をしていい相手ではなかった。


 にも関わらずこうなっているのは、手持ちの戦力にそれらの能力持ちがいないからに他ならない。多くの天輪持ちを支配下に置いて相性のいい能力者を当てる戦術は、フラクタに天輪を砕かれて支配が解けてしまったことで瓦解した。支配下にある戦力だけでこの場を打開するしかないのだ。


 そう、支配するしかなかった。ずっと、最初からだ。


 天輪持ちたちは例外なく我が強く、ルニエの支配というたがが外れた瞬間に同士討ちを始めてしまう。勝って相手の天輪を砕けば自分の力が増すのだから理解はできる。だが曲がりなりにも共に戦っていた同僚をあっさり手にかけられるその心性、あまりにも浅ましいという想いが胸を満たす。


「そうじゃない世界がある……らしいぜ」


 いつかリヴィンが口にした言葉だ。自分でも信じ切れていないような、伝聞風の口調だったのがおかしくて、思い出す度に口元が緩んでしまう。リヴィンの中にいるもう一人の人格、リンタロー。異世界からきたのだという彼がリヴィンの口を借りて語る話の数々は、狂人の戯言と決めつけるには真に迫っていて、夢物語と切り捨ててしまうには惜しいと思わせてくれた。


 ランドラブを止めようと打ちかかった千騎長たちが次々と屠られていく。ここで終わりなのか。いや、フラクタに砕かれた時点で終わっていたのかも知れない。リヴィンと共にこつこつ築いた支配体制は瓦解し、ランドラブを始めとする隣国の強大な天輪持ちに国土は蚕食されつつある。そのランドラブを倒すための決定力として仇敵であるフラクタを頼りにするしかなかったのがルニエの現状だ。


 リヴィンとの契約もあり、フラクタを自由に動かせて不確定要素となる方が危険は大きいと判断しての登用だったが、こうして裏切られ、要であるサーデンをも失った今では正しい判断だったかどうかも分からない。今すぐリヴィンを連れて逃げ出してしまいたいと弱気がもたげるのを自覚し、唇を噛む。


 ここで終わってたまるか。まだ手はあるはずだ。そう考えた瞬間、リヴィンが突っこんできた。驚愕と恐怖に心臓が跳ね、叫び出さないようにするので精一杯だった。燃えるように輝く灰色の天輪。ルニエはあれを知っている。窮地のルニエを幾度も救い出したリヴィンの能力〝限界突破〟だ。


 瞬く間に敵を圧倒していくリヴィン。そう、戦闘力という意味では心配いらない。ランドラブごとき、全力で戦うリヴィンなら恐るるに足らない。だが、今の彼にはないものがある。天輪そのものを燃料にして爆発的な力を発揮する〝限界突破〟の能力を自分の意志で止める手段だ。


 天輪を失えば死ぬ天輪持ちが、自身の天輪を燃やして戦う能力を持つという矛盾。自爆に等しい能力を奇跡的に成り立たせていたのがひとつの身体にふたつの人格と天輪を持つ二重天輪だった。それを失った今のリヴィンが能力を使えば、待っているのは避けようのない死だ。


 頭が回らない。思考が止まる。


 一歩間違えば自滅に直結する能力に保険をかける方法がないかなんて、それこそ何千回も検討してきた。結論はいつも同じ。ルニエの〝支配〟ではリヴィンを止められない。他人の能力を阻害、停止させられる力があれば、そもそも〝限界突破〟のような危険な力に頼る必要すらないのだ。


「――は、あはは、あははははぁーッ!」


 我を忘れたリヴィンが哄笑する。能力の覚醒直後にはよくある現象だ。

 いま、この瞬間、愛しい人を人たらしめるものが惜しげもなく燃えている。

 両腕を失って逃亡するランドラブを追って、なお燃やし続けているのだ。


「待ちなさい、待ってリヴィン! お願い、置いていかないで!」


 口調を取り繕う余裕など一瞬で吹き飛んだ。

 このまま彼を行かせれば、二度と戻ってこないという予感があった。


 だが、その時まったく別の方向から衝撃が来た。左手側、両軍が激突する横っ腹に忽然と現れた大軍勢が攻勢をかけてきていた。味方の援軍、ではない。新手の勢力はランドラブ軍だけではなく味方をも突き崩していく。戦線を支えきれず、左翼の指揮を担っていたレフィトが後退していく。


 戦場に強風が吹き、わずかな間だけ砂塵が吹き払われる。翻るのは茨と心臓の旗印。〝日和見〟〝色情狂〟〝自己愛の化身〟といった不名誉な二つ名をいただく天輪持ち〝恋多きフォークト〟の旗印だ。同じく国境を接するランドラブ軍が侵攻してきたのだから、彼がこの場に姿を現すのもおかしくはない。おかしくはないが、最悪のタイミングでの登場に絶望がルニエの脚と心を絡め取っていく。


「おお、ラブルニエストゥス。我が愛よ!」


 聞いただけで怖気を振るうようなナルシスティックな声が戦場に響き渡る。


「このフォークトが君を助けに来たよ。さあ、今日こそぼくのモノになりたまえ!」


(はあ? ……こいつ、なに言ってんだ!)


 臆面もなく言い放つフォークトに敵愾心を抱いた瞬間、ルニエがふっと中空に視線をやった。

 瞬きひとつ。それだけで戦場で動くもの全てが静止した。音すらも消え去り、沈黙が支配する。


「……私としたことが、なんてこと」


 ルニエ自身にしか聞こえない、小さな声が空気を震わせる。


「リヴィン、貴方そこにいるのね? ……出てって。今すぐ」


 断線。暗転。視界が黒一色に塗り潰される。

 身体の感覚すら失われ、意識は闇へと沈んでいった。

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