第12話 箱詰めのエンケ

 適切な処理を施して容器に詰めたものは長持ちする。食べ物でも人間でも一緒だ。


 今日のノルマを詰め終えたエンケが手を洗い、肘から先を除いた全身を覆う包帯とベルトをきっちり巻き直して入念に確認していると、陰鬱な声が頭の上から降ってきた。


「……エンケ」

「ひゃい!」

「……これを詰めておけ。調整もだ」


 熊のような巨漢は無造作に人を床に放り出し、黒マントの下からずるりと引き出したベルトを机に置くと興味を失ったように去っていった。床に転がされた人物は死んだように動かない。後に残されたエンケはしばし呆けていたが、我に返って慌てて駆け寄ろうとした結果、足をもつれさせて倒れこんだ。ぐちゃりと水っぽい音がして、生温かい物体に受け止められたおかげで顔面を打たずに済んだ。


「うへっ、うへへえっ、ごめ……ごめんなさい……」


 濃密な血と死の臭い。エンケの頭突きを受けてもまるで反応がないその男は、どうやら死にかけているらしい。天幕の中央に据えられた手術台に引きずりあげて状態を確認する。怪我人の頭上には弱々しく光る天輪があり、両腕は付け根から消失して乱暴に血止めされていた。


「……ぁ……っ……」

「あああ……だめだめ……死んじゃだめぇ……」


 エンケは天輪持ちだ。即効性はないが長時間に渡って損傷部位を修復、生命活動を維持し続ける〝継癒〟の能力を持っている。戦うのは苦手なので支配の魔女の傘下に入って細々と生きながらえていたが、ある日ふと気付くと〝支配〟の制約が失われていた。なにかまずいことが起きていると気付いて逃げ出したときには手遅れで、黒マントの軍勢に捕らえられてしまったのだ。


 男は興味も無さそうにエンケを叩き潰そうとしたところで、彼女が抱えていたものに目を留めた。


 それは生きているのか、と黒マントは言った。道端で死にかけていたところを見つけて、処置を施した上で手持ちの容器に詰めた天輪持ちだった。一抱えはある瓶の上で天輪がくるくると回っている。余計なものを切り捨てたのでだいぶ小さくなっているが〝継癒〟をかけてあるので死にはしない。


 よこせと言われたので、瓶ごと渡した。黒マントの天輪が光ると、瓶の上で回る天輪の色がくすんでいく。黒マントがなにかをしたのだろう。瓶の中の彼が死にかけているのが分かった。思わず声が漏れ、エンケは無我夢中で黒マントから瓶を奪い返して〝継癒〟をかけ続けた。


 天輪が弱々しいが安定した光を放つようになってほっとしたのも束の間、エンケは黒マントに見下ろされているのに気付いた。殺されると確信し、瓶を手放して後ずさる。だが黒マントは瓶に触れて再び能力を使うと、わずかに目を見開いて固まり、それからエンケに短く命令したのだ。ついてこい、と。


「うう……なんで私がこんな目にぃ……」


 瓶の中の彼は助からなかった。強度を試すように黒マントの能力――おそらく〝収奪〟とでも呼ぶべきもの――とエンケの〝継癒〟を交互に受け続け、最後には天輪が耐えきれず砕け散った。


 それ以来、エンケは黒マントの捕虜として天輪持ちを容器に詰め、弱った彼らを治療するために働かされている。黒マントが机の上に放り出していったベルトがそれだ。金属製のカートリッジをいくつも収納できる構造になっていて、黒マントはそれを背負って戦いに出向いては中にいる彼らを酷使して戻ってくる。能力の使い過ぎでふらふらするが、目の前で死にかけている彼らをエンケは放っておけない。


