第3話 天輪の保持者

 豪奢な金髪を風になびかせるフラクタと並んで街道を進む。彼女と一緒に脱出した都市――帝都ヴァレリアという名前らしい――を見たときも思ったが、建築や土木の技術水準は非常に高い。


 幅は馬車が余裕を持ってすれ違えるほど広く、両側に歩道まで設けられている。踏みしめた感触もしっかりしていて、数年やそこら放っておいたところで小揺るぎもしないだろう。緩やかな傾斜をつけ、雨水を路肩に排水する工夫も施され、平原の果てまで真っ直ぐに伸びている。


「帝都ヴァレリアでの騒ぎはうわさとなって街道伝いに広まっていくでしょう。魔女ラヴルニエストゥスの死は隠し通せるものではありません。彼女の支配下にあったヴァレリア帝国は遠からず分裂します」

「内戦が起こるのか?」

「それだけで済めば話は早いのですが」


 歩みを止めずにフラクタと話す。リヴィンより頭ひとつは背が低く、鎧と戦鎚は相当な重さのはずだが、それを感じさせない軽やかな歩みだった。息切れする様子もない。ともすれば遅れそうになり、小走りになりつつ追いすがる。自然と会話は途切れがちになり、なんとなく気まずい。


「ところで、喉は渇きませんか?」

「え? ああ……」


 確かに喉は渇いていた。目覚めるなり戦って走ってここまで来たのだから無理もない。最後に摂った水分はと考えて、フラクタとキスしたときのぬめった感触を思い出す。鼓動が早まるのが分かった。


「前方に見える、隊商らしき馬車。あれから水をもらいましょう」


 目を凝らせば、街道の先に馬車が見えた。よく気付くものだと感心しながら眺めていると、ふと違和感が首をもたげた。御者台に座る人間の動きが慌ただしいのだ。馬に何度も鞭を入れ、全力疾走させている。続く何台かの馬車も同じようで、彼らは先を争うように馬車を全力疾走させている。


「フラクタ、あれは……」

「賊にでも襲われているのでしょう。もし天輪持ちがいたら逃がさないようにしてください」

「助けるんだな。分かった、急ごう」


 駆け出そうとするリヴィンに、しかしフラクタは怪訝そうな顔をした。


「……放っておいてもこっちに来ますよ?」


 落ち着いた態度を崩さずにフラクタは言う。動じない、というのとは少し違う。急いで向かう必要性を感じていない、という表現が近いだろうか。淡々と歩み続ける彼女を置いて隊商を助けに行くべきか迷う。


「いや、でも……あっ……」


 騎乗した人間が先頭を走る馬車の脇に出て、泡を吹いて走る馬の首に手斧を叩きこんだ。一瞬で絶命してくずおれた馬に馬車が乗り上げ、横転する。横倒しになった馬車で街道が塞がれ、後続の馬車は次々停止していく。隙を見て一台の馬車が街道を外れて逃げようとしたが、隊商の足止めをした男が馬上から斧を投げ、逃げる馬車の御者台にいた商人に命中させた。


 制御する者を失い、馬車が緩やかに停止するのを見届けた男は新たな手斧を手にすると、停止した隊商に睨みを利かせるように馬首を巡らせる。その頭上には、輝ける天輪があった。おそらく賊の頭目なのだろう。街道を遅れて走ってきた手下が逃げ道を塞ぎ、略奪にかかる。


 フラクタに声をかけようとした瞬間、彼女は駆け出していた。慌ててその背を追う。ついさっきまでは隊商を積極的に救おうという素振りを見せなかったのになぜ、と考えかけてやめる。フラクタが動き出したなら異存はない。リヴィンも戦い、一刻も早く隊商たちを救い出してやればいい。


 手下の一人がこちらを指差す。頭目の天輪持ちもフラクタたちに気付いた。彼は仕留めた獲物に目をやり、捨てて逃げるか新たな襲撃者を退けるか迷う素振りを見せた。それが命取りだった。


