第11話 一年生 1月

先輩の噂通り、元旦は店長がお年玉をくれた。

アルバイト先のコンビニの男の先輩たちは、みんな彼女持ちだった。

それでも、由衣夏をバイトの帰りにラーメン屋に連れて行ってくれたり、ボウリングに連れて行ってくれたり、お金はワリカンだったが楽しく遊んでくれた。

彼女がいることをオープンにしているので、由衣夏に手を出してくるようなこともなかった。

棚に並んでいる新作プリンをねだれば、いいよと言ってすぐに買ってくれた。

兄弟のいない由衣夏には、嬉しかった。

アセクシャルの由衣夏には、これくらいの付き合いがちょうどいい。


あれから紘美とは連絡をとっていなかったので、年末の出来事がその後どうなったのか知らない。

誰かに話したところで、わかる人などいないだろう。

いくら考えたところで、わからない。

紘美があんなことをしているのは、学校の中で、由衣夏だけが知っているのかもしれない。

紘美のことだから、何事もなかったようなポーカーフェイスをするだろう。

由衣夏もそれに合わせて、なにもなかったことにするだけだ。

冬休みは短いから、年が明けるとあっという間に学校が始まった。

学校へ行くと真っ先に紘美の顔を見た。

あの後、最悪の場合、暴力沙汰になって青あざなんかができているかもしれない、とまで妄想していた。

しかし、本当に何事もなかったように、相変わらず美しく、理知的で静かな佇まいだった。

あんな大勢の大人を集めて、あんなアホなことをやってる子には、とても見えない。

みんなこの綺麗な顔に騙されてるんだなあ。

そして、わたしもその一人なのだなあ、と由衣夏は情けなくなった。

それでも、野々宮さんは、今日も綺麗だなあ、と思ってしまった。


帰り道をひとりで歩いていると、路肩に停まっていた車のクラクションが鳴らされた。

目をやると、運転手が手招きしている。

道を訊かれるのかと思い、窓から覗き込むと、

「やっ」

と言われる。

知らない男だ、何の用だと思って黙っていると、

「そりゃないぜ、この前会っただろ。

 ほら、あいつのマンションで」

紘美のマンションにいた若い男なのだろう。

正直、顔を覚えていなかった。

「ああ、あの時の人」

「オレ、ゲン」

ふうん、と聞いていると、

「オレの本名は、信玄っていうんだ」

「信玄って、武田信玄の?」

と聞くと、

「そうなんだよ。

 親がそいつのファンでさあ。

 イマドキ、ないよな」

とイヤそうにしているので、由衣夏は吹き出した。

「ま、そんなわけで、オレのことはゲン、って呼んでくれよ」

うん、と言ってると、そんで、お前の名前は?と聞くので、由衣夏、と教えた。

「ユイカちゃん、ね」

「で、ゲンは何やってんの?」

「紘美待ってんだ」

「ああ、でもわたしが教室出るときは、もういなかったけど?」

ゲンはため息をついて、

「ああ、じゃあオレがあいつを見つけそこなったんだな」

「え? 約束とかしてないわけ?」

と聞くと、

「いきなり来て驚かせてやろうって思ったんだけどな」

サプライズのつもりのようだ。

他の男と約束してる場面にかち合ったらどうするんだろう。

「あんたって、紘美の彼氏なの?」

「ん〜、一緒にいることもあるけどな」

なんだかよくわからないが、遊び友だちの一人というわけだろうか?

