第56話 Extra edition3 空想

 あー、もう、すっごく痛かった。何なのよこのおばさん。私、血が出ているじゃない。あれ?体が動かないのに変なおばさんと向き合っている。

 「やば!ユリエさんに「遅れます」って電話しなきゃ…。」


 気が付いたら「フレームズ」にあるユリエさんのデスク近くにいた。パソコンでスケジュール管理をしているユリエさんの後ろ姿だ。「すいません。遅くなりました」と後ろから声をかけても振り向いてもらえず、覗き込んでユリエさんの目の前で手を振っても気が付いてもらえない。しかも不思議な事に「フレームズ」のユリエさんの傍でも、自分の体の傍でも両方とも意識があり状況を理解できている。自分の体の傍では、変なおばさんが駆け付けた警察に捕まり、ほんの少し後に来た救急車に私の体は乗せられた。痛みが無く、体と無関係な場所に意識があることから薄々は勘づいていたが、どうやら私は死んでしまったらしい。


 「フレームズ」内で点けっぱなしにしてあったテレビにニュース速報が出た。私が死んだことを伝える内容だ。ユリエさんが驚いて立ち上がり、泣き崩れた。私もニュースで知ったのだが、私を刺したのは因埜さんの奥さんだったのだ。何で私がマミコだってバレたのか、何で私が今朝あそこに現れるって知っていたのかという疑問はあったが、マミコとしてパパ活をしていた報いだと考えれば、諦めに近い感情がある。マミコの足跡はしっかりと残っていて、他の人もそれを見つけて跡を追うことができたということだ。まさか殺されるとは思っていなかったが、いつか誰かに暴かれるんじゃないかとずっと恐れていた。


 「私がパパ活をしていたってバレたら「MOST」やCMはどうなっちゃうんだろう?…」と考えると、サエさんがホテルと思われる会場で記者会見をしている場面へ飛んだ。今回は一瞬で場所が変わっただけではく、明らかに時間も変わっている。

 会見を見守っていると、サエさんが撮りためていた私の写真をベースに、私が過去に出演した画像・映像素材を各媒体の協力のもと取り纏めて、写真集にするようだ。各企業の規定や版権の問題等で難しい交渉になると思われたが、各メーカーや共演者は快諾してくださり、約3ヶ月でこのような出版発表ができる段階まで来たらしい。

私のパパ活疑惑については、因埜さんの奥さんが自殺する前に、私がマミコであることを否定したという証言が広く報道され、因埜さんの奥さんが自棄になった“人違い殺人”だったという評価になったようだ。もちろん、それでも雑誌やネットで私への嫌がらせのような記事や書き込みはあったが、多くの人は相手にしなかった。だからこうして私の写真集『純白』が発売できる。

 3ヶ月…?私は、ついさっき私が殺されたニュース速報を見たところだったが、今、私が見ているのは約3ヶ月後のお盆明けの出来事のようだ。確かに会場にいる人達の服装が夏服だし、配布された資料の日付は8月xx日になっている。私は未来の出来事を見ているのか?試しに「『純白』にはどんな写真や映像が採用されて、本棚に並んだのだろう?…」と意図的に考えてみると「越之国屋書店」にいた。また時間が進んだのだろう『純白』が実際に本屋に平積みされている。表紙は「エトワール東京」でのウェディングドレス姿だ。私がアーチモニュメントの前で頭の上に左手を乗せてピースサインで笑っている写真だ。帯には「ガールズプライズ」のステージ上でサーシャさんとハイタッチをしている画像、「スラフコフ」のイベントで両手を広げて日光を浴びている画像、上高地皇帝ホテルのラウンジ「サン・ベルナール」入口で撮った画像等がサムネイルのようにいくつか載っていた。

 ちなみに、これを見ている私と同時に、私が殺された朝「フレームズ」でユリエさんが涙を流しながら記者会見の準備をしているのを見ている私の意識もある。


 そうだ、コウジは?「コウジはどうなった?…。」私の意識がもう一つ増えて「ラス・カーズ」でコウジとユリエさんがお話をしている場面にいた。ボックス席に対面で座っている二人。私はコウジの隣でユリエさんと向き合っている。どうやら別の日にユリエさんとコウジが私の思い出話をしているようだ。「ユリエさん、クローゼットの中身をバラさないでくださいよ」、「そうそう、コウジは一般女性のエリカでも好きだって言ってくれたんですよ」と私も話の輪に入りたいが、私の声は届かず、何かに触れてもすり抜けて私の意識がココにいることに気が付いてもらえない。

