第7話 泣きながらホテルから出てくるのをからかってあげようと思ったのに。

 グランドハイマウントホテルでの朝。私は股間の違和感と緊張でほとんど眠れなかった。隣に男性が寝ているという状況を今まで経験したことが無い上に、バスローブの下は裸だ。落ち着かない。近江さんの方はというと、明かりを消してしばらくするとスースー寝息を立てて寝ていた。7時過ぎに近江さんも目を覚まして、水を飲んだり洗顔をした後、朝食にルームサービスを頼んでくれた。パンとコーヒーだけではなく、オムレツ、サラダ、ヨーグルト、さらにフルーツも付いてきた。当然どれも私の普段の朝食とは違うものだ。

 「どうだい、体はまだ痛い?昨日の夜は眠れた?」食べながら近江さんは気遣ってくれた。

 「身体は痛いし、緊張して眠れませんでした。」苦笑いしながら正直に答える。

 「そうか。でも徐々に慣れていくさ。」と爽やかに言ってくれた。

 「マミコさん。今後の事なんだけどさ、俺はこのまま関係を続けていきたいんだけど、どうかな?」

 「私も近江さんとまた会いたいです。」

 「良かった。これからもよろしくね。」

 「はい。」昨晩は色々とミスをしてしまったが、近江さんはまだ私を気に入ってくれているようだ。

 「ところで、マミコさんは俺の他にも別の会員と会ったりしているのかな?」

 「いいえ。私は入会したばかりで近江さんが初めてですし、他の方と会った事がありません。」

 「よし。じゃあマミコさんを『独占』させてほしい。」

 「『独占』って、何ですか?」

 「つまり俺以外の会員とは会わずに、俺とだけ関係を続けるってこと。もちろん金銭的に不自由はさせないよ。他の男に頼らなくてもいいように俺がマミコさんをサポートする。」

 「その、聞きにくいのですが、…どのくらいお手当をいただけるんですか?」

 「例えば一晩10万円でどうかな?ひと月に2日会えば、これだけでその月の生活費になるんじゃない?それに、家賃の更新月や帰省とかのイベントでお金が苦しい時は月に3日でも4日でも俺は大丈夫だよ。」

 「分かりました。近江さんの『独占』でお願いします。」ミナさんが最初の説明の時に言ったとおり、本当に一晩10万円を提示してもらえたことにまず驚いた。しかも定額使い放題ではなく、会うたびにお手当が貰える言わば歩合制のような形で、自分の懐具合で会う回数を調整ができるのが良い。

 さらに近江さんはたまたま初回から良い人だったが、他の男性会員が同じとは限らない。他の男性会員をトライ&エラーで探す手間も省けて、近江さんから安定的にお手当を貰うことが出来る。私にとってメリットしかないように感じた。

 「同意してくれて嬉しいよ。俺からコーディネーターさんに言っておくけど、マミコさんも自分のコーディネーターさんに報告しておいてね。」

 「分かりました。」

 「そうだ。これが今回のお手当と交通費。」近江さんは席を立ち、鞄から白い封筒を出して渡してくれた。交通費だけの時よりも明らかに厚みがあった。

 「ありがとうございます。」

 「こちらこそありがとう。本当に最高の夜だったよ。また今度もよろしくね。」


 食後、先に準備を整えて部屋を出るように言われた。歯磨きをし、昨日と同じ下着と衣服を着て部屋を出る。部屋の空気清浄機が頑張ってくれたのだろう、エレベーターの狭い空間の中でも服からニンニクの匂いがすることは無かった。

 「エリカ。」エレベーターを下りてタクシー乗り場に向かおうとすると、イタリアンカフェ「フィレンツェ」の前で呼び止められた。

 「ユリエさん、どうしてここに?」

 「あなたが泣きながらホテルから出てくるのをからかってあげようと思ったのに、平気そうじゃない。」ユリエさんがニヤニヤしながら私の顔や体を見回す。

 「痛かったけど泣くほどじゃなかったです。」どうやら私はバカにされているようだ。プイッと横を向く。

 「ははは、普段よりちょっとO脚気味で歩きにくそうに見えるけど、相手がいい男だったみたいね。良かったじゃない。とりあえず家まで送ってあげるわ。」

 「ありがとうございます。」ユリエさんは私をバカにしているのか、気遣ってくれているのか分からない時がある。タクシー乗り場まで行き、一緒にタクシーに乗った。

 「エリカ、…酷い事させてゴメンね。まさか初めてだとは思わなかったから。…ミナに話を持っていく前にちゃんと確認しておくべきだった。」ユリエさんが運転手に聞こえないように小声で話してくる。

