第36話 エリカ、信じましょ。

 和気さんとの「デート」の日はすぐに決まった。和気さんのアシスタントさんとユリエさんが調整をして、7月最終週に長野県の上高地で撮ってくださることになった。「私、瀬戸内出身なんですけど…。」と一応言ってみたが、ユリエさんは「海へ撮影に行ったら、水着の写真が1枚も無いのは不自然になるでしょ。」ともっともな返答があり、山へ行くことになったのだ。


 上高地へはユリエさんの車で二人で行った。マイカー規制があるので途中までしか自家用車で行けないので、バスに乗り換えて目的地の「上高地皇帝ホテル」へ向かった。ここに2泊しながら撮影する予定だ。和気さんとアシスタントさんは既に到着していて、ロビーで待ち合わせをした。土日なら賑わうであろうロビーやラウンジも、平日の夕方は比較的静かである。

 「朽木さん。来てくれたんだね。ありがとう。」

 「こちらこそ、よろしくお願いします。」

 「改めまして。朽木エリカのマネージャーの室崎ユリエです。」ユリエさんが自分の名刺を差し出す。

 「余所余所しいな~、サエでいいよ。私もエリカって呼ぶし。マネージャーさんもサエで良いよ。」

 「ありがとうございます。」

 「じゃあ早速だけど、打ち合わせを兼ねてラウンジに移って、お話ししながら撮ろうか。」

 「はい。」


 数段の階段の上、大きなマントルピースが聳え立つラウンジ「サン・ベルナール」へ移動した。

 「じゃあ、撮影だけど、単純に晴れの日は外、雨が降ったらホテル内で撮る。もう梅雨明けだから外で撮るチャンスがたくさんあると思うよ。方向性は、大人とか卒業、進化ね。エリカにただの美少女を卒業してもらう。」

 「よく分かりませんが、できるでしょうか。」

 「まあ、やってみようよ。で、今回撮った写真は、私が「ポートレートジャーナル」に寄稿する。ちょうど雑誌で和気サエの特集をしてくれるんだ。」

 「すごいですね。その題材に私を使ってくれるなんて夢のようです。」

 「ははは、エリカは優等生だな~。お世辞でも嬉しいよ。」

 「衣装や持ち物はどうしましょうか?」

 「まずは人が少ない内にホテルの共用スペースで撮ろうか。エリカでアウトドアのイメージは難しいから、田舎にのんびり羽を伸ばしに来たみたいな衣装と小道具にしよう。」

 「分かりました。」アシスタントさんの指示で今着ている服装からコバルトグリーンのワンピースに着替えて、ベルトやネックレス等を準備しておいた。ワンピースには少し深めのスリットが入っていて大人っぽいデザインだ。

 「いいね。それで撮ろう。」吹き抜けで解放感があるが、照明は少し薄暗くて落ち着いている。ベージュの壁に赤いカーテン、木製のテーブルと椅子が山岳リゾートの特別感を演出している。その中に敢えて緑系を身に纏った私が入る。ホテルから事前に許可を撮っているのだろう、ホテルのスタッフも誰も何も言わない。

 サエさんとの撮影は楽しい。シャッターを切りながら私に色々と聞いてくるのだ。「彼氏いるの?」、「どんな所にデートに行くの?」、「レッスンやバイトで中々会えないでしょう。」、「彼氏に大事にしてもらっているんだね。」、「エリカは彼のそういう優しいところが好きなのかな。」、「大学はサボり気味なんだ。」、「彼氏の他にも面白い友達と出会えたんだね。」など私とサエさんで会話をしながら撮っていく。もちろん合間合間にポーズや表情の指示はあるが、一緒にカフェでお茶しながら撮っている様な錯覚を覚える。実際、小道具兼おやつでコーヒーとケーキをいただいた。食べているところもサエさんの細かな指示を受けながら写真を撮ってもらった。

 一通りラウンジやエントランスで撮った後、少し人が増えてきた事もあり打ち止めにして休憩。20時からレストラン「マレンゴ」で夕食をいただいた。ちなみに、今回の撮影はガソリン代も宿泊費も食事代もサエさんの事務所持ちだ。「経費だから、いいの、いいの。」と話していたが、たぶん高額な費用がかかっているはずだ。私では写真や雑誌が売れなくて赤字になったらどうしようと秘かにプレッシャーを感じた。


 食後、サエさんから「そちらの部屋に遊びに行っていい?」と聞かれたので、「もちろんです」と答えた。私とユリエさんが泊るツインルーム。天井の半分ほどが斜めに下がっている不思議な部屋だ。サエさんとアシスタントさんが備え付けのテーブル椅子に座り、私は鏡台用のイスに、ユリエさんはベッドに腰かけている。ラウンジで購入したコーヒーとアーモンドクッキーを食べながら話が進む。

 「今日改めて撮って思ったんだけど、エリカって面白い子ね。ただ可愛いだけじゃない。」

 「そうなんですか?自分ではよく分かりませんが。」

 「気を悪くしないでほしいんだけど、エリカは笑っていても泣いていても、一見して“演技”だと分かる。もちろん写真や映像の設定に応じて演技しているから当たり前なんだけど、女子高生役、花嫁役、彼女役であって、朽木エリカという女性像ではないんだ。」