 天輪の輝きと共にフラクタが疾走する。

 分厚い石材で舗装された街道が砕け、低い姿勢で加速。

 白と金の流星となったフラクタが、爪先を思いっきり路面に叩き付けて石礫を生み出した。

 飛来する石礫を浴びて竿立ちとなった馬を御するのに頭目が気を取られた瞬間、彼女は上へ飛んでいた。そのままウォーハンマーを振りかぶり、男の天輪を頭蓋もろとも粉々に砕いてしまった。


 存在そのものが砕け散るような、凄絶な輝きと残響。


「賊ども、命が惜しければ散りなさい」


 陥没した頭部から間欠的に血を吹く頭目と、それを成したフラクタを目の当たりにした手下たちは完全に意気阻喪していた。彼女の言葉を合図にしたかのように、武器まで放り捨てて散り散りに逃げていく。彼らの逃亡を黙って見送ったフラクタは、興味が失せたように視線を切ると隊商に向き直る。


「転がっている死体は埋めて、食事の用意をしなさい。それから騎乗できる馬を二頭……いえ、替えも含めて四頭は要りますね。すぐに準備しなさい」


 フラクタが端的に要求を告げると、商人たちは雷に打たれたように動き始める。


「命を救われたとはいえ、やけに素直に言うことを聞くんだな」

「非保持者ですから、言うことを聞くのは当然です」

「……ああ、天輪を持ってない人間をそう呼ぶのか」


 帝都ヴァレリア脱出の際、咆吼で兵を退かせたのを思い出す。天輪を持つ者は持たない者――フラクタが言うところの非保持者――に強制力を伴う命令を下せるのだとすれば、非保持者は天輪の保持者にほとんど抗えない。独裁者には喉から手が出るほど欲しい能力だろう。


「リヴィン、貴方は天輪についての記憶も失っているのですか?」

「え? ああ……そうみたいだ」

「ふむ、不思議な記憶の失い方もあるものですね……エピソード記憶だけではなく、意味記憶も失われるなんて。こういう症例はあるのですか、トーキィ?」

「さて、いかがでございましょうか」


 フラクタが指輪に問いかけるのを余所に、リヴィンは動揺を表に出さないよう表情を保つので精一杯だった。エピソード記憶と意味記憶。本で読んだことがある。確か元の世界では心理学用語ではなかったか。たまたま似た概念がこの世界で生まれた可能性もなくはないが、それよりは二輪麟太郎と同じ世界から来た人間がいるか、フラクタやトーキィ自身がそうである可能性の方が高いだろう。


 そこまで考えて、ふと自分が取るべき言動に思い当たった。


「その、エピソード記憶とか意味記憶っていうのは?」


 剣や街道といった一般的な単語とは違って、この言葉は定義が前提となる。疑問を呈しておかなければ、この世界に来る前の記憶を持っているのが露見しかねない。


「トーキィ、説明なさい」

「かしこまりました。無学な騎士殿にもご理解いただけますようざっくり説明いたしますと、個人の経験や思い出に基づく記憶……あの時にこうした、こう思った、こんな印象を受けた。そうした情報と紐付けられた記憶をエピソード記憶と呼ぶのでございます。一方、手続き記憶は言葉の意味についての記憶……天輪とはなにか、といった知識に相当する記憶でございます」


 いちいち皮肉っぽい言い回しをする指輪の説明は軽く聞き流す。おおむね覚えている通りだった。表面上は真面目に聞いているように取り繕っておく。


 ちょうど商人が食事の用意ができたと呼びに来た。折りたたみ式の簡素な椅子と机、パンとチーズに干し肉という簡素なメニューだ。食事しながら話を続けることにする。


「思い出と知識、か……どっちもあやふやだな」

「わたしが見る限り、手続き記憶は失われていないようです。身体の動かし方や武器の振り方のような非言語的な記憶ですね。失われた記憶も、きっかけがあれば取り戻せる可能性はあります。もっとも、取り戻した記憶が必ずしもリヴィンにとって愉快なものとは限りませんが」

「洗脳されてた、って話だもんな。俺は、一体なにをさせられていたんだ……?」


 支配の魔女ラヴルニエストゥス。天輪の保持者をも従える、強大な天輪の持ち主。


 非保持者を隷属させる天輪の強制力があれば、どんな搾取も思いのままだろうと容易に想像が付く。権力欲に取り付かれた支配者にとっては限りなく都合がいい能力だ。使い方によっては世界征服すら不可能ではないと思わせる。こんな力が争いを呼ばないはずもない。


