第3話 いつまでもあなたの夢や我儘を聞いてあげるほど大人は暇じゃないのよ。

 「ホワイトフレーム」。私とホノカの二人は、ユリエさんが駆け出しのタレントの経済援助と美容の知識等を勉強させるために雇ってくれているバイトだが、接客や施術をするのはスキルを持った正社員のエステティシャンだ。私達はバイトとして裏方で働きながら、閉店後や勉強会の日にはエステティシャンの皆さんと一緒にオイルの効能や肌のお手入れの方法等の美容の事を勉強させてもらっている。ユリエさんが「安心だし、タメになる」と言っていたのはこの事だ。エステティシャンのご指導のもとマッサージの練習も少しずつさせてもらっている。私とホノカで交互に練習台になりながらマッサージをするポイントや順番、手の運びや力加減等を事細かに教えてもらうが、覚える事が多くて大変だし実際にマッサージをしてみても上手く手が動かないものである。

 正社員のエステティシャンは、ユリエさんが外から引き抜いてきた経験者がほとんどだが、過去に私達と同じようにバイトからのたたき上げで接客や施術までできるようになった事務所の先輩もいたらしい。「いたらしい」というのは、過去にいたが今はいないという意味だ。その速水ミナさんという先輩は、芸能活動で大成功してエステをする必要がなくなったのではなく、引退するまで細々と女優活動を続けていたが生活費は他で稼げていたらしい。ユリエさんは仕事に厳しい人なので、適当な接客やサービスは許されない。エステティシャンとして人前に立つのに施術の技術やオイルの知識を必死に身に着け、実際に人体で何度も練習したに違いない。それにも関わらず、速水さんはある時を境にサロンへの出勤を減らして退店を申し出て、事務所のマネージャーであり、かつサロンのオーナーであるユリエさんも速水さんのサロン退店を止めなかったらしいのだ。こんな噂話をエステティシャンさんとマッサージの練習をしながら教えてもらった。残念ながら私はこの噂の速水さんと早々に会うことになる。


 父親が倒れたと姉から電話があったのは8月末頃。父親は自宅の1室で小さな学習塾をしていたが、たまたまこの年は冬に受験をひかえた生徒が多く、彼らの夏期講習を連日集中して行ったため無理がたたり、倒れたらしい。姉からは、私への細やかな仕送りはもちろん、来年分の大学の学費も捻出できるか危ういと聞かされ、「島に戻って働け」と言われた。もちろん私は反対したが、「あんたを大学で遊ばせている余裕はない」とクドクド言う姉に、「バイトを増やして自分でなんとかする」と啖呵を切ってしまった。強く出たのはいいが、お金のアテは無い。バイトを週5に増やしたところで家賃と生活費、レッスン料を差し引けば残金なんてほとんど残らないので、年間100万円以上の学費が捻出できようはずがない。私の大学の成績では奨学金を受ける事も不可能だろう。カオルさんの例もある、私もお金が尽きたら小さな足跡だけ東京に残して島に帰るしかないのだろうか?いずれにせよバイトを増やしてもらう必要もあるのでユリエさんに相談をすることにした。


 「事情は分かったわ。バイトを増やすのは良いけど、学費はどうするの?」

 「今年度分の学費は納入済みなので、3月末までは何とかなります。」

 「4月からは?」

 「4月からは……。」シーンとした事務所の会議室の中に、私のか細い声が消えていく。

 「エリカ、無理せずに地元に帰るのも1つの選択肢よ。今ならまだレッスンを初めて半年も経っていないし、キッパリ事務所も大学も辞めて普通のOLになることだってできるじゃない。引き返すなら早い方が良いわ。」

 「嫌です!」思わず大きな声が出てしまった。ユリエさんも驚いたようだ。

 「こんな終わり方、全然納得できない。自分の能力や才能が無いって分かってからならまだしも、お金が無いからって…、こんな兵糧攻めみたいなやり方…、私はまだ戦っても無いのに、私…、負けたくない。」誰に?何に?負けたくないのか自分でも分からなかったが、とにかく悔しくて泣いてしまった。

