第31話 たまたま営業に行っただけだったのに。

 「本当にたまたま営業に行っただけだったのに、すごい事になっちゃったね。」ユリエさんの言葉である。何の事前情報も無く、出張帰りに近くに制作会社があることを思い出して立ち寄ったら、「ミュージックビデオの案件があるんだけど、予算は少ないし納期が押し気味で困っててさー、「フレームズ」さんで良い子いない?」と聞かれ、話を聞いている内に、若くて可愛い系の女性を探していて、ギャラはそんなに出せないから実績は問わないという事が分かった。本来はある程度経験がある中堅どころのタレントをアサインするところだが、話を聞いたユリエさんは迷わず私を推してくれたらしい。その場でタブレットを使って私のスチールやプロフィールを見せてたら、制作会社さんも「いいじゃん、イメージどおりだ」と即決でOKをくれて、とんとん拍子に撮影の段取りが進んだ。

 仕事が偶然入るのも稀有な出来事だが、さらにありがたい事に11月上旬にリリースされたこの曲「Reluctant farewell」がヒットして、多く長く聴いてもらえた。元々「Old magazines」さんは既に10曲以上のシングルをリリースしている実績あるバンドだし人気があったが、私の大泣きシーンも話題となって、「映像のあの子は誰だ?」というコメントもたくさん付いた。ビデオ再生がどんどん回っていく内に動画のサムネイルが途中で私の大泣き画像に変更されたくらいだ。SNSでは、

 「即ダウンロードしました。」

 「初見で泣いた。」

 「歌詞が染みる。」

 「映像の子が可愛い。」

 「彼女感、半端ない。」

 「あの娘は泣かせちゃダメでしょ。」

 など、彼女役の私へのコメントもたくさんあってすごく嬉しかった。


 ユリエさんは「一気に火をつけるわよエリカ。頑張って付いて来てね」と言い、まさに寝る間を惜しんで方々へ「うちの朽木エリカを使ってみませんか?」、「ええ、あのMVの子です」と営業をかけてくれた。結果、11月中に新しい仕事が決まった。

 生命保険会社「カストディアン生命」のプロモーション動画だ。台本によると私は披露宴で両親への手紙を読む。小さい頃から両親に大切に育てられて、父親が死んでからも大学まで進学でき、就職し、結婚までできた。その感謝の気持ちを綴った手紙を回想する映像をバックに読み上げるのだ。手紙を読み終えた後、遺影を持った母親が抜かれて、私が周りの拍手に送られながら手紙と花束を渡して終わる。手紙を読み上げるシーンはもちろん、高校生、大学生、社会人の「私」役を私が演じる。さすがに中学生以下は別のモデルが使われるようだ。撮影は披露宴会場だけではなく、回想シーン用の映像も撮る。ミュージックビデオの時と同じように大掛かりな撮影になりそうだ。


 手紙の内容はこうだ。

 『お父さん、お母さん、25年間本当にありがとうございました。こうして大学まで卒業できて、就職をして、今日というこの日を迎えることができたのも、今まで二人が優しく、温かく、時に厳しく大きな愛で私を育ててくれたおかげです。心から感謝しています。

 小さい頃、公園でよく遊んでもらったし、私が近所の悪ガキとケンカして“たんこぶ”ができた時には、お父さんは相手の親と取っ組み合いのケンカをしてくれたね。

小学生の時、「勉強の事はママに聞けよ」って言ってたけど、二人とも一緒になって宿題を手伝ってくれたね。

 中学生の時、私が部活の試合に出る時は、遠い会場でも軽トラで応援に駆け付けてくれたね。私が私立高校への進学を悩んでいる時は「子供がつまんねぇ心配するんじゃねぇ。行きたい学校へ行け!」と言ってくれました。

 高校へ行ってからもお母さんがたくさん本を買ってくれて、勉強を頑張れたから第一希望の大学へ行けたよ。たくさん本が読めたおかげで本が好きになって、出版社に就職することができました。そこで、今、隣にいる彼と出会い、彼はこんな私にプロポーズをしてくれました。腕っぷしはお父さんのような期待はできないけど、優しくて大事にしてくれるんだよ。

 お母さんは「大した事をしてあげられなくてゴメンね」と言いますが、私は一度もそんな風に思ったことはありません。今日まで大切に育ててくれたことだけで感謝の気持ちでいっぱいです。お父さんがいなくなって寂しいと思ったことはありますが、辛いと思ったことは一度もありません。お父さんの想いを引き継いで、お母さんが必死になって頑張れたからです。生んでくれてありがとう。たくさんの愛情をありがとう。二人の娘に生まれてこられて幸せです。