「紘美が帰っちまったんなら、お前が乗ってくか?」

というので、紘美に見つかってめんどくさい事になりたくないから、と言って

断った。

「そんじゃあ誰かナンパでもして帰るぜ」

と言うので、由衣夏は呆れかえって、じゃあね、って言ってさっさとその場を去った。

ゲンは紘美の追っかけの一人かなんかのようだ。

紘美もゲンも、ガールフレンドやボーイフレンドがたくさんいて、楽しくやってるんだろう。

アセクシャルの自分には考えられない世界だ。

アルバイト先の先輩たちに可愛がってもらえてるのは楽しいけど、恋人とかじゃないから大事なイベントの時は一緒にいる事は出来ないんだ。

一生アセクシャルだったらどうしよう。

淋しさは人並みに感じるのだから、誰かと一緒にいたいと思っている。

自分がアセクシャルになった原因は、レイプ未遂事件なのだから、そのトラウマをどうにか出来れば、アセクシャルじゃ無くなるかもしれない、と思っていた。

そんなわけで、由衣夏はトラウマとかPTSD関連の心理学の書物を読み始めていた。

なかなか難しいことが書かれていて、読み進めるのが大変だったが、自分は間違いなくあの事件でトラウマを抱えている、と思った。

未遂に終わっていたが、あれが未遂じゃなかったら、もっとひどい傷を負っていたんだろう。

でも、カウンセリングとか、知らない誰かに話したくなかった。

自分でどうにか出来ないものか、そう思って図書館でたくさん本を借りて読んでいた。

学校の図書室で借りると先生たちに自分の興味のあることが知られてしまう、と思ったので、市の図書館で借りていた。

学校では生徒や保護者のために、週に一度カウンセラーが来てくれて、無料でカウンセリングを受けることができたが、そのほとんどが不登校の子で、登校してきても保健室にずっといるような生徒ばかりだった。

B組にはいないが、A組の真夏でも長袖を着ている子で、リストカットしている、と言う噂の子とか。

話したこともないが、由衣夏でも知っている、と言う事は、相手も由衣夏が中学生の時にレイプ未遂にあったことを知っているかもしれない。

今のところ、紘美と紗栄子にしか話していなかったが、ひょんなことで漏れるかもしれないし、知られたところで自分に非はないのだが、未遂と言ってるだけで、あの子は本当はレイプされたんだろう、と思われていたら辛いなあと思っていた。

中学生の時、事件のあとしばらく休んでいたら、レイプされて妊娠したんだと言う噂を流されたのだ。

休んでいる間に、先生の子を中絶したのだろう、と。

もちろん仲良い子は普段どおり優しくしてくれたが、あの時はとても辛かった。

だが、今のクラスメイトの誰からもからかわれるような事はなく、当たり障りなく普通に過ごせていたので、良かったと思っている。


新学期、紘美はあまり機嫌が良くなかった。

年末に楽しいと言って笑っていたのに、何があったのだろう。

自分からあれこれ話す子ではないが、イライラと神経質そうな雰囲気が出ていた。

矛先はミミに向かっているようだ。

ミミより自分の方が上だ、と知らしめたい、と言うようなことか?

わたしをあの場に呼んだのは、わたしからその話がミミに入ることで、間接的にすごい、と思わせようと思っていたのだろうか。

由衣夏は思っているより口が堅いので、由衣夏から噂を流す事はない。

思惑が外れ、ミミが実家から持ち帰った新作のヴィトンのバッグや財布を見せびらかすように持ち歩いているのがイライラするのだろうか。

自宅へ行った事はないが、紘美の家は普通のサラリーマンだったはずだ。

経営者の娘のミミの方が、自宅はお金持ちだろう。

女子のマウント合戦に巻き込まれるのはごめんだ。

由衣夏は自分のトラウマに集中して向き合いたいのだから、くだらないことは他所で勝手にやってほしい。

というか、ミミ程度にライバル視されること自体が苛立つのだろう。

ライバル視するということは、勝てる見込みがあると相手は思っているのだ。

絶対に勝てないと思っているなら、ライバルとはならない。

なるほど、由衣夏にはやっと紘美の心が少し理解できた。

だから紘美はぜったいにブランド物を持たないんだな。

あれほど取り巻きがいるのだから、ブランド物など買わせるのは簡単だろう。

それをしない、ということは、勝負を買うと同じレベルになってしまうからだ。

そういうことか。

・・・疲れるな。

由衣夏は紘美の奴隷でいいや、と思った。

ミミの奴隷はぜったいに嫌だが、紘美のならば、まだ譲歩できる。

しかし、珍しいことにミミがいない時に、紘美が苛立ちを口に出した。

紘美は元々の頭がいいので、毒舌も容赦なかった。

その通りです!と思ったが、勝ってるのだから、そのへんでやめといてあげれば?と思うくらいに厳しかったので、つい、うっかり、

「いやぁ〜、野々宮さん、顔だけやったらお嫁にほしいわ」

と、言ってしまった。

しまった!と思ったが、その時の紘美の顔が恐ろしかった。

顔だけ、と言ってしまったようなものだ。

ああ・・・。

どうしよう。

黙ったまま、早く次の授業が始まってくれることを祈っていた。








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