 「じゃあどうするのよ?いつまでもあなたの夢や我儘を聞いてあげるほど大人は暇じゃないのよ。」

 「3月まで、ギリギリまでレッスンと大学を続けてデビューできるように頑張ります。それでもダメだったら、大学を中退して学費の心配をなくした後3年間レッスンを続けます。…決めてたんです、4年間は一生懸命頑張ってみるって。」

 「前にも言ったとおり4年間レッスンしても日の目を見ることが無いかもしれないわよ。」

 「ダメでもいいんです。自分なりに頑張ってダメだったら諦めることが出来ます。島に戻って就活でも婚活でも何でもします。」

 「いいわ。エリカが言いたいことは分かった。月1ミーティングじゃないけど、少し今後の方向性を話し合いましょう。」

 「はい。」

 「マネージャーである私としては、エリカに大学生を続けてほしい。まず大卒っていう肩書は、卒業後すぐかモデル引退後かは分からないけど就職や結婚する時に必ず役に立つ。モデルとして成功する保証が無い以上、頑張って大学を卒業しておくべきだと思うわ。

 あと、私はあなたを清純派大学生モデル、朽木エリカとして売り出すつもりなの。恵まれた容姿と透明感を活かしつつ、「エイガク」在学中か卒業ということで知的なイメージも付加できる。その方がエリカがやりたがっていた女性ファッション誌側も、モデルとして使いやすいと思うの。」

 「でも、学費が…」ばつが悪く、語尾が自然と小さくなる。

 「運や環境も実力の内と言いたいところだけど、仕方ないじゃない。だから、ここからが相談よ…。」ユリエさんが話を切り出すのを少し躊躇っているように見える。

 「私もカオルさんのように…」自分の中で切り札として握っていた案をポロっと出してみた。

 「チッ、変な事を教えるんじゃなかったわ。…でも、そこまでの覚悟が既にあるなら話が早い。」ユリエさんは少し不機嫌になったが、吹っ切れたように話し出した。

 「エリカに、自分を応援してくれる人を探してもらいたいの。具体的に言うと、高級デートクラブでパパ活をしてもらう。」

 「そんなこと私に出来るでしょうか?」

 「もちろん1から10まで全部一人で探してとは言わないわ。エリカの様な子は初めてじゃなくて先例もノウハウもあるし、これまでの先輩のおかげでデートクラブのコーディネーターとのコネクションもあるの。だから私も最大限バックアップする。ただ、一緒にご飯を食べるだけで貰える手当額は知れているから、学費を稼ごうと思うと体の関係が必要になるわ。」

 「清純派モデルが売春って、何か笑っちゃいますね。」苦笑いだ。

 「少し誤解があるようだから言っておくけど、これは売春でも枕営業でもない。エリカにも相手を選ぶ権利があり、嫌な相手とは何もする必要はないの。あくまで双方の自由恋愛で、そのお付き合いの結果エリカを金銭的に応援してくれる男の人ができる形よ。まぁ、パパ活って言うくらいだから相手は大分年上になると思うけど…。」

 「私にも拒否権があるって聞いて、少し安心しました。」

 「じゃあやってみる?今結論を出さなくても、ゆっくり考えていいのよ。」

 「やります。考えたってお金は出てこないし。」

 「そう。じゃあ私からコーディネーターに連絡しておくから、一度一緒にオフィスへ行ってみましょう。」

 「はい、お願いします。…あの、ユリエさん。」

 「どうしたの?気が変わった?」

 「いえ、私の事を真面目に考えてくれているのが分かって、嬉しかったです。清純派大学生モデルになれるように頑張ります。」思わずニヤけてしまう。

 「ふん、今のあなたじゃミルク石鹼を使っているミスキャンパスのファイナリストってところね。まだまだイモくさくて、ミスキャンパスですら優勝できるか分からないわ。」ユリエさんは照れくさそうに笑いながら言った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る