 「私、平気ですよ。むしろこれでお金の心配なく生活やレッスンができます。」ユリエさんはやはり私の事を心配してくれていたのだ。ユリエさんは私がとても大事なものを道端に投げ捨てたかのように憐れんでくれているが、私はセックスに対して、こうありたいという理想や思い入れが無かったからパパ活で処女を失くしたことに悲しみも後悔も無い。

 「そう言ってもらえると少しは罪悪感が薄まるわ。ありがとう。…とりあえず今日はバイトを休んで、家で体を休めなさい。ホノカには私から言っておくから。」

 「いいんですか?」

 「股は痛そうだし、どうせあまり眠れなかったんでしょ。そんなのが店の中でトロトロ歩き回られたら周りのスタッフの方が迷惑だわ。」

 「すいません。」タクシーで自分の家の近くまで送ってもらい、ユリエさんのアドバイスどおりゆっくり休ませてもらうことにした。何せ眠いのでサラッとシャワーを浴び直してお昼寝をした。


 目を覚ますと14時だった。せまいベッドでも自分の家の方がリラックスして寝れた。水分補給をした後、思い出したように近江さんからもらった白い封筒を開けてみた。中には新札の1万円札がどうも10枚程度ではなく、もっと多く入っている。数え直すと31枚あった。たった一晩で30万円だ。貰いすぎではないかと急に怖くなって、昨日の報告を兼ねてミナさんへ電話をした。

 「ミナさん、昨日近江さんと会って、無事に終わりました。」

 「そう。これからも関係は続けられそう?」

 「はい。近江さんが私を『独占』したいと言ってくれました。」

 「へぇ、良かったじゃない。近江さんが少し前に『定期』が途切れたタイミングだったのもあるだろうけど、マミコさん余程気に入ってもらえたのね。…それでマミコさんはOKしたの?」

 「はい。不自由はさせないって言ってくれたので。」

 「分かったわ。じゃあマミコさんは会員ページに載らないシークレット会員にして、他の男性会員から申込が入らないようにするわね。もし近江さんと関係を解消することになったらまた報告してね。」

 「はい。…あの。」

 「どうしたの?何か嫌なことがあった?」

 「いいえ。昨日のお手当なんですが、近江さんから30万円もいただいて、ちょっと怖くて。」

 「良かったじゃない。マミコさんの女性としての価値や、しかも処女だったことをちゃんと評価してくれたって事よ。」

 「このまま全部いただいても良いんでしょうか。」

 「もちろんよ。それに次回以降もずっと30万円じゃなくて、今回は特別だったんでしょ。」

 「はい。『独占』のお手当は一晩10万円とおっしゃっていました。」

 「ほら言ったじゃない。マミコさんなら10万円程度提示されてもおかしくないって。」

 「そうなんですけど。こんなに頂いても良いのかなって。」

 「マミコさんは真面目ね。…じゃあ、こう考えたらどうかしら?マミコさんがお手当の分、しっかり相手の男性に喜んでもらえる、満足してもらえる女性になるの。現状に胡坐をかかず『独占』を続けてもらえるように努力して、10万円のお手当に相応しい女になるのよ。」

 「どうすれば近江さんは喜んでくれるでしょうか?」

 「ふふふ、それは近江さんに聞いてごらん。でも、まずは慣れることね。痛いのを我慢してるようじゃそんな余裕ないでしょうから、気持ちいいって感覚になったら教えてもらうと良いわ。」

