第34話 意外と根に持つタイプなのね。

 大学生の朽木エリカとして2つ良い事があった。1つ目は3年生の後期試験の結果、全ての単位が取れていて所定の単位数を満たした事、2つ目は4年目の学費を納入でき、無事に4年生になれたことだ。つまり、後は何もしなくても時間が過ぎれば大学を卒業できる。エイガク卒や大卒の学歴が得られるのだ。学費の心配が無くなった以上、パパ活が不可欠ではなくなった。続けるか止めるか考えたが、生活が厳しい事には変わりない。レッスンや撮影に専念するためにもクラブを続けることにした。


 ユリエさんの営業で火が付いたおかげで、ありがたいことにお仕事がどんどん決まる。

 春に向けて大手化粧品メーカー「ビオール」さんのお仕事をいただいた。洗顔料のCMである。私は文字通り洗顔料を使って洗顔する女性を演じる。「ビオール」さんはこれまでも色々な商品で若手のモデルや女優を起用してきたが、今回、私に白羽の矢が立った。「是非うちのCMに出演を」と先方からいただいたオファーで、ユリエさんからの営業ではなく突然舞い込んだ幸運だ。断るはずがない。

 通常15秒版は、私がヘアバンドを付けて、タンクトップにショートパンツ姿で洗面台に立っているとこからスタート。鏡の前で洗顔料のポンプを押して泡を手に取り、それを頬へつけてゆっくり肌へ馴染ませた後、おでこや鼻周り、口周りへも泡を広げて顔全体を洗顔し、最後に水道水を手で受けて洗い流す。泡を手に取ってから洗い流すまでの間、商品説明のナレーションが入っていて、私が白いタオルで拭き取った後、鏡に向かって、これがカメラ目線になるのだが、「惚れるなよぉ、そこの男子。」とほほ笑んだカットで終わる。

 Web限定30秒版では通常版の前後に映像が追加される。大学の教室で女友達と椅子に座っておしゃべりしている私達を遠くから見ている視線のカメラがあり、若い男性の声が「朽木さん、綺麗だ…」とボソッとつぶやくと、私がアップで抜かれ、私も名前を呼ばれたようにカメラに視線を向ける。そこで「その綺麗の秘密は…」とナレーションが入り、場面転換して通常版の洗顔シーンに繋がり洗顔が終わると、私が教室のおしゃべり場面でカメラに向かって微笑みながら「惚れるなよぉ、そこの男子。」のキメ台詞を言って終わりだ。

 通常版のCMは3週間地上波で放映され、申し訳ない事に商品である洗顔料の売上はやや増加程度だったが、これが朽木エリカを広く世に知ってもらえる決定的な契機になった。

 「新しいCMの子かわいい。」

 「この子、前から知ってたよ。泣いてた子でしょ。」

 「あの学校はどこ?これから転入する。」

 「私もこの洗顔料買おうっと。」

 「Web版の破壊力がスゴイ。」

 「あの子は売れるって前から思っていた。」

 「朽木さん、綺麗だ。」

 「スッピンでもあの可愛さって反則。」

 など好評で、Web版だがすぐに続編を作る事が決まった。デート編とオフィス編の2つだ。


 GW前から続編の撮影が始まる。まず、デート編では、デニムにTシャツというカジュアルな格好で彼役のモデルとラーメン屋さんのカウンターに並んで座り、ラーメンを食べている。私が左手で髪をかき上げると左隣の彼役が「朽木さん、綺麗だ…」とボソッとつぶやき、私の顔が横からアップで抜かれ、私も彼役の方に視線を向ける。そこで「その綺麗の秘密は…」とナレーションが入り、場面転換して通常版の洗顔シーンに繋がり洗顔が終わると、私はお箸でラーメンを持ち上げながら横を向いて、彼役視点のカメラに向かって微笑み「惚れるなよぉ、そこの男子。」のキメ台詞を言う。バッチリ台本通り決めた。が、ラーメンを食べている時にスープが衣装に跳ねて飛んでいるのに気が付いた。

 「申し訳ありません。衣装汚してしまいました。」慌てて席を立ち謝る。

 「申し訳ありません。」ユリエさんも駆け出てきて、一緒に平謝りながら衣装の汚れをウエットティッシュで拭おうとしてくれる。

 「ちょっと、待って。カメラ、今のどこまで撮ってた?」プロデューサーさんが確認する。

 「マネージャーさんがフレームインするまでです。」

 「OK。マネージャーさん大丈夫だから、気にしないで。衣装はそのままにしておいて。」と言った後、プロデューサーさんはカメラを見ながらスタッフの皆さんと「…すぐに立ち上がったから編集点無いか…」等と話し合いを始めた。しばらくして、

 「朽木さん、台本には無いんだけど、もう少し尺を伸ばしてもいいかな?」

 「はい。」どうするのだろう?