「リヴィン、貴方は他の騎士とは違い、魔女の側近として公にはならない仕事をしていたようです。当然、汚れ仕事も含まれるでしょう。場合によっては、身に覚えのない怨恨を向けられる可能性もあります」


 仮に誰かが復讐に現れたとしても、当然ながらリヴィンには思い当たる節がない。そんな相手を、自分は殺せるのだろうか。かと言って、記憶を失ったから許してくれなどと頼んだところで言い訳としか思われないだろう。リヴィンが相手の立場になれば間違いなくそう捉える。


「心配ありませんよ」


 沈黙をどう捉えたのか、フラクタは微笑みながら言う。


「天輪の契約を結んだ以上、貴方はわたしの所有物。傷つけ、損なおうとする者がいるなら、それはすなわちわたしの敵。ついでに天輪も砕けて一石二鳥です」

「そりゃどうも……けど、敵は天輪持ちとは限らないんじゃないか?」

「と言うと?」

「非保持者だって、向かってこないとは限らないだろ」

「はっはっは、大変愉快なご冗談でございますね」


 欠片もおもしろくなさそうな棒読みでトーキィが言う。無駄にいい声なのが腹立たしい。


「よろしいですか。非保持者とは意思を持たぬ羊の群れにも等しい存在なのです。言葉を喋り、感情と思考があるように見えたとしても、それは見せかけに過ぎません。非保持者からの復讐を恐れるなど、自力では指先一本動かせぬ操り人形に襲われないかと危惧するようなものでございます」


 ふと、周囲に商人たちの耳があるのにトーキィが平気で喋っている事実に気付く。慌てて周りに目をやるが、姿なき声を不審に思う様子も、自分たち非保持者を嘲弄するような会話に反応する様子もない。ワインを要求するフラクタの言葉に応え、高級そうな瓶を愛想よく運んでくる。その様子はあたかも命令されたときだけ反応するようにできている人形のようで、不気味さすら感じた。


「……天輪なき者は人にあらず、ってことか」

「その通りです。理解してくれて嬉しいです、リヴィン」

「フラクタは、その天輪を砕いて回ってるんだよな。何のために?」

「よくぞ聞いてくれました!」


 口を拭い、喜色を表すフラクタ。ぐいと身を乗り出すと、鎧に包まれた胸部が机に載った。視線の置きどころがなくなって、反射的に身を引いてしまった。バランスを崩しかけ、なんとか机の縁に掴まって体勢を立て直すリヴィンを余所に、勢いよく立ち上がったフラクタが演説を始める。


「天輪は宿る者を選ばず、その保持者に絶大な力を与えます。彼らの多くは天から与えられた力に酔い、過ぎた力を振るって殺し合い、奪い合い、他者を支配し隷属させることに血道を上げています。その姿は筆舌に尽くしがたいほど醜く愚かで、意思を持たぬがゆえに悪逆に走ることもない非保持者よりもずっと浅ましい。わたしは、この歪んだ世界に変革をもたらしたいのです」

「その手段が〝天輪砕き〟なのか?」

「はい。ええ、言いたいことは分かりますよ、リヴィン。それは対症療法であり、根本的な解決にはなりません。ですが、それは何もしない理由になるでしょうか? 大望を成し遂げんとするなら、まずは足元の一歩から。そうして歩む中で見えてくるものもあるでしょう。大仰に〝天輪砕き〟などと呼ばれてはいますが、わたしに手段へのこだわりはありません。よりよい方法が見つかるまでの次善の策として、わたしは悪しき者の頭上に輝く天輪を砕いて回っているのです」

「それはつまり……人を殺して回ってるってことだよな」


 不興を買うかも知れない、と思ったが後の祭りだった。

 すっと真顔に戻ったフラクタが淡々と問うてくる。


「よくないことだと思いますか?」

「……どうかな。それで助かってる人……非保持者、もいるんだろうし」

「まあ、非保持者はどうでもいいのですけれど」

「どうでもいいのかよ」


 思わず突っこむと、いい笑顔で笑うフラクタ。誤魔化したな、と直感する。

 そして空気が弛緩した瞬間を見計らったように、鋭く切りこむような問いを投げてくる。


「リヴィン。貴方自身は力持つ者として、この世界をどうすべきだと考えますか?」

「ううん……」


 言葉にならない違和感があった。しかし、これまでの常識では測れない天輪というものがある世界で、リヴィン自身は理想の世界を語れるほど確固たる思想を持っているわけではない。そもそも、天輪の契約でフラクタに命を握られている身分で無闇に逆らうのは得策ではない。


