第5話 復活する天輪
「――うわああッ!」
絶叫する自分の声で目が覚めた。
跳ね起きて身体を確認する。手足は付いてる。胸に大穴も空いてない。
生きてる。それを実感してほっと息を吐くと、とっくに目覚めていたらしいフラクタと目が合った。
「……フラクタ」
「はい。おはようございます」
当たり前のように彼女がそこにいてくれて、ようやく胸をなで下ろす。
胸を貫く刃の痛み。やけに真に迫っていたが、やはりあれは夢だったらしい。
そう思いたいという願望交じりなのは否定しないが、とりあえず納得して胸に納める。
「ずいぶんうなされていましたね」
「あー、うん」
笑みを含むフラクタに見つめられ、わけもなく赤面する。彼女は朝食の準備を済ませて皿をテーブルへ運んでくるところだった。慌てて寝台から抜け出し、せめて皿運びだけは手伝う。向かい合って卓に付くと、低い身長に比して主張が激しい胸部が目についた。鎧を着ていないと、艶めかしいカーブが服の上からでもはっきり分かって目の毒だ。彼女の緑色の目は、そんな困惑を見透かすかのように細められている。
「冷めた食事がお好みですか?」
「いや、そうじゃない。うん、食べよう。その、準備してくれて、ありがとう」
「どういたしまして」
「本来なら我が主の従者たる貴方が準備すべきところです」
「トーキィ、よいのです」
「チッ」
「この指輪、舌打ちしたぞ!?」
どこに打つ舌が、といぶかるリヴィンを余所に、フラクタの細指がパンを千切って口に運ぶ。緩やかにウェーブする金髪を揺らし、目線で促すフラクタに誘われてリヴィンもパンへと手を伸ばした。焼きたてとは言わないが、温め直されたパンからは小麦の甘みがする。ベーコンと目玉焼きも塩とコショウだけのシンプルな味付けだが美味かった。鳴き声は聞こえていないが、住人は鶏を飼っているのかも知れない。
「どんな夢を見たのか、聞かせてくれますか?」
「んぐっ」
パンが喉に詰まりかけた。どこまで見透かされているのかと空恐ろしくなる。
「いや、ただの夢で……」
「本当にそう言い切れますか?」
「そんな風に尋ねられると断言はできないけど」
天輪だの魔法だのが実在する世界だ。他人の夢に侵入して攻撃する魔法、あるいは能力があってもおかしくない。フラクタやトーキィには心当たりがあるのかも知れなかった。
「分かった、話すよ」
夜中に目覚めたと思ったらフラクタの姿はなく、支配の魔女と思われる人物と会話した後に殺された。リヴィンがかいつまんで話す内容を、フラクタは口を挟まずに黙って聞いていた。
「てっきり死んだと思ったけど、目が覚めたら傷ひとつない。発言から考えると、今晩また眠りに就いたら現れるかも知れない。さすがに二晩も続けて同じ夢を見るなら言おうと思ってたんだけど……」
我ながら言い訳がましいなと思いつつ締めくくると、フラクタが大きなため息を吐いた。
「リヴィン。危機感が足りないのではありませんか?」
「そ、そうかな」
「貴方が見た夢は、支配の魔女ラヴルニエストゥスの生存を示唆しています。あのどう見ても死んでいる状態からどうやって生き延びたのかは不明ですが、これは由々しき事態です」
「倒したと確信した相手が倒せてなかったってことだもんな」
「違いますよ」
呆れたようにフラクタが言う。彼女は言い聞かせるように言葉を継いだ。
「リヴィン、貴方はおそらく魔女の洗脳から脱し切れていません。甘く見れば、そのうち人格を丸々上書きされて操り人形に逆戻りです。そこのところを理解していますか?」
「お、おう……言われてみればそうだな……じゃあ、俺が悪夢を見ていたら起こしてくれよ」
「ううん……それはお勧めできませんね」
「なんでだよ。悪夢にうなされてるやつがいたら普通は起こすだろ」
「トーキィ、どうですか?」
「短慮の極みと言わざるを得ませんな。かの支配の魔女に脳味噌を好き放題にかき回され、今なお何らかの影響力を残した状態で後遺症が出ないと思う方がどうかしているかと。無理に起こして、意識が肉体に戻って来られずそのまま廃人になっても構わないと言うなら問題ないでしょうが」
