第40話 本当に夢を叶えちゃったね。

 翌日「フレームズ」に行き、事務所でまずユリエさんと抱擁して成功を称え合った。

 「おめでとう。本当に夢を叶えちゃったね。」

 「ありがとうございます。ユリエさんのおかげです。」

 「ううん、エリカがずっとレッスンや小さな仕事も真面目に頑張ったのと、幸運が味方してくれたからだよ。」

 「はい。」涙が出てきた。

 「お金の事情で酷い事もさせちゃったし、怒っているかもしれないけど、辿り着けて良かった。」

 「私が悩んだ末やった事です。ユリエさんはアドバイスをしてくれて、選んだのは私です。」

 「ゴメンね。でもありがとう。…私も初めてだよ。自分が担当したタレントがここまで大活躍してくれたのは。」

 「そうなんですか?」

 「うん。だから、これからエリカをどうプロデュースしたらいいのか、私も困っちゃうな。…実績がある他のマネージャーと交代しようか?」

 「いやです。私はユリエさんが良いです。」ユリエさんの目を見て真っ直ぐ答える。

 「そっか。じゃあ二人でもう少し頑張ってみようか。」

 「はい、よろしくお願いします。」

 私は真面目にレッスンを続けて、少しずつ仕事の実績を積み重ねてきた。その仕事を取ってきてくれたのはマネージャーのユリエさんだ。1年生の5月に「フレームズ」に来て目標として語ったファッションモデル。私の中でずっと憧れだった「MOST」モデルになる夢が実現しようとしている。東京に出てくる前から憧れだったサーシャさんと同じ雑誌に、同じモデルとして載るのだ。


 これが秀才社「MOST」の撮影であることを除けば、今まで経験した写真や映像の撮影と大きくは変わらない。指定された衣装を着て、指示されたポーズを取る。映像のように台本がないが着回しやオススメアイテムを使うという制約はある。変わった点と言えば、ありがたい事に私を指名して衣装協力してくれるメーカーが現れた点だ。「スールト」という新しく立ち上がったばかりのブランドで、「これから朽木エリカさんと一緒に成長したい」とデザイナー兼社長が言ってくれた。「スールト」とも一緒に「MOST」デビューをすることになる。他にもいくつかのブランドのこれから売り出す衣装を着せていただき、写真を撮ってもらった。

 この写真を見てくれた若い女性達はきっと、かつての私がそうだったように百貨店等で私が雑誌で着た衣装を探し、試着室の中でこっそりモデルのポーズを真似する。私の場合、憧れのモデルと同じスカートやトップスを着て、鏡の前で仕草を真似るだけでも自然と顔がニヤケた。そのモデルに私が今なろうとしている。島にいた時は百貨店が近くになかったから雑誌やネットを見ながら、自分の部屋で同じ色使いの服を使って妄想するだけだった。それでも楽しかったし、友達との話も弾んだ。「次、広島や尾道に買い物に出かけたら…」、「高校を卒業して都会に出たら…」と、ページをめくりながら綺麗な衣装に身に包む明るい未来を語らった事を思い出す。女性が女性に憧れる。その対象に自分がなるという夢が叶った。


 私が「MOST」デビューをした10月号は販売部数が特別に増えもせず減りもせず、例年並みだった。話題にはなったが私の影響力など全国区ではまだまだ。ただ、私宛に「エリカちゃん、おめでとう」や「朽木さん応援しています。」、「エリカが着ていたスカートを買ったよ。」等という温かい声が多数秀才社に寄せられ、「フレームズ」にも届いたのが嬉しかった。

 いきなりサーシャさんと同じ号にモデルとして載るなんてうまい話はないかと思っていたが、実際サーシャさんとは行き違いが続いた。あちらが夏・秋服や水着で4ヶ月連続で掲載された後、私がデビューした10月号は休息で、サーシャさんが秋・冬服で復帰した11月号には私に「MOST」から声がかからず、私が12月号の冬服で再度モデルをさせていただいた月は、サーシャさんが別のお仕事でお休みになる。本当に偶然だが、なまじ私がサーシャさんに憧れていると公言していたために、ネットの中では「サーシャがエリカを避けている。」、「エリカがモデルとして認められていない証拠」という悪意ある書き込みや憶測が出るほど同じ号に載ることができなかった。もちろん秀才社さんやサーシャさんの所属事務所から私が共演NGをくらっているわけではない。

