第30話 素敵な彼じゃない。

 コウジとの京都旅行の後、急に仕事の予定が入り始めた。

 まず最初に入ったお仕事は、ユリエさんが営業で取ってきてくれた案件で、制作会社がこれからキャスト募集をしようと思ったところに偶然ユリエさんの営業が入って、“棚ぼた”的に回ってきたお仕事だ。「Old magazines」というロックバンドが歌う新曲「Reluctant farewell」のミュージックビデオで、私はバンドの失恋ソングのイメージビデオに彼女役で出演する。彼女役と言っても相手の彼氏役はおらず、私一人だ。まだお互い好きなのに別れてしまう二人の楽しかった思い出のシーンを演じ、私を彼目線のカメラが映像に撮る。歌が流れているので当然セリフは無いが、私の一連の表情や視線、演技や所作が大切で、1シーンを通じてカットの声がかかるまでベストを尽くす必要がある。

 撮影1週間前くらいにユリエさんから音源と台本をいただき、一人自室で曲を聴き込み、何度も台本のシーンを頭の中でイメージした。聴けば聴くほど悲しい曲だ。付き合っていた色鮮やかな日々を思い出して、「ありがとう、楽しかった」という感謝の気持ちを歌い、「遠くに行っても私を思い出して、できれば遠くに行かずに私の傍にいて」そう思いながら彼を送り出すといった歌詞だ。公園、商店街、ショッピングモール、レストラン、駅のホームと場所を変えながら数日間に亘って撮影することになる。


 撮影当日、幸い天気が良い中で公園シーンから撮った。ディレクターさんからは全体を通じて「わざとらしくならないように自然に表情を作って。」、「できるだけ笑って。大笑いじゃなくて、微笑む感じで。」と指示を受けている。白のトップスにデニムのカジュアルな服装で、髪も自然にストレートで下ろすだけ。台本通りトートバックを手に持って公園を歩いていると彼目線のカメラが私を後ろから付いてきて、10歩程度歩いたところで振り返る。一発OKで上々の滑り出しだ。次は横に並んで歩いている風に左横から私を撮るシーン。私が前を向いて歩きながら何か会話しているように笑い、左手で髪をかき上げて彼目線のカメラにも微笑みかける。続いて、歩きながら少し恥ずかしそう下を向いて、彼目線カメラの方へ手を繋ごうと手を伸ばす。歩くスピードが彼カメラと合わずに何度か撮り直したが、数テイクでOKをもらえた。公園場面では最後、ベンチに腰かけて鞄から水筒を出し、蓋を取って自分が飲み、彼にも差し出すのを寄りで撮った。「表情自然にー。目線は水筒の後、彼。……はいOK」。公園では色々な人や背景が映り込まないように調整するのにも時間を要し、待機時間も含めると結構時間がかかった。

 別日、商店街の本屋の一角で撮影。衣装をエメラルドグリーンのトップスにグレーと白の細かいチェックのスカートに変えて、髪はポニーテールにした。きっと「今度の連休、旅行に行こうよ」とでもお話ししているのだろう。私は本棚から旅行のガイドブックを選び手に取る。ペラペラページをめくり、彼を横目で見て本で自分の顔をパッと隠し、チラっと彼の方を見る。本を胸に抱えて彼の方を向いて彼カメラに寄り、おふざけで目をパチパチ瞬きさせてから、少し大げさに笑った。

 3日目は夕方のショッピングモールの撮影日。テラスや店舗の通路で撮影。明るいブラウンのニットにベージュのプリーツスカートに衣装を変えて、髪はストレートに戻す。彼が遅刻でもしたのだろうか?ケンカをして、彼が謝ってくれたのを許す設定だ。テラスの柵にもたれてスマホを見ながら待っている私に彼カメラが近づいてきて、正面で止まり、私が不貞腐れた表情で大きくため息をついて、手櫛をしながらプイッと横を向いて視線を逸らす。彼が謝ってくれたのだろう。俯いて苦笑いして、彼カメラの方に右手を伸ばしてゆっくりテラスを歩きだす。

