第5話 一年生 7月

期末試験の終わった土曜日の朝だった。

紘美から、話があるから今日会えないか、と電話がかかってきた。

突然だったが、嬉しくてふたつ返事で行く、と伝え、言われた住所に向けて家を出た。

今すぐ家を出ても2時間ほどかかりそうだと伝えるが、紘美は待っているから来てくれと言う。

服装はなんでもいいから、なるべく早く来て欲しいそうなので、由衣夏はデニムパンツにシンプルなカットソーという、本当に適当な服装で向かった。

いったい何の話だろう、と思いながらも、休日に会えるのが嬉しかった。

しかも、紘美のほうから電話をくれたのだ。

休日の電車は混んでいて、2時間ずっと座れなかったが、楽しみが勝って、何もしんどくなかった。

指定された住所は、マンションだった。

オートロックで番号を押すと、紘美が出て部屋まで上がってきてと言う。

エレベーターで上がり、インターフォンを押すと、すぐにドアを開けてくれた。

由衣夏は紘美の自宅かと思っていたが、家族で住むにしては狭いと思った。

1LDK程度の広さで、キッチンやバストイレはちゃんと分かれてあるが・・・。

一人暮らしにしては、ここから学校まで距離がありすぎる。

いったい、ここってどういう部屋なんだろう、と訝しんで聞いてみた。

「この部屋って、一人暮らししてんの?

 それにしては学校から遠いけど。

 家族、いないの?」

由衣夏はキョロキョロしながら聞いてみた。

通してもらえたリビングを観察する。

部屋の中はシンプルどころか殺風景で、テレビ、ソファ、テーブル・・・が、ポツンと置いてあるだけで、生活感がない。

「自由に使わせてもらってるねん」

あっさりと紘美から返事がきた。

「自由?」

返事はなく、ソファに腰掛けながら待っていると、紘美がきて、由衣夏の隣に座った。

呼び出された理由も気になったが、焦らずとも、そのうちわかるだろう。

そう思って、由衣夏は無難な会話を始めた。

「試験どうやった?」

「どうやろ、まあ、大丈夫やろ」

由衣夏の学校は、試験が甘い、と思う。

試験範囲をきっちり言うし、試験前の授業で、ここは大事ですよ、と教師が強調して言ったところが出題される。

他の学校に進学した子から、抜き打ちの小テストがあったりする話を聞くが、由衣夏の学校でそんなことがあったことはない。

手抜き、というか、教師たちが小テストや追試作ったりするのが面倒なだけなんだろうな。

そんな風なので、熱心な子は塾に通ったり、家庭教師をつけていた。

「うち、よその学校より甘いもんな」

「楽でええやん」

「これに慣れたら、どんどんアホになっていきそうやない?」

「まあ、まだ一年生やし」

紘美は鷹揚だ。

ふたりきりで話すのは初めてだ。

そう思うと、由衣夏は少し緊張してきた。

いいのかなあ。

こんな、ふたりで、こんな、隣に座るなんて。

学校では、紘美は聞き手に回る方が多く、自分から会話をふってくるタイプではなかった。

由衣夏もおしゃべり、というわけではなく、大体はミミか紗栄子が話題の中心になっていた。

さて、どうしようか。

ぼんやりと話題を考えていると、紘美が由衣夏の顔をじっと見ているのに気がついた。

顔に何か変なものでもついてるのか?と、ドキッとしたら、紘美がニッと笑い、

「できる・・・」

と呟いた。

「は?」

由衣夏にはさっぱり意味がわからない。

紘美は肩を揺すって笑いながら、

「できるで、これは」

と言い、由衣夏に体ごと向き直った。

「何が?」

と、由衣夏はわけがわからなくて聞いた。

紘美は由衣夏の目をじっと見て、

「由衣夏ちゃん、わたしのこと、好きって言ったやろ?

 いいよ」

と、はっきり言った。

由衣夏は若干、頭が混乱した。

何が?

