第17話 あんたに『女の城』が回って来たわよ。

 池尻大橋駅に若狭君と待ち合わせだ。暖かくなり桜が咲き始めて人の移動も多いのだろう、メトロも山手線も車内は混んでいる。つり革を持って立っている私の前には新学期の塾生を募集している「東通塾」の中吊り広告があった。メインビジュアルは私だ。服装が全く違うからか、案外誰も気が付かないんだなぁと思いながら見ていた。

 「今日はお花見に行こう」と誘ってくれたので、今回もカジュアルかつ動きやすい服装にした。白のトップスにデニムパンツ。ベージュのトレンチコートを羽織り、キャップもかぶった。いつもどおり大き目のリュックも背負っている。若狭君の方が早かったようで、私が改札を出るとすぐに私を見つけてくれた。目的地が同じ人が多いのかもしれない、大勢の人が同じ方向へ自然と歩き出した。

 「コート着てきたんだね。」

 「まだ少し肌寒いから。」

 「ははは、朽木さんは暖かい所の出身だもんね。」

 「それ、高そうなカメラだね。」薄いグレーのジャケットを着た若狭君の肩に中型のカメラがかかっている。

 「ああ、これ?趣味で写真を撮ってるんだ。」

 「へー、どんな写真?元彼女さんとかぁ?」冷やかしで言ってみる。

 「いや、まぁ、無くはないけど。…昔の話で、全部捨てたよ。」若狭君が言い淀む。

 「冗談、冗談。」笑って流した後、目で話の先を促す。

 「主にはお寺や神社、桜や紅葉だな。京都にいると美しい風景がいっぱいある。同じお寺でも季節が変わると花が咲いたり葉が色づいたりして、見え方も変わるから何度でも足を運ぶんだ。そうこうしている内に写真が増えて、趣味になった感じ。」

 「そっか、若狭君は京都から出てきてるんだったね。私は京都に行ったこと無いや。」

 「いつか一緒に行こうよ。案内する。寺ばっかりじゃなくて、美味しいお店も。」

 「ははは、そうだね。」


 まだ午後1時だが、既にお酒を飲みながら花見を楽しんでいる人がたくさんいる。駅やごはんを食べる所など東京の混雑は、島のフェリーに待機列ができるのとはレベルが違う。私も若狭君も背は高い方だと思うが、背丈どうこうじゃなくて人ごみに揉まれてはぐれそうになる。

 「大丈夫か?」若狭君が私の手を握ってくれてハッとする。

 「うん。」私も彼の手を握り返した。大きくて暖かい。

 「綺麗な桜並木だね。私、東京にこんな所があるって知らなかった。」

 「朽木さんは去年どこも行かなかったの?」

 「あー、うん。色々と生活用品揃えたりしていたら桜が散ってた。」

 「確かに。引越しした後って、パラパラと足りないものが出てくるんだよね。」

 「そうそう。全部分かっていたら一度の買い物で済むのに、何度も同じお店に行った。店員さんに「またオマエか」って思われてたかも。」買い物もそうだが、スカウトされないかと無駄に出歩いていたのも原因だ。もうすぐ1年経とうとしている。

 「ちょっと待ってね。」若狭君はそう言うと川の方で立ち止まり、川と対岸の桜並木を撮っていた。真剣な目でカメラを抱えてシャッターを切る横顔が少しカッコよく見えた。何度か立ち止まっては桜を撮り、途中で何度か私も撮ってくれたが上手くいかない。

 「ちょっとぉ、私の顔デカすぎない?ははは。」撮った写真を見せてくれたが、私の顔のアップがデジカメのモニターの半分以上を占めていて、私にピントが合っているから対岸の桜の薄いピンクがぼやけている。

 「人が多くて距離が取れないから、仕方ないんだ。」若狭君も苦笑いだ。良いカメラでの写真は諦めて、スマホの自撮りで二人の写真を撮った。彼氏彼女と言われればそう見えるし、友達同士と言われればそう見える笑顔の写真だ。


 おしゃべりしながらゆっくり歩いて、たまに写真を撮り、また歩き出す。中目黒を過ぎて、目黒駅に着いたところで休憩することにした。駅近くはどこも満員だから、駅からまた歩いて少し奥まった喫茶店にはいる。

 「じゃあ、若狭君は大学やバイトの他は、カメラを持ってお散歩してるんだ。」

 「そうだな。まだ東京の土地勘がつかめないけどね。…朽木さんは一人の時、何してるの?」

 「丁度いいや。実はね、みんなに内緒にしてた事があるの。」軽く咳払いをして話す。

 「え?なに?」若狭君は少し身構える。

 「笑わないでね。」

 「う、うん。」

 「私ね、ファッションモデルになりたくて、地元から東京に出てきたの。で、今までバイトで忙しいって言ってきたけど、全部が全部バイトじゃなくて、所属している芸能事務所に行ったり、レッスンを受けに行ったりもして忙しかったんだ。」

