第4話 欠け冠の魔女
「今日はここに泊まりましょう」
「泊まるって……ここでか?」
フラクタの先導でたどりついたのは森の中の一軒家だった。扉の鍵は外れていて、ずかずかと踏みこむフラクタの後ろから室内の様子を伺うも人の気配はない。荒れた様子はなく、ちょっと近所へ出かけていったという風情だ。今にも住人が戻ってくるのではないかとひやひやする。
もっとも、帰ってきたところで泊めてくれと〝お願い〟すれば事足りるのだろう。当たり前のように食料庫を漁り、手早く食事の準備を始めるフラクタを手伝うことにする。できあがった猪肉のシチューは正直に言って旨かった。この家の主は狩りもするのだろう。壁にはよく手入れされた弓矢がかかっていた。
――リヴィン。
その晩。誰かに呼ばれたような気がして、目が覚めた。
ガラス窓のない室内は真っ暗だった。呼んだのはフラクタかと隣の寝台へ目を向けると、そこには誰も居なかった。寝具は整えられ、触れてみても温度が感じられない。手探りで確認すると、壁際に置かれていた彼女の装備一式が丸ごとなくなっているのが分かった。
(は? 嘘だろ、置いていかれた?)
違う、と胸の内で湧き上がった不安を一蹴する。フラクタは自分の武器とするためにリヴィンの命を救い、契約を結んだ。意味もなく置き去りにはしないはず。それより危惧すべきは魔女ラヴルニエストゥスの部下による襲撃の可能性だ。そもそも帝都ヴァレリアからさして離れたわけでもないのに、二人して寝こけていたのはあまりにも不用心だったかと今さらのような後悔がこみ上げてくる。
「くそ、どうする……」
自分の鎧とハルバードはあった。しかし慣れない鎧を身につける時間が惜しい。
武器だけを手に、扉を開けて慎重に外へと足を踏み出す。
月明かりの夜だった。
一切の気配を感じない――虫の鳴き声すら聞こえない――青白い光と静謐に満ちた世界。
そこに、星を見上げる少女がいた。
「……リヴィン」
月の光を吸いこむ銀髪をなびかせる少女。
その頭上には天輪――歪に欠けた天使の輪がくるくると回っていた。
装飾の随を凝らした黒と紫のドレスは艶やかな光沢を放ち、暗い森には似つかわしくない。
それ自体が発光しているように強い光を放つ黄色の瞳が、潤んだようにリヴィンを見つめていた。その口元には微笑みがあり、敵対的には見えない。くるりと向き直ると、こちらの言葉を待つようにただ黙っている。知り合いなのだろうかとも思うが、警戒を解くわけにはいかない。
「……お前は誰だ。フラクタをどこへやった」
気の利いた言葉は思いつけず、口にできたのはそんな問いだった。
だが、それに対する反応は激烈だった。
「――――ッ」
絶句する少女は大きく目を見開き、細い両肩をわななかせると。
抑えきれない怒りに上擦り、震える声で言った。
「……フラクタ、フラクタだと? よくも、貴様よくも余の前であの女の名前を臆面もなく……」
ちっ、という舌打ちが響く。
ぴりっと空気が締まるのを肌で感じ、思わずハルバードを握り締めた。
苛立たしげに地団駄を踏む少女は、不満げにリヴィンを睨みつけて問いを放つ。
「待て。そもそも貴様、余の顔を見て言うことはないのか。あるであろう、こう……」
「え、あ、あの……とても、綺麗だと思う、けど……」
「なぁッ――!」
今度こそ二の句が継げないといった様子で口をぱくぱくさせる銀髪の少女を、不覚にもかわいいと思ってしまった。これは、そう、一目惚れ――というやつだろうと頭の中の冷静な部分が告げる。普段ならとても言えないような言葉を口にしてしまったのも、きっとそのせいだ。
「よ、余が絶世の美人だと? この夜にふたつとない星の輝きだと、そう言うのだな?」
「う、うん、ああ……そう、そう思うよ。君は美しいひとだ」
冷たい印象を与える容姿とは裏腹に、照れを滲ませた口調で言う少女。
それに当てられてか、引きずられるように返事してしまう。
少女は口元に手を当て、笑みを含んだ声で言う。