深刻かつ小馬鹿にした調子でトーキィが見解を述べた。腹立たしいが、口にした内容はもっともらしい。思い返せば、魔女は何度も殺して拷問にかけて人格を消し去るといった内容の言葉を口にしていた。リヴィンが眠りに就く度に現れる、とも。それを避けようとしたら何をされるか分かったものではない。そもそも人間は睡眠なしに生きていけないのだから、いつまでも悪夢を避けては通れないのだ。
「ただの夢ではなく、支配の魔女が何らかの力を行使して干渉しているなら、中断にはリスクがある。でも眠らずにいたら早々に参ってしまうのも目に見えてる。一刻も早く、魔女の本体を探し出して叩かないといけない。トーキィが言いたいのはこういうことか」
「さようでございますね」
「ですので、気の毒ですがリヴィンには今晩も殺されてもらいます」
「言い方ってあるだろ……?」
「なるべく耐えてください。そして会話を試みて、情報を引き出してくださいね」
「……分かった、努力する。で、フラクタは?」
「はい?」
「はいって……支配の魔女の居場所を突き止めて、倒すんだろ?」
「ええ、なので居場所を聞き出してもらえればと」
どうも行き違いがある気がしてならない。
彼女の言い方は、まるで。
「え、何もしてくれないの?」
「……?」
「んっふっふ」
彼は何を言っているのでしょう、みたいな顔をやめろ。指輪は含み笑うな。
「我が主。リヴィン殿は我らに支配の魔女を探し出す妙策はないかと期待しているのです」
「まあ……そうなのですか?」
「そりゃ、いい策があれば頼みたいんだけど」
「難しいでしょうね……あの魔女が簡単に居場所を漏らすとも思えませんし」
居場所を聞き出せと命じておいて、そんなことを言い出すフラクタ。
率直な疑問が口から漏れ出た。
「え、じゃあ俺、死なない?」
「その確率は高いでしょうね。ですから、がんばってくださいと言っています」
「我が主の激励です。感涙にむせび泣いて然るべきでは?」
「そこまでしなくてもいいですが」
「ええ……助けてくれないんだ……」
自分の考えが甘いのだろうかと自省していると、フラクタが追い打ちをかけてくる。
「仮にも天輪を砕かれた支配の魔女が、遠隔でわたしを殺せるほどの力を行使できるとも思えません。つまり、危険が及ぶのは元々何らかの仕込みがされていたリヴィンだけです。もし再洗脳される兆しが見えたら、今度こそ完全に砕きますので、ダメになる前にちゃんと教えてくださいね」
「砕くって、殺すってことかよ」
「わたしにとって害になるようなら仕方ないのでは?」
(この女、自分のことしか考えていないのか……?)
「俺を使ってやりたいことがあるんじゃなかったのかよ……」
「ええ。ですけど、あくまで次善の策であることも申し上げたはず。少々もったいなくはありますが、危険を冒して助けるほどでは……そういう関係をお望みでしたら、もっと努力してくださいね」
フラクタは艶然と笑ってそんなことを言った。自分の価値が気紛れで拾った捨て犬程度でしかないと、改めて言葉にされるのは中々心に来るものがあった。契約で縛られているのだからなおさらだ。リヴィンがそうして黙りこんでいると、トーキィが追い討ちをかけてくる。
「仮にも天輪を頭上に戴く人間であるのなら、ご自分で考えられてはいかがでしょうか」
「そういうあんたはお喋りするだけの指輪だろうが」
「ええ、ええ。リヴィン殿がおっしゃる通り、ただ喋るだけの指輪ですとも。口を開けて解決策が飛びこんでくるのを待っているだけの肉袋よりは上等な存在だと自負しておりますよ」
声音だけでよくもと思うほど、トーキィは感情表現が豊かだ。多少の皮肉は気にもかけないといった調子の飄々とした声が小憎らしい。発言そのものは正論なのも腹立たしい。
思うところはあるが、意識して深く息を吸い、ゆっくり吐き出すことで気持ちと問題を切り離す。問題を整理しよう。いつだって状況の把握は解決への第一歩だ。