 「へー、そうなんだ。何か、どうリアクションして良いのか分からないけど、忙しい理由は納得した。」小さく笑ってくれた。

 「怒った?内緒にしてたり、ちょっと嘘もついていたけど。」上目遣いで聞いてみる。

 「いや。日程が詰まっているのは事実だし、何か頑張りたい目標があるなら、いいじゃん。俺は今のところそういうのが無いから、逆に羨ましい。」

 「ありがとう。若狭君には知っててもらいたいから打ち明けたけど、クマちゃんや八瀬君とか大学のみんなにはもう少し秘密にしていて。お願い。」

 「わかった。…でも、そのモデルになるのって大変なんだろ?」

 「うん、まあね。私自身もなれるかどうか分からない。でも、大学の4年間は一生懸命チャレンジするって決めて東京に来たの。後悔しないようにやってみる。」

 「そっか、じゃあ毎週デートとか、毎晩電話とか、そういうのはお互い無理そうだな。」

 「うん。…がっかりした?」

 「そんなことないよ。俺も土日が休みにくい不規則なバイトだし、バカ姉貴の小間使いもしなきゃなんないし。」

 「お姉さんの小間使いって?」

 「ああ、うちのバカ姉貴、彼氏がいない時は俺に買い物を手伝わせたり、掃除を手伝わせたりするんだ。ホント面倒くさい。」

 「若狭君はお姉さんと仲が良いんだね。」

 「良くないよ。お互いに早く京都の実家へ帰れって思ってる。」若狭君が笑ったので、私も合わせて笑った。傍目には仲が良さそうだ。


 夕日が沈み窓の外が暗くなっている。桜並木がライトアップされて、昼間とはまた違った景色だ。まだ週の中ほどだから目黒駅の近くで少しだけ雰囲気を味わって帰ることにした。二人で山手線に乗り込むが、やはり混んでいる。人の流れに押されて車両の中ほどでつり革を持って立つことになった。若狭君も私も、それぞれ新宿や池袋で乗り換えてメトロで帰宅する。

 ちょうど「東通塾」の中吊り広告の近くだ。若狭君が降りる新宿までにちょっと遊んでみる。

 「どうしたの?暑い?」急に私がキャップを取って髪ゴムを外し、手ぐしで髪を整えながら若狭君と向かい合うように立つ。

 「シー。」私が人差し指を唇に当てて、声を抑えるようにジェスチャーすると不思議そうな顔で私を見ている。若狭君の位置から私の後方に広告が見えるはずだ。

 「トウツゥなら通る」と例のキャッチを小声で言ってみた。

 「ん?」と私の顔を見て「何を言っているの?」という反応だったが、私が周りに見えないように中吊りの方を小さく指さすと、視線を私と広告の間を2往復させた後で、

 「あ!…え、マジで。」若狭君も声を抑えてリアクションをしてくれた。

 「やっと気づいてくれた。ふふふ。」

 「だって、あっちは制服だし、前髪いつもと違うじゃん。」

 若狭君は「また連絡する」と言いながら名残惜しそうにJRを降りた。


 私も最近引っ越した新しいマンションへ帰る。ユリエさんが手配してくれた部屋だ。私もデビューできて一応顔が世に出て、これからも出る機会が増えるだろうという事務所の判断で、セキュリティーがしっかりしたマンションに移るよう指示されたのだ。もともと事務所の「フレームズ」が押さえている物件の1つで、オートロック、防犯カメラが設置されているのはもちろん、ナンバーロック付きのゴミ捨て場、管理人の巡回、女性専用な上に男性立入禁止(事前申請で親族やガスや引越等の業者のみ可)という徹底ぶりだ。ユリエさんに「エリカ、あんたに『女の城』が回って来たわよ。」と言われたのが約2週間前、引越業者も事務所が手配済みだったから、元いた自分の部屋を片付けるだけでよかった。衣服は多いが、それ以外は女性にしては物が少ない方だと自覚があるので荷物も少ない。簡単に移ることができた。

 事務所が言う『女の城』。これも競争だ。数が限られているので良いマンションの良い部屋から事務所の看板女優やトップモデルが入っていき、デビュー間もない私のような人間は残った物件が当てがわれる。しかし、部屋を与えられるだけでも私が事務所で一応存在を認められた証拠でもある。この部屋も引退した人や、出演が無くなって事実上一般人となった人が追い出された部屋で、入れ替わる様に私や他の新人に与えられたものだ。一回入れても、いつ追い出されるか分からない。元いた部屋よりも新しくて綺麗な部屋で、私はここが気に入っている。小竹向原駅からも近い。家賃は高くなったが、事務所から月2万円だけだが補助が出るので負担感は抑えられる。せめて大学4年間はここを追い出されないようにしなきゃ。

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