 「コウジはこの後どうなるのだろう?きっと他に彼女ができて、いずれ結婚しちゃうんだろうな…。」案の定、意識が増えて他の出来事を認識できるようになった。かなり時間が進んでコウジの結婚披露宴のようだ。紋付袴のコウジと白無垢の女性が並んで高砂に座り、両家の親戚縁者、友達や会社の同僚と思われる人達が楽しそうに騒いでいる。一番賑やかなのはコウジの姉アヤさんの旦那?彼氏?カイト先輩と呼ばれている男性だ。司会者に友人代表の刈谷ユウジと紹介された男性がコウジとハツネさんと言うらしい花嫁との馴れ初めや祝福の言葉を述べている。

 「いいなぁ、私もコウジと結婚して、結婚式や披露宴をやりたかった…。」私の意識がさらに増えて信じられない光景を見ている。私とコウジが「ホテル アーチオブエトワール東京」で披露宴をしているのを参列者のように見ているのだ。私の家族、ユリエさんやサエさん、「MOST」編集部の方や「スールト」等のアパレルメーカーのオーナやデザイナーさんも列席している会場で、コウジはタキシード、私はウェディングドレス姿で、二人で微笑み合ってクマちゃんのスピーチを聞いている。半蔵おじさんが会場内で目配せをしながら指示を出して、一緒に写真を撮ったスタッフの皆さんが手際よく料理や飲み物を運んでいるホテルの宴会場だ。ウェディングドレス姿の私は大笑いしたり、コウジと顔を近づけて囁き合っているからあちらにも意識というか自我があるのだろう。死んだ私が言うのも何だが、あれは本物の生きている朽木エリカだ。私と“私ではない私”の意識が同時に存在している。SF映画等で描かれている並行世界、パラレルワールドというやつなのだろうか。ウェディングドレスの方の私にしてみれば、別の私の意識が披露宴にいることを考えもしないだろうけど。

 「ラス・カーズ」でのコウジとユリエさんの思い出話は進み、ユリエさんが私が大事にしていた御守をコウジに渡してくれた。ユリエさんが言うとおり、御守を家族に渡しても近所の神社に返されるか燃やされてしまうに違いない。ふと思いついたのだが、未来や並行世界を見ることが出来たのなら、過去に遡ることも出来るのだろうか?枝毛のように本筋から分離した意識を一旦「フレームズ」でユリエさんを見ている意識に集中して引き戻し、「コウジと芸能神社をお参りした時」を強く思い出す。最初で最後になった二人の京都デート。コウジが私を応援してくれる気持ちが嬉しかった。そして、その御利益だったのか偶然なのかは分からないが、私がモデルとして成功する契機となった芸能神社への参拝。もし過去へ戻れるならこのデートが一番だ。

 場所は間違いなく芸能神社で、社殿前にいる。時間の方はどうだろう、私が死んだリアルタイムなのか、未来か過去か…。鳥居の方から「うわー。」と驚く私の声が聞こえた。私が経験した過去か似ている並行世界か分からないが、嬉しくて涙ぐむ私をコウジが促してこちらへ歩いてくる。集中し強く念じて私の意識が具現化していたのか、歩いてくる二人とすれ違いざまに目が合ったので微笑みかけた。


 誰かがやり方を教えてくれるでもなく、取扱説明書があるわけでもないのでコツを掴むまで手間取ったが、何ができるのか概ね分かった。私の意識が考えたり思い出すことによって、動画サイトの検索のような感じで特定の出来事や人物等を見ることができたり、タイムスタンプのように西暦xx年xx月xx日と特定の時点や地点を指定して出来事を見ることもできる。さらに、見ている出来事を普通の時の流れはもちろん、2倍速やマイナス5倍速など任意の速度で見ることもできるようだ。それも一つの意識だけではない。場所と時間がバラバラでも、複数の私の意識が同時にしっかりと出来事を理解できている。

 つまり、時の流れも距離も無く、思考が現実となる“ここ”からの視点なら私とコウジが結婚する並行世界や、私自身の選択、様々な外的可能性等を変数とした人生の『if』を見ることができるのだ。

 「もしも、私が1年生の夏休みに父親が倒れた時、モデルになる事を諦めて島に帰っていたら…。」

 「もしも、私が近江さんの『独占』終了と同時に「ゼタバースクラブ」を退会していたら…。」

 「もしも、私が「ガールズプライズ」でサーシャさんとの共演を最後に芸能界を引退していたら…。」

 「もしも、私が大学卒業後に「ゼタバースクラブ」で売春を強要されていると警察に駆け込んだら…。」

 「もしも、私が殺されるよりも先に、因埜さんの奥さんのお金や気持ちが途切れて私を探すのを諦めていたら…。」

 「もしも、……。」と、いくつもの私の仮定で考えた過去や未来の並行世界を探索してみる。何だか人生の答え合わせをしているみたいだ。私が経験した人生とあまり変わらないルートもあったが、島に戻ってから本土のスーパーマーケットでアルバイトをする退屈な人生、コウジやメーカーの人達にパパ活がバレて皆から見捨てられる寂しい人生、私がママタレントになってもクラブ活動を続けさせられる地獄のような人生など、色々なルートを見ることができた。

