第7話 非保持者の村

 馬を駆り立てて北へと向かう。帝都を迂回して峠を越える途中、視界が開けた折に帝都ヴァレリアを一望できた。もうもうと立ち上って天を焦がす黒煙、低くかすかに轟く兵馬の叫び。火勢はもはや止めようもなく、街道には逃げ散る人々の姿がある。輝かしい白壁を誇った城も各所で崩れ落ちていた。


「ランドラブだかフォークトってやつがもう攻めてきてるのか……?」

「いえ、これは……同士討ちですね。はぁ……わたしとしたことがサーデンを過大評価していました」

「……支配の魔女がいなくなって、誰が次の皇帝になるかで争ってるのか」

「もとより天輪持ちはそういうものです。支配の魔女の下、団結して大帝国を成していた状況こそ異常だったと言っていいでしょう。これでは防衛どころではありませんね」

「まずいんじゃないか?」


 ランドラブやフォークトに対抗できる天輪持ちが不在なら、支配の魔女の配下にあった天輪持ちは一方的に狩られるしかない。敵の力が増せば、それだけフラクタの目的も達成が困難になるだろう。


「支配の魔女が事態の収拾に乗り出せていない、という意味では朗報です。こうなると、混乱に乗じて天輪持ちを砕いて、わたしの力とするのも手でしょうか……」


 思案顔のフラクタだったが、ややあって首を振ってみせる。


「……いえ、雑魚を構うより強敵の動向を探るべきですね。先を急ぎましょう」

「いいのか? 互いに殺し合えば生き残った天輪持ちはそれだけ強くなるんだろう?」


 リヴィンが疑問を口にすると、トーキィが嘆息せんばかりに答える。


「有象無象の力を束ねたところで、我が主を傷つけることが叶うとでも?」

「恐るるに足りないって言うなら、なんで支配の魔女を倒した後は逃げたんだよ」

「おお、理由もなく逃げたと思っておいでとは、貴方の頭の出来をまだ見誤っておりましたな」


 燃える帝都から視線を切って馬を進めるフラクタを追いかけながら、小馬鹿にした調子で喋るトーキィへの腹立ちを噛み殺す。いちいち癇に障る言い方をする指輪だ。


「じゃあ、なんで逃げたのか教えてくれよ」

「説明する義理はございませんな」

「トーキィ」

「もちろん我が主の命とあらば犬馬の労も惜しみませんとも」


 言うだけ言って詳しくは説明する気もなさそうだったトーキィだが、フラクタに促されて態度を一変させる。おもむろに講義をする教師のような口調に変え、問いかけてくる。


「騎士殿。そもそも天輪持ちにとって生命線であり切り札でもある固有能力が、敵である我々に筒抜けになっているのはなぜかと疑問を抱かれは……しなかったのでしょうな、そのお顔を拝見する限り」

「目覚めてからこっち、考えることが多過ぎるんだよ……」


 思わず愚痴を漏らすリヴィンを一顧だにすることなく、トーキィは続ける。


「支配の魔女ラヴルニエストゥスは、かの〝永遠なる〟ヴァレリアン帝から皇帝位を簒奪した後、多くの天輪持ちを殺すことなく支配下に置きました。我が強く、隙あらば叛逆と裏切りを働くどうしようもないクズどもに、主君に仕える騎士としての振る舞いを強制したのでございます。突出した個による蹂躙ではなく、同程度の力量で相性のいい天輪持ちを組ませる、あるいは敵に対して有利を取れる能力を当てるという方針の下で簒奪した帝国をまとめ上げ、後に行った南征によりヴァレリア帝国は大陸でも最大の版図を持つに至りました」

「なるほど……それなら配下の天輪持ちが自分の能力を隠し通すのは難しいかもな」

「出し惜しみを防ぐため、一定範囲での開示も義務づけられていました。もちろん欺瞞の可能性もないではありませんが、実際の働きと合わせて考えれば裏付けも取れるのでございます」

「つまり互いに手の内は知れてるし、実力も伯仲してるから削り合いになるってことか」


 納得したリヴィンの後をフラクタが引き取る。


「もちろん奥の手を隠している者もいるでしょう。しかし帝都を守っていた騎士の中に他を圧倒できるような使い手はいないと断言できます。万が一の裏切りを警戒する意味でも当然の処置ですが、魔女が不在となった今、互いに決め手を失ったとも言えます。そうそう決着は付かないでしょう」

「同士討ちで弱ったところを漁夫の利で一網打尽にされるのが最悪のパターンってことか。けど、さっきの方針を聞く限りじゃ国境にも敵に合わせたそれなりの備えがあるんじゃないのか? いくら天輪持ちが自分勝手だろうと、共通の敵を前にしてまで殺し合わないだろ」

「そこで期待を下回るのが天輪持ちという生命体なのでございます」

「その言い様は、自分の主をも貶めてるんじゃないのか?」

「ご理解いただけて幸甚の至りにございます」

「……うん?」


 一瞬、意味を掴み損ねるほど迷いのない即答だった。フラクタも何も言わない。主従だと思っていた二人の関係が一気に分からなくなる。どういう含意があるのか、ない頭を捻っている内にもフラクタはどんどん進んでいく。やがて小高い峠を越えると、広大な平野に出た。見渡す限り一面の畑と、遠くにぽつぽつと見える建物が視界に入った。おそらく村だろう。