 私が「MOST」モデルになって起こった変化として、もう一つ。これまで秀才社から「フレームズ」にたまにファッションモデルお声がかかっていた先輩モデルがいたが、その先輩への秀才社からのオファーが完全に無くなった。私よりも背が高くてメリハリがはっきりとしたスタイルだったが、表情やポージングに特色がないというか、印象に残らないというか、とにかく読者や写真家、衣装ブランドの目に止まることがなく、誰かの穴埋め程度でしかファッション誌に出ていなかった。しかし、私が「MOST」モデルとして正式に起用されてからは、先輩はバラシかもしれない日程押さえすら無くなり、私が「フレームズ」の中ではトップモデルということになった。元々モデル分野ではそんなに強くはない「フレームズ」ではあったが、嫌味を言われた2年前のバレンタイン営業の時から立場が完全に逆転した。


 因埜さんとのパパ活は本当に刺激が無いまま滑り出していった。ミナさんから評判で聞いていたとおり因埜さんは物静かな方で、夜も朝もあまり会話がない。さらに言えばセックスは一晩1~2回するが、その時以外は「マミコさんも自由にしていいよ。」と私を放置してくれる。因埜さんは新聞を読みながら黙々と食事を摂ったり、文庫本の小説を読んだりして寛いでいるし、私がスマホを見ながらベッドやソファでゴロゴロしていても咎められることはない。シャワーや着替えを覗かれることも邪魔されることも無く、コウジのように私を抱きしめながら甘い言葉を囁いてくれることも無く、行為が終われば次のセックスまで基本的には指一本触れてこない。ツインベッドの部屋の時ならそれぞれ違うベッドで寝るくらいだ。

 マミコの唯一の存在価値であるセックスの時でさえ、因埜さんは私のバスローブやホテル備え付けの寝間着を脱がせてサワサワしている内に勝手に興奮して、入れてくるだけだ。近江さんのように私を気持ちよくさせようとか、イカせるために色々試すような事はせず、自身の欲望を無抵抗の私にぶつけて発散させるだけだ。コンドームを着けているから何とかなっているものの、私はほとんど濡れることなく、当然気持ち良くもない。私は身を捩ったり「ダメ」と小声で言ってみたり恥ずかしそうにしそうに振舞って寝転んでいるだけだが、それでも因埜さんは大喜びで「美人で興奮する上に最高に気持ちいい。」、「今までの女達はなんだったんだ。こんなに気持ち良いのはマミコさんだけだ。」と満足して果ててくれている。確かに楽と言えば楽だが、面白くない。

 私の不満とは裏腹に因埜さんのマミコへの入れ込みようは深くなっていく。関係を持ち始めて1ヶ月経たないくらいまでは月2晩の頻度だったが、一晩の中ではペニスの回復に限界があるからと、ひと月に会う回数を増やすよう持ち掛けられた。大体近江さんの時もひと月あたり2晩~3晩ペースだったが、因埜さんは余程マミコを気に入ってくれたのか、「今度の水曜の晩に会えないか。」とか「次はいつ会える?」などマミコの都合がさえ付けば出来るだけ多く会おうと誘ってくる。私は既に学費を納めたのでパパ活は生活の足し程度にしか考えておらず、何度も会ってお手当を多く貰う必要性は無いが、『独占』を切ることをチラつかせながら因埜さんが迫ってくるので無下には扱えない。結果、多い時は2週間続けて会う事もあり、一晩20万円は変わらないので、回数が増える事によって因埜さん負担は大きくなってしまう。私の方が「大丈夫なのかな?」と心配になるが、それにも構わず因埜さんからのお誘いが続いた。

 因埜さんは旅館のお仕事が忙しいのだろう、日々の仕事で心身ともに疲れてストレスが溜まっているように見える。因埜さんはその忙しさや疲れからかテレビや動画、流行にあまり興味が無く、「小さい時から好きだった読書で、その世界に没入するのが自分なりの休み方」らしい。だからなのかホクロメイク程度の変装でも私が朽木エリカだとバレていない。そもそも私が出ているCM自体を知らない可能性すらある。読書と若い女とのセックス、これが因埜さんにとっての最高のリフレッシュのようだ。

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