第15話 エリカ、喜びなさい。

 教室ではディレクターの指示で、モデルが指定された席に着く。教室の前方に詰めて、男女をバラバラに散らして配席している。私は教壇から2列目の真ん中の列だ。どこから撮影するかにもよるが、悪くはないポジションのはずだ。机の上には古文のテキストと真っ白なノート、ペンケースが置いてある。講師役というか、講師はリアルにこの塾の講師らしい。黒板には「源氏物語」の「若紫」一節が書いてあり、それを女性の古文講師が説明している風景を教室の真ん中辺りから撮っている。パーツじゃなくて全身が写るモデルだと期待していたら、今度は後ろ姿か…とがっかりしていたら、講義を一旦止めて、今度は教室の前方入口から生徒側を撮るようだ。「モデルの皆さん、講義を聞いている風にポーズを取ってください。」と指示があり、シャーペンでノートに何かを書き込んだり、テキストにマーカーを引くなど、みな思い思いにポーズを取った。私は、左手は机の上で自然体、右手にペンを持ったままあごの下へ持って行き、考え込むようなポーズを取った。右前方から斜めに撮られる。少しずつ位置を変えて撮ってくれているものの、「前列の子と被ってないといいなぁ」と思いながらシャッターの連射音を聞いた。一旦撮影が止まり、「はい、ポーズを解いてリラックスしてください。今度は左前方から撮ります。」とアナウンスがあり、カメラの移動と準備が終わると「はい。行きまーす。」と声がかかり、モデルがポーズを取ると連射音が始まる。「はい、OKでーす。休憩入ります。」の合図で授業風景の撮影は終わった。一息ついて見回すと、ユリエさんや他事務所のマネージャーさんが教室の後ろから見ていた。まるで授業参観のようだ。


 休憩の後はシチュエーション別にモデルが2~3人ずつ選ばれ撮影していく。例えば、長机に講師と学生が二人横に並んでマンツーマン指導を受けている様子、学生が仕切りの付いた半個室で自習している様子、テキストを手に持った学生3人グループが笑顔で話している様子などだ。私は教壇に立ってプレゼンテーションをしている場面と、黒板の問題を解いている場面を割り当てられた。

 まず、プレゼン場面では女性2人、男性1人のモデルが順番で教壇に立って、それをカメラマンが正面からソロで撮っていく。カンペを読みながら右手の人差し指を1本立ててポーズを取る事は指示されたが、あとは自由にポーズを取っても良いとのことだ。女性の1人目の練習と本番が終わり、カメラ確認や調整の後、私は2番目に呼ばれて教壇に立つ。普通に読めば15秒程だから精々2カットだろう。まず教壇に少し前屈みで両手を着き、力説するようなポーズでカンペを読み始める。半分くらい読んだ後で、背を伸ばしドヤ顔で指示されたポーズを取った。私が教壇でポーズを取っている間、正面に据えた三脚のカメラからから小気味いいシャッター音が聞こえた。

 次は違う教室へ移って黒板前の場面だ。既に2人同じシチュエーションで撮り終えていて、私が最後のようだ。黒板には英語の虫食い問題が書いてあり、それを解いている様子をカメラマンが左側面から三脚無しで撮ってくれる。同じく15秒程度の間に自由にポーズを取って良いと指示を受けた。

How [ ] you are still here? You should go further. 机の時と同じように、左手は力を抜いて自然に下ろし、右手に赤いチョークを持って考えるポーズを取って1から5まで声を出さず数えた後、comeと答えを書いた。私が答えを書き込んでいるところはカメラさんが連射モードで食い気味に撮ってくれた。これでソロの撮影も終了である。


 撮影終了後、同じ教室に来ていたユリエさんが「お疲れ様」とペットボトルのお茶を出してくれた。休憩後のソロ撮影は待ち時間も入れれば1時間程度かかっていて、のどがカラカラだったから嬉しい。すると英語講師を名乗る年配の男性が近づいてきた。