 もっと知るべきだ。世界についても、自分自身についても。


「ひとまず、フラクタの考えは分かった。悪事を成す天輪の保持者を倒すという目的なら、俺は君に協力できると思う。契約もあるし、ひとまずは君の命令に従うさ。俺にできることなら言ってくれ」


 ワインを口にして、心なしか頬を赤らめたフラクタが微笑む。


 こちらを見つめる緑色の目が細められる。女性に見つめられるだけでも落ち着かないのに、その相手がちょっと見たことのないほどの美人であり、自分の唇を奪った相手でもあることを意識すると、鼓動が早まるのを抑えられなかった。正直なところ、心を奪われているという自覚がある。


 一目惚れだ。端的に言って、二輪麟太郎は――あるいはリヴィンも――端的に言って面食いなのだろう。こうして一緒に食事をしていても、つい彼女の顔と豊かな胸に目が行ってしまう。フラクタはそれを分かっているのか、リヴィンに眺める時間を与えるような間を十分に取ってから切り出す。


「わたしの目的に共感してもらえて嬉しいです。では、今後の方針を話しましょうか」

「この国を丸ごと奪って砕く、だっけ?」

「ええ。トーキィ、説明を」

「かしこまりました、我が主。面倒な説明はお任せあれ」


 慇懃な口調で、ため息交じりに指輪が言う。


「差し当たって砕くべきは騎士サーデンの天輪でございましょうな。ヴァレリア帝国においては魔女ラヴルニエストゥス、そして彼女へ個人的に仕えていた騎士リヴィンに次ぐ実力者であり、支配の魔女には及ぶベクもないとはいえ強力な天輪の保持者でございます。その力は〝鼓舞〟であると判明しており、軍勢を率いてのぶつかり合いであれば大陸でも有数の実力を発揮いたします」

「一人では何も為し得ない。他者に使われるためにある、つまらない力です」

「左様でございますか?」フラクタのコメントをさらりと受け流してトーキィが続ける。「ともあれ、魔女亡き後のヴァレリアで最大の勢力を形成しうるのは間違いなくサーデンであり、彼の能力を考えれば自身が王となるより新たに戴く王を探すと考えてよいでしょう。その王が我が主のお眼鏡に適う、類い希なる仁君であれば話は早いのですが」

「おそらく、そう上手くはいきません。ヴァレリア帝国の近隣国でサーデンを超える天輪持ちとなると、候補は三人。〝見境なき〟ランドラブ、〝日和見〟フォークト。彼らも論外ですが、残る一人〝比類なき〟ソルレイ。彼だけはダメです」

「ソルレイってやつはそんなにヤバいのか?」

「トーキィ」

「北の大国ノースウォルの王。極北の大帝国メシエルの侵攻を跳ね返し続ける優れた軍指揮官であり、鉱業と交易で領地を富ませる有能な経営者としての一面も持ちます。謹厳ながらも公正な裁きを行うことでも知られており、まずは理想的な領主と言ってよいでしょうな」