 馬に乗って近づいていくと、立ち働く人々の姿が見えた。当然と言うべきか、保持者はいない。育てているのは小麦だろう。彼らもまた魔女の支配下にあったのだろうか。外見からは判断が付かず、遠くから牛の鳴き声と糞尿の臭いが街道を進むリヴィンまで届いてきた。


 のどかな農村を見つめるリヴィンの横に、フラクタが馬を寄せてきて話しかける。


「そんなに見つめてどうしましたか?」

「いや……意志がないってどういうことなのかなってさ」


 思えば、非保持者とはほとんど話していない。フラクタが助けた隊商にあれこれ命令するのを傍から眺めていただけだ。それもあって、非保持者は意味を持たないという話にまだ実感が持てなかった。


「そうですね……例えば、こういうことです」


 フラクタが腿を軽く締め付け、乗馬に意志を伝える。馬は一声いななくと、街道をそれて小麦畑の中に踏みこんでいった。茎が折れ、穂が踏み潰され、よく実った畑に無惨な筋が刻まれていく。


「おっ、おい、フラクタ!」


 後を追えばリヴィンも畑を踏み荒らすことになる。呼び止めようと慌ててかけた声に反応して、幾人かの村人の目がこちらに向いた。だが、それだけだった。困惑の声を上げるでもなく、制止する素振りを見せるでもなく、眼前で行われるフラクタの狼藉をただ視界に収めているだけ。


 馬上のフラクタが愁いを含んだ顔で振り返る。


「リヴィン、もし貴方がこの作物を育てる村人だったとして、わたしに腹が立ちませんか?」

「そりゃ……そうだろ。仮に逆らえない相手だとしても、怒るか悲しむか、そういう感情を抱くのが普通だ」

「ええ。普通なら、ただ傍観してなどいられないものです。つまり、非保持者は普通ではない……人としてあるべきものが欠けた存在なのです。彼らの一生は、決まり切った手順をなぞるだけの操り人形に等しい。そこからわずかでも外れた出来事には、ふさわしい反応を取れないのです」


 馬を街道に戻して、フラクタが続ける。


「例外は、保持者に命令されたときだけ。保持者の力が及ぶ範囲であれば、彼らは言われるがままに従います。まるで支配されるために生きているような、家畜にも等しい存在なのです」


 嫌悪感、憐憫、悲憤。そうしたものが入り交じった声音だった。


「わたしはそれが許せない。意志なき彼らを〝人〟にしたい」

「……どうやって?」

「分かりません。それを探すのもこの旅の目的です。でも、誰かがそれを成す必要があるのです。でなければ、この世界は永遠に停滞したままです。少数の保持者による力の奪い合いが果てしなく続く、くだらない遊戯盤にも等しい世界なら、いっそ砕いてしまうべきだとわたしは考えます」

「……フラクタは、すごいな」

「そうでしょうか?」

「非保持者を救おうとしてるんだろ。自分は天輪の保持者なのにさ」


 天輪は文字通りの特権だ。与えられる能力、非保持者への強制力。他の保持者とかち合うのさえ避ければ、非保持者を手足のように使って相当な範囲で自由に振る舞えるだろう。


 フラクタは、そうした世界の在りようを根底から打ち砕き、リヴィンも知る当たり前の世界――人と人とが対等だと認められる世界――を築こうとしている。天輪の力に思い入れのないリヴィンならともかく、この世界の在りようを当たり前として育ったフラクタがそれを成そうとしているという点が非凡ではない。


 しかしリヴィンの賞賛を受けてもフラクタの柳眉は下がったままだった。


「わたしは、恐いですよ」

「……恐い?」

「はい」


 それはそうだろう、と思う。世界の仕組みごとひっくり返そうというのだ。

 支配欲のままに振る舞う他の保持者から、フラクタは目の敵にされてもおかしくない。


「フラクタ」

「はい?」

「俺は、君の目的に共感できると思う」


 口にしてみて、確信が深まった。

 死ぬのは嫌だ、という後ろ向きな感情以外の何かが胸の内に灯るのを感じた。


「君が掲げる目的、非保持者を〝人〟にしたいという理想に、俺は賛同する。天輪の契約で仕方なくではなく、俺自身の意志でフラクタに協力したいんだ」

「道半ばで死ぬかも知れませんよ?」

「それでもだ。記憶を失って、自分が何をしたかったのかも分からなくなった俺が、そうしたいと思った。これは俺の意志だ」


 フラクタの視線が、改めてリヴィンに向いた。反射的に目をそらしそうになるのを意志の力で押さえつける。ここでヘタれたら全てが台無しだ。見つめられているだけで落ち着かなくなる緑色の瞳。元の世界ではあまり見かけなかった天然の金髪。神に愛された完璧な美が、ふっと笑って表情を緩める。


「リヴィンは変わっていますね」

「そ、そうかな」

「誰かを手助けしたい、なんて天輪持ちがどれだけ珍しいか……わたしと一緒にいればじきに分かります。そういう貴方だからこそ、あの支配の魔女の右腕として重用されていたのかも知れませんね」


 思い出したら、顔をしかめずにはいられなかった。そろそろ日が傾きつつある。急いでも次の街に着く頃には日が沈むだろう。人は眠らなければ行動を続けられず、眠れば確実に魔女が姿を現す。


「まずは明日の朝日を生きて拝まないとな……」

「ふふっ。情報、期待してますね?」

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