「……ううぅ……ぐああああッ!」

「ちょちょちょ、ちょっと待って……ああもう忙しい……忙しいよぅ……」


 手術台の上で息を吹き返した男が暴れ始める。エンケの〝継癒〟が効いている証拠だ。拘束帯で縛り付けてあるのでずり落ちることはないが、急いで処置しなければ。カートリッジに入った名も知らぬ天輪持ちたちの状態を確認して〝継癒〟をかけ直して戻ると、手術台の上にいた男に異変が起こっていた。切り落とされた両腕から、ぼこぼこと湧き上がるように肉腫が育っていたのだ。


「ひぎゃあああああ! だめだめだめ!」


 エンケはこれを〝変異〟と呼んでいる。肉体に大きな欠損を受けた天輪持ちにしばしば見られる現象で、詳しい仕組みは分からないが天輪の働きだとエンケは疑っている。根拠はいくつかあるが、新しく生まれる器官は総じて戦闘に適したものであり、天輪を破損した者は〝異変〟が起こりにくいことからの推測だ。つまり天輪がある限り、死にかけた人間は誰でもこうなる可能性がある。


「ぐがるるるぅ! うがああああっ!」

「ああもう……こんなのダメ……こんなの生やしたら、人間じゃなくなっちゃう……」


 刃も通さない剛毛、尖った爪。肥大した筋肉に覆われた前腕部は身体に不釣り合いなほど長く、日常生活に適しているとはとても言えない。だが、これでも〝変異〟としてはまともな部類だ。明確な形状を取らないまま際限なく肥大を続ける肉団子や、正常な部位を飲みこんで身動きひとつ取れない巨大な腕に〝変異〟する例もエンケは目にしたことがある。


 死にかけた天輪持ちを放置すれば人ではない存在に成り果てる。エンケはそれが恐ろしい。それに比べれば命令に違反して黒マントに殺されるなど些細な問題だ。いや、嘘をついた。どういう形であれ死にたくない。ともかく常に携帯している解体用のこぎりで新しく生えた腕を落とす。そのままではさらに異形と化した腕が生えてきてしまうので、両手に握ったナイフで残った部位も解体していく。


 人間をカートリッジに詰めるにあたり、重要なのは生かさず殺さずのバランスだ。天輪の持つ再生能力と〝継癒〟による治癒が勝ちすぎると欠損した部位から〝変異〟を起こすので、生命維持は可能だが余分な器官を新造するほどの余裕はないよう、必要な臓器だけを選り分けて容器に詰めこむ。


 黒マントが毎日のように被験者を連れてきてくれるおかげで、エンケの技術は日々向上している。より薄く小さなカートリッジに、必要なだけの臓器を収めてより長く生かし続ける技術だ。


(人と、人でないものの境目……もうちょっと、もうすこしでわかる、かも……)


 思考を巡らせながらも、エンケの手は止まらない。不明瞭につぶやきながら行っては戻り、慌てて走りかけてはつまずいて転びと見ている者の神経を逆撫でするような挙動不審さとは対照的に、包帯とベルトで覆われていない腕だけが別人のように落ち着き払って被験者の解体と処置を進めていく。


(大丈夫……大丈夫だよ……私が君たちを人でいさせてあげるからね……)


 血と糞尿を混ぜ合わせた死の匂い、片時も止まぬ悲鳴と叫喚。

 誰もが忌み嫌うそれらをエンケは恐れない。

 もっと恐ろしいものがあるからだ。


天輪持ちにだけ現れる〝変異〟とはなんなのか、それが分からないことが恐ろしい。経験的にどうなると〝変異〟しやすいのかは分かっているが、例外もまたある。であれば、エンケ自身もいつ〝変異〟してもおかしくない。そうなったとき、自分自身を救えるのはエンケを除いて他にいない。


 だから、余分を切り捨て、削ぎ落とし、人と人でないものの境目を確かめていく。


「……ああ……やっぱり、これも要らない……えへへ、これでもっと純粋な〝人〟になれるね……」


 人であるためなら、人の形を捨てることなど、なにをためらう必要があるだろうか。

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