 「キメ台詞の後、衣装にスープが付いているのに気づいて「あっ!」ってなったでしょ。そこから、「やっちゃた」みたいな感じでカメラ目線くれるかな?さっきみたいに自然体なのが良かったんだけど、編集できなくて。」

 「分かりました。やってみます。」

 「じゃあ、通常版から画面戻って来たポイントから、もう1テイク行きまーす。」撮影が再開した。

 「惚れるなよぉ、そこの男子。」でラーメンをお箸で持ち上げたままチラッと下を見て「あっ」で、カメラに向かって驚いた表情を作った。

 「カット。朽木さん、良かったんだけど、彼とのデートだからもう少し“甘め”でもう1回やってみて。」

 「はい。お願いします。」甘め、甘めと頭でイメージする。

 「惚れるなよぉ、そこの男子。……あっ…」衣装を見て一瞬キョトン顔をした後、カメラに向かって可愛い目の苦笑いをした。これでOKをもらえて、無事にデート編の撮影が終了した。衣装を汚したことは特にお咎めは無かった。


 オフィス編は会議室で男女6人がミーティングをしているシチュエーション。スーツ姿の先輩役がホワイトボードの前で身振り手振りを交えて何か説明しているのを私がノートパソコンにメモしている姿を会議室の中から引きで撮り、正面に座っている男性同僚役が「朽木さん、綺麗だ…」とつぶやくと、私が正面からアップで抜かれて私も目線を送り、通常版に繋がり商品説明。会議室の場面に戻ってからは、カメラに向かって「惚れるなよぉ、そこの男子。」で終わりだ。

 デート編と同じディレクターさんが、前回はアクシデントで予期せぬ良い画が撮れたと気を良くして「今回もキメ台詞プラスαをやってもらっていいかな。」と言われている。ディレクターさんの今回の指示は「オフィスで仕事だからセリフが聞き取れる程度の早口で、かつ小声で台詞をキメてほしい。」、「キメ台詞の後、どちらの目でも良いからパッとウインクができるかな。」だ。分かりましたとは言ったものの、私はウインクなんてしたことが無い。ユリエさんに聞いたり、動画を見ながら撮影まで1週間ほどウインクの練習をした。

 撮影当日、現場の控室でスーツ姿に着替え、髪やメイクもOL風に仕上げてもらった後、プライベートではレポートの時しか使わないパソコンの入力シーンがわざとらしくならない様にタイピングの練習をしたり、鏡の前でウインクの練習もギリギリまでしていた。

 「朽木エリカさん、本番お願いします。」と声がかかる。

 「行ってきます。」ポーチからお守りを出して、念を込めてから控室を出る。ユリエさんと二人で「よろしくお願いします」と挨拶をしながら現場に入った。


 「惚れるなよ、そこの男子。」いつもなら微笑みながら可愛く「惚れるなよぉ~」と伸ばすところを今回は短く切って、少し困り顔で囁くように声を抑えてセリフを言った。その後は右目でパッとウインク。会議中のちょっとしたイタズラみたいなイメージを思い浮かべて演技した。

 「カット、OKです。」

 「ありがとうございます。」やった、一発OKだ。

 「よかったよ。しっかり練習してきてくれたんだね。完璧だった。」とディレクターさんから褒めてもらった。撮影終了後、控室に戻る時にスタッフさん達からも「すごく可愛かったです。」「いい素材を貰ったのでバッチリ作品に仕上げますね。」、「完成版楽しみにしていてください。」と銘々声をかけてもらった。


 控室に戻って衣装を解き、後片付けをしているとユリエさんからも労いの声をかけてもらった。

 「良かったわね。エリカ。いいCMになりそうじゃない。」

 「やっぱり現場って楽しいです。調整してくださってありがとうございます。」

 「お仕事が続いたし、準備もしっかりするから少し疲れたんじゃない?1週間くらい長めの休暇を入れてインターバルを取ろうか?」

 「いいえ。お仕事はいただける内にやらないと。それにまた夏が来ちゃいますし。」

 「そっか、でも無理はしないでね。」ユリエさんが私をじっと見ている。

 「どうかしましたか?」

 「いや、私、デート編とオフィス編のエリカのキメ台詞を見てドキッとしちゃってさ。いい表情をするようになったなぁと思って。」

 「えー、本当ですかぁ?またからかっています?」嬉しかったが照れ隠しだ。

 「そんなこと無いわよ。真面目な話、『華』が出てきたんじゃない?」

 「ふふふ、ありがとうございます。田舎高校出身で有象無象のゆるキャラみたいなのが、ミスキャンパスくらいにはなれそうですかね。」

 「あんた頭良いからだろうけど、意外と根に持つタイプなのね。」ユリエさんが少しふくれている。

 「私は嬉しいんです。ユリエさんに認めてもらえて。」

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