 お母さん、これからも甘えさせてもらうことがあるかもしれないけど、よろしくお願いします。お父さん、これからもずっと私の事を見守っていてください。本当にありがとうございました。』


 回想シーンの撮影に入る。高校生の私は、制服のまま家のソファーで読書をしていたり、部屋着で夜中に勉強机で勉強しているところを撮った。大学生の設定では入学式に校門で母親と一緒に写真を撮ったり、大教室で講義を聞いている場面を撮り、就職してからはスーツ姿でバス停に並んでいるところ、ノートパソコンを持ち込んで会議をしているところを撮った。私の他の子役さんやモデルさんも幼少期から中学生の回想を撮り終えているらしい。

 最後は披露宴会場で手紙を読み上げるシーンだけだ。披露宴で両親への手紙は定番の“泣かせ”ポイントだが、中学生の時に父親が亡くなっても、生命保険に加入していて学費や生活費に困ることなく、進学も卒業もできたというのが今回のカストディアン生命のプロモーション動画の意味だ。父親を想う気持ち、回顧の気持ちも表現しなければならい。披露宴会場の更衣室で桜色というのだろうか淡いピンクのカラードレスに着替えて、ヘアアレンジもしてもらい準備完了だ。事前打合せやリハーサルでは「クリアな声で手紙を読んでほしい」、「泣かせようとわざとらしくならないように」と指示を受けている。文面は暗記するくらい読み込んだ。抑揚をつけて読む練習もした。あとは現場で出し切るだけだ。お守りを手に取り念を込める。

 「エリカ、時間だよ。」ユリエさんに声をかけられた。

 「はい。」小さく「コウジ、行ってくる。」とつぶやき、お守りを鞄に戻す。

 「朽木エリカさん、入られまーす。」現場アシスタントさんに案内されて披露宴会場へ入る。私も「よろしくお願いします」とお辞儀しながら現場入りした。


 公開は年を跨いで成人の日以降となったが、この動画も幸いなことに好評を得た。回想シーンの動画をバックに手紙を読み上げる私の寄りぎみ映像から始まり、就職や彼のプロポーズの辺りを読んでいる時には完全に全身が写るくらい引きになって、隣に彼役もタキシード姿で立っている。お母さんへのお礼に続いて「お父さんがいなくなって…」と読み上げた所で父親の遺影を持つ母親に画面が移り、満席の会場を引きで写した後、「たくさんの愛情をありがとう。」で私の所で画面が戻ってくる。最後まで手紙を読み上げた後、私が泣きながら手紙と花束を母親に渡している映像の時には、私や母親の声、会場内のすすり泣く声や拍手の音声は無く、「当り前だ、バカヤロウ」と父役の男性の声が入り、画面がホワイトアウトして『ずっとあなたの味方です。』のテロップとカストディアン生命のロゴが入った。

 動画のコメント欄には、

 「だから誰なんだ、あの子は?」

 「「腕っぷしはお父さんのような期待はできない」は笑った。」

 「女優さん高校生と思っていたけど25だったんだ。」

 「Old magazinesのMVと同じ子なの?」

 「お父さん死んでも保険かけとけば大丈夫ってことね。」

 「あんな彼女なら秒でプロポーズする。」

 「あの子また泣いてる。泣き芸の人なの?」

 「今年一番感動したCM」

 「お父さんカッコイイ。」

 「あんな女性を幸せにしてあげたい。」

 などのコメントが付いた。再生回数も伸びてカストディアン生命さんも喜んでくださり、メイキング動画も掲載したいと申出をいただいた。「フレームズ」も私ももちろんOKである。回想シーンを撮っているところや、私が手紙を読み上げるリハーサルをしているところ、NGシーン等を編集して5分程度のメイキング動画がアップされた。


 いつしかMVや動画の「あの子は誰だ?」には「朽木エリカさんのようです。」というコメントが付き、さらに「フレームズ」所属で東通塾のキービジュアルの子、「wishes express」動画のモデルという情報も広がった。私が徐々に世の中に認知されていく。

 私自身もクマちゃんや八瀬君には自分から大学生活を続けながら芸能活動をしている事を伝えた。「朽木さん、みずくさいな~。」と言われたが、「はよ言うてくれてたら隙間時間に何回でも動画回したのに~。」と応援の言葉も掛けてくれた。

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