 「台本やディレクターさんの指示どおりで…」

 「うん。私も動画や画像を見たけど、上手にできていたよ。でもね「フレームズ」で初めて会ったエリカは何か違った。まだ君が朽木エリカだと分からなかったけど、可愛いとか清楚なだけじゃない“何か”があった。だからエリカに試し撮りに付き合ってもらったんだよ。」

 「ありがとうございます。」話が抽象的で私がどう応じたら良いか分からないところをユリエさんが話を継いでくれた。

 「ひょこひょこと背伸びして中を窺って可愛い、全身を見ると普段着でクタクタのスニーカーだったけど、普通の大学生ではないのは分かったよ。チラッと照明の位置と光を確認したのは「慣れているな」って思った。でも芸能事務所に所属しているそこそこのタレントでは出せない雰囲気がエリカにはあって、それが面白かったんだ。」

 「「何か」とか、「雰囲気」とはどんな感じのものですか?」自分でも全く分からない。

 「どう伝えたらいいかな~。何かに怯えている様な、何かを隠している様な、何か自分を押さえつけている様な、清純派とか可憐な優等生には似つかわしくない暗い影。エリカの美しさには“濁り”があるって感じかな。」

 「そんな……。」自分でも動揺しているのが分かる。「そんなことありません」と否定しなきゃいけないのに、出来ない。ユリエさんも驚いてコーヒーを飲む手が止まっている。

 「思い当たる事がある?私もアシスタントも秘密を守るから信用して。モデルと写真家の信頼感が無ければ良い写真が撮れない。」

 「カスミさんも、サエさんを信用しているんですよね?」信用して良いものか判断迷う。

 「ええ。詳しくは言えないけど、あの子もコンプレックスの塊よ。」

 「私、男性が嫌いなんです。」と、学生時代に男子生徒が私の写真とエロ本でオナニーをしていると聞かされた事。男子生徒だけではなく近所や島中の男からねっとり気持ち悪い視線を向けられて嫌だった事。水着や薄着になって男の妄想で汚されたくないから生意気にも仕事を選んでいる事。だから女性に憧れてもらえるモデルになりたい事を伝えた。

 「賢い子だ。…でも、それだけじゃないでしょ?」

 「え?」

 「男性が嫌いなはずのエリカに今は男友達も彼氏もいる。友達や彼氏ができたなら良い事じゃないか。たぶん彼氏とエッチもしているんだろ?なのにエリカのあの憂いは何なのかしら?」

 「……」俯いてサエさんの視線を避ける。

 「エリカ、信じましょ。」ユリエさんが微笑み、告白を促してくる。

 「私…、彼氏とは別にパパがいます。その…お金を貰って…。」メモを取っているアシスタントさんの肩がピクっと動いたのが分かったが、構わずに言葉を選びながらパパ活をしている事を伝える。もちろん相手や行為の内容等の具体的な事は言わない。ただお金に困っていて一人の男性と3年近くパパ活をしている経緯を伝えた。

 「なるほどね。目立つのが仕事だけど、有名になればなるほどパパ活のこともバレるかもしれないか……。だからあんな表情が出来て、雰囲気が出せるんだ…。」

 「すいません。幻滅しましたか?」

 「いや。チェキで試し撮りした時、シャッターを切る指が止まらなくなった魅力の正体が何となく分かったよ。」

 「あの、…明日以降もエリカを撮っていただけるのでしょうか?」ユリエさんが心配そうに確認する。

 「もちろんよ。ただ、打ち合わせでも言ったとおりこの撮影では「可愛いだけ」ってのを卒業してもらう。役作りではない素の朽木エリカを撮るよ。」

 「私はどうすればいいですか。」

 「何もしなくて良い。というと誤解があるけど、設定を考えたり、演じる必要は無い。ありのままのエリカで私のカメラの前に立ってほしい。…パパ活の事はバレないと私が言い切る事は出来ないけど、止めたくても止められない理由があるのだろうから、清濁併せ呑んで正々堂々とモデルをすればいい。

 あと、世の男性のみんながみんなエリカでオナニーしているというのは自意識過剰だし、男の視線はエリカが魅力的という証だ。性の対象としてだけではなくて、彼女にしたいとか、お嫁さんに欲しいと思ってくれている男性も多いはずだよ。いたずらに毛嫌いするもんじゃない。

 それに、エリカが目標にする「女性が憧れる女性」ってのも、女性がファッション誌のモデルの衣装や所作を真似して男にモテたいと思っている事を再認識する必要がある。多くの女性も結局は、異性である男性に認められ、求められたいんだ。エリカも彼氏に大事にしてもらえるのは幸せだろ?アレだよ。あの幸福感が女性の究極の望みなんだよ。モデルは女性が好きな男性から好意を得るお手伝いをするんだ。だからエリカも女性だけじゃなくて、カスミちゃんのように老若男女から愛されるモデルになるといい。」

 「は…、はい。」サエさんに素直に告白して良かった。涙が出てくる。

 「私を信用して、話してくれてありがとう。私も伊達に何百人も女性を撮ってない。信頼に応えて良い写真を撮るよ。」

 「ありがとうございます。」泣いて頷くことしかできない私の代わりにユリエさんがお礼を言ってくれた。

 「じゃあ、また明日ね。あと、ここで聞いた話は墓場まで持ってくから安心して。」ニコッと笑ってサエさんとアシスタントさんは自分たちの部屋に戻って行った。

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