支配の魔女ラヴルニエストゥスは生きていて、リヴィンの夢に干渉してきている。これを放置するとおそらく時間をかけて殺される。目下、対処すべき最大の問題がこれだ。そして、同行者であるフラクタとトーキィの助けは期待できない。彼らにとって、リヴィンは役に立つかも知れない道具でしかないからだ。この認識を改めさせれば状況も変わってくるだろうが、一朝一夕にできることでもない。
やはり、フラクタの言う通り魔女の居場所を突き止めるしかないのだろう。加えて、天輪を砕いても死なない理由を暴かなければならない。最悪の場合、殺しても殺しても終わらないイタチごっこになる可能性すらある。だが、本人から聞き出すという策は賭けとして分が悪い。
「……支配の魔女が復活したとして」
必死に頭を回す。他ならぬ自分自身の命が懸かっているのだ。
「その影響力は弱まっている、あるいは解除されたと考えられるんじゃないか?」
「ふむ、なぜそう思うのですか?」
「俺が即座に再洗脳されていないのが理由だ。明確に敵対した俺がすぐ殺されていないのも傍証となる。その場合、力を削がれた魔女は次にどう動くか。配下を増やし、支配力を取り戻すため、元々の臣下に接触を図るはずだ。ここまでの推論はそう的外れじゃないよな?」
「復活したからといって無条件で再支配はできない……可能性は高いでしょうね」
「じゃあ、俺たちはサーデンの動向を探るべきだ。魔女が帝都ヴァレリアで復活したなら、あるいはすでに掌握を済ませていてもおかしくない。これはフラクタとしても傍観できない事態だろ?」
騎士サーデン。支配の魔女とリヴィンに次ぐ、ヴァレリア帝国のナンバースリー。天輪の力は〝鼓舞〟であり、軍勢を動かすのに長けた人物だと聞いている。
「もし支配の魔女とサーデンがまだ接触していないなら、好機だ。弱っている魔女が接触を図る隙を突いて倒せばいい。相手の反応や強さから、復活の手段や条件についても探れるだろう」
「魔女が弱体化しているのは間違いありません。問題は、どの程度かですね」
「そもそも、弱体化は前提としていいのか? 前回、フラクタは魔女とその配下を分断して不意を突くことで倒したんだろ。連携が万全なら、いくらなんでも二人じゃ厳しいんじゃないか?」
「トーキィ、説明なさい」
「天輪は砕けると純粋な力となって霧散いたしますが、一部は周囲の天輪保有者に吸収されるのでございます。保有者たちがお互いに殺し合う理由もここにあります。仮に、砕けても再生する能力を持った天輪があるとしても、砕かれた状態では能力を行使できませんので、周囲の天輪持ちに吸収されるのは不可避でございます。ご理解いただけましたでしょうか」
「……砕いても復活する能力、か。思いつきなんだが、天輪持ちの第三者がそれをやってる可能性もあるか? 天輪の能力ってのは一人にいくつも与えられるようなものなのか?」
「基本的には一人にひとつですね。例外がないとは言えませんが」
「再生、もしくは他者を復活させる天輪持ちについて聞いたことは?」
「いたら、わたしが真っ先に砕いています」
「だろうね……」
天輪を砕くのがフラクタの目的だ。他者の天輪を復活させる能力者など存在を許すはずもない。
話がずれてきている。仮定をいくつも重ねていたらきりがないし、こうして話している間にも支配の魔女は部下の再掌握を進めているかも知れないのだ。考えるべきは真実がどこにあるかではなく、差し当たってどう動くべきかの方針だ。
「フラクタ。提案がある」
「聞きましょう」
「北へ向かおう。魔女の配下が他の強大な天輪持ちに取りこまれる前に、叩き潰すんだ。平行して、夢の中で支配の魔女と対話して、情報を引き出す。魔女の居場所と復活の手段が判明したら、今度こそ完全に倒しきるんだ。どうかな?」
「ええ、その方針で構いませんよ。ふふ、やはりリヴィンは役に立ってくれそうですよ、トーキィ」
「そういうことは本人に聞かれていないところで話すものですよ、我が主」
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