 「わかりました。やってみます。」

 「頑張ってね。また何かあったら言ってね。」

 こうして私は一晩10万円で近江さんに『独占』をしてもらうことになり、初回は処女喪失の特別手当だったと解釈して30万円を貰うことにした。次回近江さんにちゃんとお礼を言おう。


 せっかくユリエさんにもらった休暇だが、お昼ご飯を食べた後、出丸百貨店に行くことにした。近江さんに頂いたお金で再度衣服や靴を買い足すためだ。近江さんはきっとこれからもグランドハイマウントのような良いホテルで食事や宿泊をさせてくれる。よそ行きの一張羅だったワンピースと、先週買った小綺麗なブラウスとスカートだけでは月2回会うことにしたとしても、毎回同じ服装になってしまうので追加が必要だし、季節が変われば羽織るものやコートも必要になる。加えて、下着も見られても恥ずかしくない物をいくつか持っておこう。少なくとも帰りに使う替えの下着は今後持って行くことにしよう。出丸百貨店のクレジットカードで買い物をしたが、特別手当の1/3ほどをもう使ってしまった。


 9月も下旬となり大学が再開する。私の生活の優先順位は以前と変わらずレッスン、バイト、大学の順だが、前半はあまりに大学を疎かにし過ぎて悲惨な成績だったので、面白そうな講義や必須の専門科目は出席するようにして、後半で単位を取り戻そうと思う。そのためには講義に出席することも大事だが、知人友人を作ってノートを見せてもらったり、情報交換ができるようにする必要もあるように感じた。休みが続くと講義に付いていけなくなるし、毎回出席していても専門科目は講義内容が難しいのだ。

 キャンパス内の教室では、何の心配や憂いもなさそうにおしゃべりしている女子グループや、楽しそうに腕を組んでじゃれ合っているカップルもいる。彼・彼女たちは将来の夢ややりたい事は無いのだろうか、私のように来年の学費の不安や日々の生活費の心配は無いのだろうか。「時間を無駄にしてバカだなぁ」と思う一方で悩みが無いのが羨ましいという感情もある。

 「あの、同じ経済学部の方ですか?」ふいに後ろから声をかけられた。

 「は、はい。」びっくりして声の主の方を向くと、笑顔が柔らかい優男が立っていた。その横には男性1人、女性も1人いる。

 「ほら、やっぱりうちの学生やん。前期試験の時にも見たもん。」女性が仲間の男性に言っている。

 「あ、俺は若狭コウジって言います。俺達もココの1年で、たまにあなたを大学で見かけるんだけど、どこの誰だって話になって。急に話しかけてスイマセン。」初めに声をかけてきた優男だ。

 「いえ。私、たまにしか大学来てなかったから。そのせいで前期試験ボロボロで、後期はもう少し真面目に講義を受けようと思っていたところです。」

 「うちらと一緒やん。友達になれそう。お名前、何て言わはるん。」若狭君の隣にいた女性が立ち上がって聞いてきた。

 「朽木エリカです。私も1年。」

 「もー、クマが関西弁でまくし立てるから朽木さん困ってはるやん。」若狭君が隣の女性に軽いツッコミを入れている。賑やかな人達だ。

 「朽木さん、ゴメンゴメン。うちは熊川で、うちら大阪や京都から出てきて、大学で仲良くなったグループなんよ。」

 「私はもう少し遠くて愛媛県。って言っても瀬戸内の島なんだけど、そこから来ました。」

 「へえ~。」

 「あの、良ければ私も仲間に入れてもらえませんか?単位が取れないとヤバくて。」

 「もちろんよ。うちらも単位ヤバイし、琵琶湖より西はみんな仲間よ。」

 「彦根とか湖東はどうすんだよ。」若狭君が熊川さんにツッコミ。

 「えー、うるさいなあ。こまい事はエエねん。」

 これがコウジ、つまり若狭君と、後にクマちゃんと呼ぶようになる熊川さん達と仲良くなったきっかけだった。みんなと一緒に単位を取って卒業をすることが出来たし、一緒にご飯を食べたり講義を受けたり、人並みのキャンパスライフを送ることができた。何より私はコウジと恋愛し、彼氏彼女となる。

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