49.エンドゲーム 1

 三月になった。

 すがすがしい朝日に惹かれてベッドから這い出ると、冬のなごりの冷たい空気が襲いかかってきた。


 起きなかったことにして、また寝具の間に挟まる。

 ベッドの中はぬくたくて気持ちいい。

 今日は日曜日。仕事は休みだから、早く起きる必要もない。

 二度寝を決めこむと、隣でくすりと笑いが起きた。


「今日はもうちょっと、ゆっくりしてようか」


 ぽかぽかのあたたかい手が、私の背をなでた。

 広い海のようにおだやかな青い瞳が、私を見つめている。

 頭を擦りつけると、イルは私の額にキスをしてくれた。


 推しのうるわしい寝顔を見ながら、これまでを振り返る。

 一年前、私は突然の事故で死に、理不尽な出来事に恨みつらみを抱いて、心を黒くしていた。


 けれど、今はとても清々しい気持ちだ。神様が一年間の猶予を与えてくれたおかげで、つらい思い出より、楽しい思い出がたくさんできた。


 できることなら、神様には、私が祖父母や両親の日頃の信心のおかげで未練もなく、心おだやかに旅立ったと伝えて欲しいものだ。


 ――いや、一つだけあるか、心残り。


 イルのことだ。

 イルはシュガーをとてもかわいがってくれている。

 いなくなったら、きっと悲しむだろう。

 それだけが辛い。


「四月になったら、この屋敷に引越そうと思うんだけど、シュガーはどう?」


 二度寝の後の、のんびりとした昼下がり。

 イルは両親が使っていたお屋敷に、私を連れて行った。私とイルがはじめて出会ったお屋敷だ。

 無人の館はがらんとしていて、春の日差しが明るくても少し冷えた。


「マロンも一緒にと思っているんだけど、どうかな? 嫌?」


 私は一声鳴いて、イルの顔をなめた。

 いいに決まっている。

 むしろその結末のために、今まで私はがんばってきたのだから。


「マロンには、まだ何もいってないんだけどね。今日いうつもりなんだ。いい返事をくれるといいけど」


 がんばってください、イル様。

 不肖の飼い猫は、いつでもあなたを推しておりますよ。


 マンションにもどると、イルは服を着替えた。入念に身支度をする。

 これからマロンと食事なのだ。


「行ってくるね、シュガー。楽しい同居人が一人増えることを祈っていて」


 窓辺から、出かけていくイルを見送る。


 ついていこうか?

 きっと今日はゲーム最大のイベント、プロポーズシーンを観られるはずだ。


 私は窓を押しかけたが、やっぱりやめた。

 何もかもこの眼で見てしまうのは、なんだか味気ない。

 白昼に見るイルミネーションと同じくらい興醒めだ。

 二次元には二次元の良さがある。


 さよなら、イル様。

 家族は増えるから、大丈夫だよね。


 翌日。

 私はいつもより気合を入れて出勤した。

 この世界を卒業するにあたって、私も手じまいをしないといけない。

 今日はマロンに、今月でお店を辞めます、お世話になりましたって、伝えよう。


「おはよう、スノウちゃん。早いわね」

「店長にお話があって」


 緊張しながら切り出すと、マロンが身体の正面をこちらにむけた。


「ちょうどよかった。私もあったの。

 スノウちゃんって今、どこに住んでいるの?

 よかったら、来月から私と一緒に住まない?」


 ――はい?

 なんで私? イル様とじゃないの?

 昨晩、帰ってきた時、イルだってマロンと一緒に暮らすことになったっていっていたのに。


「正確には私だけじゃなくて、イルとシュガーちゃんも一緒なんだけどね。

 イル、ご両親が住んでいたお屋敷に引越そうと思っているんですって。

 でも、大きなお屋敷だから、一人で住むには広すぎるらしくて。

 私も一緒に使わないかって、誘ってくれたの」


「それはフロッタンテさんと店長、二人だけで住もうって話なんじゃ……?」


 結婚という将来を見据えて、同居をしようというお話でしょう?


 そういう意味を込めていうと、マロンはきょとんとした。

 あははっと、私の話を笑い飛ばす。


「ちがうちがう。私とイルは確かに仲がいいけど、そういう仲じゃないわ。いいお友達なの」


「店長はそうでも、フロッタンテさんの方は」


「いいえ、イルもそうよ。だって、私が『スノウちゃんも誘っていい?』っていったら、即快諾したもの」


 なぜに!?


「イルはね、ゆくゆくは私だけじゃなくて、私みたいに将来を応援したい職人さんとか、学生さんとか、画家さんをお屋敷に招いて、衣食住のめんどうをみようって思っているのよ。

 いわゆる芸術家たちのパトロンね。自分に情熱のない分、情熱のある人を応援していきたいっていっていたわ。

 だから、一緒に住むことにそういう意味はないのよ」


 何この展開!?

 なんでイルとマロンは、恋人枠でなく、人生の良き友枠に納まっちゃってるの!?


「イルはスノウちゃんのこと、身の上が気がかりで力になりたいって言っていたわ。

 ぜひ一緒に住みましょ?」


 手を握られた。本気の話のようだ。

 衝撃的な展開に、頭がついて行かない。


 どこで? 一体、どこで私はまちがえたの!?


「急には決められないわよね。返事はまた今度でいいから、考えてみて。

 それで、スノウちゃんのお話はなんだった?

 あっ。待ってね。このシュー生地を仕上げたら聞くわ」


 マロンは火にかけた鍋の方に、正面をもどした。

 バターと牛乳が沸き返っているところに、あわてて小麦粉を入れる。


「しまった、私のバカ。火から下ろしてからじゃなかったっけ?」


 マロンは、鍋の横に開いてあるレシピノートに目をやった。

 粉が盛大に紙面に飛び、文字を隠している。


「ごめん、スノウちゃん、ちょっと読んで――って、ムリよね。私にしか読めないし」


 マロンは鍋を火から下ろし、けんめいに生地をかき混ぜる。

 手がはなせない職人に代わって、私はパタパタとノートから粉を払った。

 あらわれた文字に、眉が寄った。


「『火を止めて粉を入れ、なべ底全体にうすい膜が張るまで、ヘラで手早く混ぜる』――?」


 とても見慣れた文字があった。

 平仮名、漢字、カタカナ。

 まごうことなき日本語だ。


「……なんで日本語?」


 おそるおそるマロンを見ると、マロンも私に目を見開いていた。


「……なんで読めるの?」


 私たちは見つめ合った。

 何秒も何十秒も。

 やがてマロンは鍋を置いた。


「私、スノウちゃんと大事な話があるから、抜けるわね!」


 調理スタッフにそういい残すと、マロンは私を裏口から外へ連れ出した。

 細い通りに、他に人はいない。

 マロンは私の両肩をつかみ、一息に衝撃的な告白をした。


「バカなことをいうと思って聞いて。私、じつはこの世界の人間じゃないの。

 私の本当の名前は、栗木(くりき)ローズ。

 地球という星の、日本という島国に生れた、日本人とフランス人とハーフよ。

 菓子職人を目指して働いていたんだけど、ブラックな勤務先につかれて現実逃避したいと思っていたら、なんかある日、この世界に転移しちゃったのよ」


 絶句した。

 こんな展開、まったく聞いてない。

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