 「よく問題が解けたね。今まで何度か同じような場面で写真撮ってもらったけど、実際に答えを書いたのは君だけだよ。」

 「正解でしたか?」大学受験の時に勉強した事も結構まだ覚えているものだ。

 「これ大学受験の模試だったんだけどなぁ。」

 「この子「エイガク」なんです。」とユリエさん。

 「ああ、なるほど。さすがだね。うちの生徒にもエイガク志望の子が多いんだよ。ありがと。」

 何が「ありがとう」なのか分からなかったが、いずれにせよ撮影は終わり、更衣室で私服に戻って、現場をあとにした。


 後日、「エリカ、喜びなさい。」とユリエさんから押しつけがましい電話があり、事務所に呼び出された。チラシの第一稿が上がってきて、事務所にも使用する写真のポーズや表情の確認を求められているのだ。

 まず表面の一番大きな画像で、「『トウツゥ』なら通る!」というキャッチと共に教壇に学生が立っている画像。男子生徒と女子生徒の2パターンがあり、女子生徒のモデルが私だった。指定されたポーズではなく教壇に手をついて前屈みに話した方のポーズが採用されていた。

 「やった。大きいソロ画像で使われている。」

 「ええ、そうよ。」

 「ちょっと偉そうかなって不安だったけど、良かった。」

 「でも、これだけじゃない。」とユリエさんがチラシの裏面を見せてくれた。そこには「解く力が伸びる。」という言葉と共に、私が英語の問題に自信をもって回答を書き込んでいる画像が使われていた。

 「よしっ!」思わず拳を握る。どちらのパターンでも私が載っている。

 講義風景を後ろから撮ったのにも、前から撮ったのにも私は写っていたが、後ろからのは、古文講師と黒板がメインで、生徒は座った席を覚えていなければ、誰が誰か分からない画像だった。前からの画像は、案の定、1列目に座っていた子と被って私が隠れていたり、ピントが1列目の子に合っていて2列目以降はボケている。こちらは残念だったが、成果としては上出来というのがユリエさんの評価で、私もそう思う。何よりキービジュアルに選ばれたのが嬉しい。


 後日、ユリエさんが制作会社の人からの話として教えてくれたのは、男子生徒のメインはオーディションの段階で決めていたが、女子生徒のメインは決まっていなかったらしい。現場で2人試してみて私を選んでもらえたようだ。最初は私の方が真面目そうで、成績が良さそうというフワッとした感覚だったらしいが、塾の講師陣が他の画像を選ぶ際に、私が問題を解いている画像を即決で選んだのが後押しになったようだ。

 事務所確認では、選ばれなかった子の方の事務所から「ぜひうちのモデルに変更を」と、モデルを連れて再撮影をお願いするくらいの勢いで巻き返しがあったらしいが、塾長が頑として譲らなかったらしい。ありがたい。

 「制作会社やクライアントが画像を選んだのに、巻き返しってあるんですか?」

 「そりゃあ、キービジュアルだしね。」

 「油断も隙も無い。」少し不愉快だ。

 「このくらいの案件では珍しいけど、全国展開しているメーカーのCMとかだと、結構あるわよ。それこそ“枕”使ってでも取り返しにくる場合もある。」と後半部分は声を落として言った。

 裏では姑息な動きがあったようだが、予定通り私がキービジュアルのポスターやチラシ、ホームページは3月中にはオープンになって、4月からの新学期からの塾生募集に使われることになった。