「……なら、何がダメなんだ?」

「彼には器も理念もないからです」


 有無を言わさぬ、といった響きの言葉だった。

 それは聞き知っただけの人物に向ける感情としては強い気がしたので、聞いてみる。


「面識があるのか? そんな風に聞こえたけど」

「我が主は三度ソルレイに挑み、敗れております」

「トーキィ!」


 さらりと言ってのけたトーキィと、咎めるように語調を強くするフラクタ。どうやら彼女自身は知られたくなかった情報らしい。その理由もなんとなく分かる気がした。


「それ、フラクタは相手を殺すつもりで挑んだんだろ? つまり見逃されたのか」

「……ええ、その通りです。ソルレイはわたしを殺せる状況にありながら、殺しませんでした。わたしにはそれが許せない。馬鹿にしています。あの男だけは絶対に許しません」


 さほど長い付き合いがあるわけではないが、それはフラクタが見せた、もっとも強い感情だった。意外と負けず嫌いなのかも知れない。


「フラクタより強い天輪持ちと、軍勢を率いるのに適した天輪持ちか。確かに組まれると厄介だな」

「そこでリヴィンの出番となります」

「……俺の?」


 話の飛躍についていけなかった。しかし何となく嫌な予感がする。


「リヴィン、貴方は魔女の剣として敵対する者をことごとく仕留めてきました。大人数の広域支配に長けた天輪の持ち主だった魔女ラヴルニエストゥスがヴァレリア帝国の皇帝にまで上り詰めたのも、立ち塞がる天輪持ちを確実に仕留める貴方の力があればこそ。おそらく、その天輪に秘密があるはずです」

「……鼓舞とか支配とか、そういう特殊能力が俺にもあるってことか?」

「ええ。戦闘に特化――もっと踏みこんで言えば暗殺に特化――した能力だと見ました」

「我が主の見こみ違いでなければよいのですがね」

「トーキィ、うるさいですよ。期待していますからね、実際どうなのですかリヴィン!」

「いきなり言われてもな……」


 天輪の特殊能力。自覚はなかった。おそらくそれに関する記憶も失われているのだろう。

 

「契約でさせたいことっていうのが、つまりそれか」

「ええ。もちろん、わたしのため自発的にやってくれるに越したことはありませんが」


 目を細めて微笑むフラクタの感情は読めない。この先、記憶を取り戻したとしても、迂闊に打ち明ければフラクタですら勝てなかった相手に挑まされる可能性があることは覚えておくべきだろう。


「……悪いけど、能力に関する記憶も失われてるみたいだ。すぐには役には立てそうもないな」

「構いませんよ。期待するとは言いましたけど、それに全てを懸けるつもりもありませんから。一人では勝てなくとも、二人がかりであれば活路が見出せないとも限りません。その方面でも期待しますよ?」

「応えられるよう、努力するよ」


 ひとまず今後の方針が見えてきた。記憶を取り戻す方策を探しつつ、フラクタの天輪を砕く旅に付き従う。先行きは明るいとは言えないまでも、最悪ではないといったところか。


 食事を終え、替え馬も含めた四頭の馬を受け取って隊商と別れる。命の恩人とは言え、唯々諾々とフラクタの言葉に従う彼らの姿にはやはり違和感を覚える。この世界での価値がどれほどかは分からないが、騎乗に適した馬を四頭となれば一財産であるのは間違いないだろう。非保持者は保持者に抗えないという以上に、彼ら自身の意思が希薄であるような印象を受けた。


 だがフラクタがそれを奇異に思う様子はない。この世界における非保持者とは、ああいうものなのだろうか。一般的には己の意志と独立心が強いと思われる商人ですらそうなのだから、それ以外の人間についても推して知るべしだ。歪んだ世界。フラクタの言葉が思い出された。


「……歪んだ世界、ね」


 何気なく発された言葉を自分でも口にしてみて、ふと思う。

 その発想は、この世界とは違う常識で成り立つ世界を知っていてこそ出てくるものではないか。


 記憶に関する用語や、リヴィン自身の存在から考えて、この異世界に連れてこられたのはおそらく自分だけではない。あるいはフラクタやトーキィがそうという可能性もある。もっと言えば、こうした異世界への転生を果たす物語では、特別な能力を与えられるのは異世界から訪れた人間と相場が決まっている。


 疑問は尽きない。天輪持ちは転生者なのか、転生者はどれくらい一般的な存在なのか、転生者だという自覚はあるのか。慎重に探らなければならないだろうと覚悟を固めながら、商人から譲り受けた馬にまたがってフラクタの後を追う。心情的には初めての乗馬だが、やはり身体が覚えている。


「乗れるもんだな、馬……」

「なにを言っているのです、リヴィン。置いていきますよ」

「お、待ってくれ。ちょっ、いきなり駆け足は、うわあっ!」


 フラクタの馬に続いて駆け足に移った乗馬から、あっさり落馬するリヴィンだった。

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