 4日目は某フレンチレストランで撮影。衣装はネイビーに小さい花柄のワンピース。髪はふんわり巻き髪だ。誕生日ディナーだろうか、二人席で向かい合ってご飯を食べるシーン。私は手を合わせて「いただきます」のポーズをして、肉料理をナイフとフォークで切り分けて口へ入れる。口パクになるが「んー、美味しい」と目を見開いて、彼に微笑みかける。レストランのもう1シーンは、彼が一旦席を離れて、私がコーヒーカップを両手で持って窓から景色を見ているところに彼カメラが近づいてきて、彼カメラが席に戻って小さい花束を手渡される。私は右手でカップをソーサーに戻して、両手で丁寧に受け取り、その後、左手で口元を少し隠して頷きながら微笑む。

 公園、商店街、ショッピングモール内でも、合間合間に私が道や通路、テラスを歩いているのを後ろから彼カメラで撮ったり、私が普通に前を向いている横顔を寄りで撮ったりもしてくれた。場所を変えながら、衣装も変えて撮影するのがこんなにもエネルギーが必要だとは思わなかった。

 「エリカ、お疲れ様。どうだった?」

 「何度かNG出しちゃってスイマセンでした。」

 「長丁場だもん仕方ないよ。明日もあるから頑張ろうね。」

 「はい。」

 「ところで、撮影の前に握りしめていたアレ、何なの?」

 「ああ、これですか?御守です。彼が京都の芸能神社に連れ行ってくれて、そこでいただいた御守なんです。」常に鞄に入れているポーチからお守りを出して、ユリエさんに見せてあげる。

 「へー、そんな神社があるんだね。素敵な彼じゃない。どおりでいい表情ができる訳だ。ふふふ。」

 「もー。ユリエさん、いい話なんだから、からかわないでください。」

 「はいはい。ご利益があるといいね。」


 撮影の最終日。彼を駅のホームで送り出すシーンだ。郊外まで出て運転本数が少ない駅を選び、撮影隊とエキストラの貸し切りに近い形で大掛かりな撮影になった。美しい映像を撮るためにここまで大勢の人が動くのだと、一連の撮影を通じて改めて思ったと同時に、プレッシャーを感じる。グレーに白黒柄のニットに細めの黒パンツ。その上に濃いネイビーのダッフルコートを羽織って、白いマフラーを巻き、髪は自然に下ろした。「コウジ、行ってくる。」と御守を握って念を込めた後、現場に立った。

 私がホームに入ってくる電車を目で追うのを右横から彼カメラが撮って、電車がホームに停まるところまでで一旦カット。リアルに運行している電車を撮影に使わせてもらったので、緊張した。その後、仕切り直しをして、寄りで私は彼カメラと向かい合い、無表情のまま片目から涙を流す。彼に何か別れの言葉を言われたように軽くうなずいて下唇を噛む。彼カメラが私の方を向いたまま遠ざかって行き滑車台に乗る。引きで撮られている間、私はくしゃくしゃの泣き顔になり、手をだらんと下ろして鞄を落とし、立ったまま天を仰いで大泣きした。彼カメラが私を引きで撮ったまま滑車に乗って少しずつ離れていき、フレームアウトするくらいの位置でOKがかかった。右でも左でも良いと言われたが、片目だけ涙を流すというのが難しくて、撮影隊の方を待たせてしまい苦労したが何とか撮影を終える事ができた。


 ミュージックビデオの編集ができた後、ユリエさんと一緒に事務所で見せてもらった。楽曲に合わせて私の映像が編集されたビデオだ。イントロはバンドが演奏をしているシーンから始まり、AメロBメロとデートシーンを小分けにした映像に所々演奏映像がカットインされて進み、最初のサビではケンカの仲直りシーンが中心に使われた。2番のAメロBメロと違うデートシーンを使い、サビはレストランでのデートシーンが中心に使われていた。間奏があって最後のアウトロは、駅で彼を送り出すシーン。現場では彼カメラが滑車に乗って離れていくだけだったが、映像では彼カメラが電車に乗って扉が閉まり、電車の車内から私が泣いているのを見ているように編集されていた。自分で言うのもなんだが、私の大泣きと歌詞が合っていて涙を誘う。この新曲は11月上旬にリリースされるらしい。

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