 中でも一番理想的に思えたのは、4年生の9月に近江さんの『独占』が切れたタイミングで「ゼタバースクラブ」を退会し、大学も芸能界も、コウジとの関係も続ける人生だ。まだ因埜さんと会う前のあの時なら、ミナさんは私が経験したほど頑なに退会を拒否する事はなく、慰留はしたものの渋々逃がしてくれた。私の金銭事情を暴こうとする雑誌記事やネット書き込みがあっても、ミナさんもクラブも私の秘密を守り、むしろそういう連中の排除に積極的ですらあった。私はエステ店「ホワイトフレーム」でのバイトシフトを増やす必要はあったが学費は納められたし、生活費のやりくりもできた。パパ活用に買っていた服や鞄を少しずつリサイクルショップやネットで売りさばいていったのも生活の足しになった。無事に大学を卒業して「フレームズ」でモデルを続け、約3年後の「MOST」卒業と同時に芸能界を引退することになった。コウジは待っていましたとばかりに私にプロポーズをしてくれて、結婚話がトントン拍子に進む。そして、あの「エトワール東京」での結婚式と披露宴だ。結婚後、しばらくは二人の時間を確保しようと子作りは先延ばしにした。コウジは伊予丹社員だから土日に二人で出かけることは稀だったが、年に数度まとまった長期休暇を取って、私が行きたいと希望した海外旅行に連れ出してくれた。フランス、イタリア、エジプト、オランダ、ベルギー、スペイン、ドイツ、オーストリア等を度々旅行し、二人の時間を満喫できた。


 「もしも、……。」、「もしも、……。」と、意識を分散させすぎたのか、意識が少しずつ遠のいていく。感覚が無いはずなのに何だか暑くなってきた。このルートだけでも続きが見たい。散り散りになっていた意識を再度このルートだけに集中する。


 私とコウジが自宅の寝室で愛し合っている場面にいきなり飛んだ。さっきまで映画を見ているように時間の流れに沿って見れていたのに、急にスキップして飛んだのだ。私ってセックスの最中こんな顔をしているんだ…なんか恥ずかしいなぁ。でも、コウジも気持ちよさそうな顔をしているからもう少しでイっちゃうよ。…ほら、やっぱり。いよいよ本気で子作りを始めたんだね。結婚してほんの少しふくよかになった私をコウジは変わらずに愛してくれている。


 また時間が飛ぶ。次は私とコウジの長男が高校1年生の夏に初めて彼女を我が家へ連れてくる場面にスキップした。コウジによく似た自分の可愛い長男に、どんな小娘がちょっかいをかけたのか?長男の母親が私、元モデルの朽木エリカと知っていても我が家に乗り込んでくるのか?私は、チャラチャラした変な女の子だったら長男と別れさせなければならないとハラハラしている。自転車で我が家に乗り付けて訪ねてきた女の子は、地味。服装は上下ファストファッション、背が低くて和風な顔立ち。若狭家の男性は女性の胸の大きさを重視しないのか、この子も小さい。息子を取られるんじゃないかと心配していたのが馬鹿馬鹿しいくらい良い子で、私は女の子を一目見て破顔し、家に招き入れた。


 視点がぼやけて、眠るように意識が途切れる。きっと、このルートの私はこの先も幸せだろう……。いい夢が見れた。

 コウジは優しいから私が死んでもずっと私の事を覚えていてくれるはずだ。でも、踏ん切りをつけて新しい彼女さんや未来のお嫁さんと幸せになってほしい。…コウジに何かサインを送らなきゃ。何がいいかな……。


 一かけらの氷が溶けて小さな水たまりになる。水たまりの水を指先で引っ張って離すと、元あった水たまりから分離して、より小さな水たまりになる。この小さな水たまりからさらに分離してより小さな水たまりを作ることができるし、元あった水たまりからさらに分離して、別の小さな水たまりを作ることもできる。こうして溶けた氷の水たまりは無限に小さく分離できるが、どれも水であることには変わりない。この水もあの水も元は同じ水たまりだ。だから水と水を引っ付けて水たまりに戻すこともできる。

 しかし、元の水たまりも分離した水たまりも少しずつ蒸発して、やがて全て大気の一部へと戻る。元々の一かけらの氷だけではなく、別の氷が溶けた水も、別の入れ物にあった水もそれぞれ蒸発して、いずれ大気へと帰るのだ。帰る先は大いなる集合体、新たな循環の源。

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