「余とて鬼ではない。そうまで言うなら許してやらんことも……いや、余を裏切ったかのような言動は許しがたいが……というか貴様、その天輪はどうしたのか。ずいぶん濁って、余が愛した輝きも失せ消えてしまっておるではないか。余の前に出るときはよく磨いておけと常日頃から散々言い聞かせて……ううむ、まあよい。うん、欠点も丸ごと呑みこんでこそのよき伴侶というもの。さ、言うてみよ。貴様のことだ、何かしらの考えがあって〝王冠砕き〟に従っているのであろう?」
裏切る。伴侶。身に覚えのない言葉が頭を冷やす。
無惨に欠けてなお秘められた力の気配を漂わせる天輪が、ひとつの推測を浮かばせる。
「お前……もしかして、支配の魔女ラヴルニエストゥス、なのか……?」
それを聞いた瞬間、少女の目がすっと細められる。
地雷を踏んだ。しかも二度目。そう直感するのに十分な空気の冷え方だった。
いや、寒い。雰囲気の話ではなく、物理的に気温が下がっている。
ぱきぱきと音を立てて下草が凍りつき、思わず後ずさった拍子に粉々に砕け散る。足元から這い上る冷気が全身を包み、吐息が白く濁る。これも天輪の力かと武器を構えて相対する。
「貴様、本当にリヴィンか?」
冷えた問いに、背筋が凍った。
(どうする。なにを言えばいい?)
記憶喪失を告げるか。だが少女が支配の魔女であるのなら、リヴィンを洗脳して手駒として使っていた敵だ。本来の力を失っていると知られれば、フラクタもいない今、再び洗脳される可能性がある。そうなれば、もう自分を取り戻すことは叶わないだろう。それは嫌だ。
「……それを聞いてどうする」
フラクタは居ない。だがやるしかない。ハルバードを構え、少女に相対する。
「余に楯突くつもりか。正気とは思えぬ。いや、それこそ貴様がリヴィンではない証拠か……」
少女は悲しげに独りごちると、軽く手を振り上げた。
次の瞬間、身体の内側で激痛が弾けた。
ごぼっ、と水音が喉の奥で鳴る。
たまらず吐き出した血が、胸元にあるモノにかかった。
(いちごのシャーベットみたいだな)
激痛の原因、胸を突き破って飛び出した紅い刃を見て、そう思った。
刃の表面にすうっと霜が降りる。生身で触れればくっつきそうな冷たさだ。
熱と血。生物が必要とするふたつの要素をごっそりと持っていかれた実感がある。
(終わり? こんなの、反則だろ)
血で詰まった喉では負け惜しみのひとつも口にできなかった。
凍結した血の刃。ノータイムで敵の体内から発生させられるのなら、抗いようがない。
これが支配の魔女ラヴルニエストゥス。記憶を失ったリヴィンでは敵うべくもない相手だった。
冷め切った黄色の瞳が、仰向けに倒れこんだリヴィンを見下ろしている。せめて一矢でも報いようとハルバードを握る右手に力を入れた瞬間、魔女がちらりと視線を向けた。右手に激痛が走り、手首から先の感覚が消失した。見れば、千切れた手首に真っ赤な花が咲いていた。血の刃だ。
「呆気のない……そもそも貴様、自分がどこに居るのかも分かっておらぬだろう。まあよい。奪われたのならあらゆる手を尽くして奪い返すのみだが、失われたのならいっそ諦めも付くというもの。余に敵対する者がどうなるか、これからたっぷりと時間をかけて刻みこんでくれようぞ」
行き場のない憤怒と憐憫を滲ませ、魔女が言う。
意識が薄れる。助けは来ない。これで終わりなのか。
「おっと、貴様、これで終わりだなどと思ってくれるなよ? 余は貴様が眠りに就く度に現れる。嬲り犯し、焼き炙り、切り刻み、溺れさせ、厚かましくもリヴィンに成り代わったその人格がすり切れるまで、幾度でも幾度でも殺し尽くしてくれよう。そうして、そうして……そうさな、薄汚れた人格がすっかり洗い流されたなら……人形にでもしてくれようか。城に飾れば、あやつを思い出すよすがにはなるだろうよ」
「……フラ、クタ」
「……まだ呼ぶか、痴れ者め!」
呆れたような、やりきれないような。
そんな魔女の声を合図に、リヴィンの頭は真紅の花へと姿を変えた。
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