さっきから主語が見えない。

それに、こんな綺麗な子にじっと見つめられて、ドギマギして落ち着かない。

「してくれていいって言ってるねん」

紘美は顔を寄せてくる。

綺麗な顔を近くに寄せられて、ドキドキする。

してくれていい、と言われても、由衣夏はまだキスすら経験がなかった。

「あ・・・あたし、抱いたことってないんだけど・・・」

ミミといい、なんかすごいな。

由衣夏は女子の積極性に引きながら、正直に伝えた。

紘美はじれったそうに話し続ける。

「由衣夏ちゃんが今までされて気持ちよかったことを、わたしにしてくれたら、それでかめへんから」

由衣夏を急かせてくる。

そう言われても・・・。

やり方とか、わからない。

しかし、由衣夏は紘美の綺麗な顔を見つめていると、そのまま吸い込まれるように唇を押し当てた。

ああ・・・これがキス・・・。

しかも、紘美と・・・。

由衣夏はキスだけで、そこらじゅうを飛び跳ね回りそうになっていた。

紘美の方は、艶やかな笑みを浮かべて、由衣夏の次の一手を待っている。

これは、恋する者にとっては、最高にハッピーなシチュエーションだろう。

相手の方から申し出てくれているのだ。

正直なところ、由衣夏にはそれ以上進むつもりはなかった。

仕方がない。

由衣夏は本当のことをうちあけることにした。

自分が、中学生のとき、学校の教師からレイプされそうになったこと。

未遂に終わったが、ものすごく怖くて気持ち悪かったと思ったこと。

その事件以降、性欲というものに対して嫌悪感を持っていること。

だから、誰かを好きになっても、肉体的に触るとか触られるとかは、今のところ無理だと思っている。

キスくらいは、なんとか出来たが、ディープなものは無理だと思う、ということ。

だから、紘美を好きだけど、抱くことも抱かれることも出来ない、と言った。

紘美は大人しく最後まで話を聞いてくれていたが、

「そりゃ、辛かったんやろうなあと思うけど。

 でもそれって、すごくもったいないことやと思うよ」

と言った。

潔癖症、てあるやろ?

それに似てるかなと思う、と言ったら、少し理解できたようだ。

来た時から疑問だった、この部屋について聞いてみたら、

「好きに使わせてもらってるねん」

とだけ言う。

どうやら、紘美には取り巻きの男が何人かいて、お金のある男もいて、そのうちの一人が、自由に使ってほしい、とマンションの鍵をくれたようだ。

おぼこい由衣夏にとっては驚くことばかりだ。

自分と同じ年の子が、そんなことをしているなんて。

綺麗な子は、ぜんぜん違う人生を生きているんだなあ。

ナンパされるとか、ラブレターもらうとか、それ以上にいろんなものがもらえるようだ。

そして、男に差し出された部屋で、クラスメイトの女に迫るって・・・。

その男もまさかそんな使い方をされているとは思っていないだろう。

男のひとは、紘美を愛人にしている気分を味わいたいんだろうな。

気分だけっぽい。

お気の毒に・・・。

由衣夏は大きなため息をついてしまった。

紘美は開き直ったように、

「今日、ヒマやってん。

 女とはまだやったことないから、面白そうやし、やってみたらどんなんかなあって思っただけ」

と言った。

由衣夏は安全そうな実験台、というわけか。

「ねえ、面白そうとかよりさ、好きな人とやった方がいいよ」

ちょっと呆れながら言ったら、未経験のお前には余計なお世話だ、と言わんばかりの態度で、

「いいやん、別に」

と言う。

どうやら好きなひとはいないんだな。

「好きなひと、おらんのやね?」

紘美は首を傾げて答えない。

いないようだ。

まあ、わたしは好きな人がいたところで、しないけど。

「あたし、触るとかできへんけど、野々宮のことはほんまに好きやで。

 だから、学校でも今までどおり、仲良くしてな」

素直な気持ちを伝えたら、

「うん、それはええけど」

と、言ってくれた。

学校で気まずくなるのが懸念されたが、経験豊富で中身も大人っぽい紘美のことだから、大丈夫だろうと思った。

まだ高校一年生なのに、もうこんなに経験の差があるのだ。

中学校のように、みんな一緒、ではないのだ。

無邪気だった中学時代が、ちょっと懐かしく思えた。















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