 若狭君と初デート。告白されてOKをしてから初めて二人きりで会う。普段、大学やバイトに出るようなカジュアルな格好にリュックを背負って待ち合わせの駅へ向かった。合流した後「ヴァンデミエール」というオシャレなレストランに連れて来てくれた。「姉に夜のフレンチを奢ってもらった時、格別に美味しかった」らしい。もちろん今は平日のランチタイムである。メニューブックを見るとお肉かお魚かメインが選べるセットの他、ケーキや焼き菓子とコーヒー・紅茶のセット。ソフトドリンクの欄にはオランジーナがさりげなく入っていた。各ページに騎乗姿や、大砲を撃ったり、望遠鏡をのぞいているナポレオンの二頭身イラストが描いてあるのが可愛かった。「こんなに凝ったレストラン、島にはなかったなぁ」と思いながらメニューをめくっている。

 「朽木さん、決まった?」

 「ああ、うん。せっかくだからランチセットにしようかな。お魚の方で。若狭君は?」

 「俺はお肉の方でセットにするよ。じゃあ、オーダーするね。」

 店内の客層は同年代かやや上くらいだ。デート使いや女子会であろう、みんな楽しそうだ。家を出る前にホテルに行くような服装をしようかと一瞬迷ったが、大学に通うのと同じ服とメイクにしておいてよかった。若狭君も普段よりちょっと小綺麗なくらいだ。私はデートをすること自体が初めてなので「デートって何をするんだろう」と思っていたが、普通に学食で一緒になった時と同じような感じだ。これまでも偶然若狭君とキャンパスで会い、二人でご飯を食べながら話をしたことがある。自ずとアルバイトの話になった。

 若狭君は伊予丹百貨店で物産展、お中元、バレンタイン等のイベント時のスタッフとして働いており、アルバイトながら社員と変わらないくらい働いているらしい。朝は9時には出勤して18時まで働く早番と、11時に出勤して、20時の閉店後、片づけや転換等で21時まで働く遅番があるようで、企画が変わる火曜日の遅番だとバイトでも残業が発生することがあるようだ。

 「もちろん残業した時間分は時給を追加して貰えるんだけどさ、疲れるんだよこれが。」

 「へ~、大変だね。社会人になったら年中、毎日そんな働き方をするのかな。うんざりするね。」

 「そうなんだよ。転換があったりしたらバイトでも9時10時を超えることがあるから、社員さんはもっと大変だと思うよ。」

 「転換って何?」

 「例えば、北海道物産展からバレンタインフェアへ企画が変わる時、物産展の撤収をして、次のバレンタインの設営をしなきゃいけないだろ。企画の最終日を夕方で閉めても、レイアウト変えたり装飾を変えたりしていたら、あっという間に9時を過ぎてる。」

 「うわ~、お疲れ様。」

 「朽木さんのバイトはどう?エステサロンだったっけ。」

 「うん。女性専用だし、スタッフも女ばかり。」

 「それはそれで大変そうだな。人間関係とか。」

 「そんなこと無いよ。中途半端に男が1人2人いるより全然気が楽。」

 「ふ~ん、そんなもんか。」

 「私もサービス業の裏方だけど大変だよ。エステやマッサージでバカみたいにタオルを使うからさ、洗濯や乾燥が大変。それに、わざわざ色やサイズが違うタオルを使うものだから仕分けるのもたたむのも大変。全部、用途やたたみ方まで決まっているんだよ。」

 「うわー、面倒くせー。」

 お互いのバイトの近況を聞いて互いの愚痴り、励まししながらスープとバケット、サラダとメインプレート、最後に小さなデザートとコーヒーをいただいた。若狭君が言うとおり美味しかった。値は張りそうだがディナーも期待できる。

 「そうだ。これ、遅くなったけどホワイトデーのチョコレート。」

 「え、いいの?」初めて男性からチョコレートを貰った。

 「俺は良く知らないんだけど、有名なショコラティエのらしくて、一回売り切れて再入荷になったのをゲットできたんだ。」

 「へー、ありがとう。ゆっくり味わって食べるよ。」

 「そろそろ行こうか?朽木さん、バイトだろ。」

 「うん。このお店また来ようよ。美味しかった。」若狭君も笑顔で頷いてくれた。学生カップルらしくそれぞれ自分の会計を済ませて、店を後にした。

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