47.ユーノの日 7
紙の擦れあう音がする。
空気が動くとかすかにただよう、葉巻と火薬のにおい。
体の下にはふかふかのブランケットがあり、カゴの編み目の感触がある。
ああ、私。
猫になっているんだ。
小さく丸まって、カゴに収まっているんだ。
薄目を開けてみる。予想通りの人がいた。カイザーだ。
居場所は、シュマーレン大尉の事務室。事務机のすみにおかれている。
……これは、バレたのかな。
バレたんだろうな。スノウがシュガーだって。
路地裏で意識無くして猫になって。
で、大尉にここまで運ばれたってところか。
「起きたか、シュガー一等兵」
う。耳が動いたの、気づかれたか。
「それとも、ローズ菓子店の店員スノウと呼んだ方がいいのか?」
観念しよう。
私はカゴから出て、書類の広がる事務机に降りた。
人型に姿を変え、机の上で土下座する――この世界に土下座文化はないけど。
「お願いします。内緒にしてください」
顔が上げられない。どんな表情をしているのか、怖くて見れない。
「今までだましていたことは、謝ります。
あと二ヶ月なんです。それまで、どうか。黙っていて下さい」
沈黙が怖い。
机の端においてある拳銃が恐怖だ。
「魔性のたぐいか? 昔から、見目美しい人間に化けて人里にやってくるのは、魔の物と相場が決まっている」
「ちがいます! だれかに悪さしようとかは、全然」
思わず顔を上げて反論したら、カイザーのきびしい視線とかちあった。
人を守るという責務に対して、この人は厳格だ。
見知った顔だろうがなんだろうが、ためらわずに撃つだろう。
「……前も言ったとおり、好きな人を幸せにしたくているだけです。信じてもらえないかもしれませんけど」
猫になる前は人間だったとか、異世界人だとか。
正直に全部、話してしまった方がいいんだろうか。
頭をフル回転させて、最悪の事態を回避する方法を考えていたけど、そのうち、カイザーの緊張がゆるんだ。上体をイスの背にあずける。
「魔物だったら、まず、妖精どもが寄りつかんか。悪いものではなさそうだな」
おお、妖精さんたち。迷惑がってごめんなさい。助かりました。
「おまえが恩返ししたい相手というのは、フロッタンテ氏のことか」
「そうです。彼は何も知りません。シュガーをただの猫だと思って、かわいがってくれているんです。
実際は化け猫だなんて知られたら。追い出されてしまいます。秘密にしてください」
身を乗り出して、頼みこむ。
「なんでもしますから! お願いします!」
ノックがあった。
あわてて猫にもどる。カイザーの部下が入ってきた。
「今、だれかいませんでした?」
「いや、だれもいないが」
「空耳でしたかね」
部下さんはきょろきょろ部屋を見回した後、背後をふり返った。
心臓が跳ねた。イルがいた。
「シュガー。ここに遊びに来ていたんだね」
イルは私に、いつもと変わらない微笑を見せてくれた。
「どうもすみません、シュマーレン大尉。昨晩から、こちらのお世話に?」
「道端で寝ていたので。心配なさるかと思い、拾っておきました」
「ありがとうございます。前も、夜に公園で寝ていたことがあって。
元が野良だから、家で寝ることにこだわりがないのかも知れませんね」
イルが私を抱き上げると、カイザーが部屋の扉を開けた。門まで先導する。
「メイドたちにも、心配ないっていわれるんですけどね。一泊の外泊くらい、好きにさせてあげなさいって。
でも、僕にしてみれば、野良だからこそ怖いんですよ。気まぐれに現れたように、気まぐれにどこかに行ってしまうんじゃないかって、心配で。
きっとシュガーには、さして僕にこだわる理由もないだろうから」
私をなでながら、イルは微苦笑した。
「完全に重たい男ですね、僕」
いや、重たさでは私が上ですよ、イル様。
私、次元も種族も越えて追っかけやってますから。
肩に頭を擦りつけて甘えていたら、カイザーがとんでもないことをいいだした。
「ミスター。もし、それがただの猫でなく、あなたを慕ってやってきた化け猫だったらどうします?」
唖然とした。
なんてこというんだ、この男。
噛みついて引っかいてやろうかと思ったけど、イルの反応は私の予想とちがった。
「化け猫だろうと何だろうと、そんなに想われていたら、幸せですよ。
生きている間に、心から好きになれる相手に巡り会う可能性は少ない。
自分が好きだからといって、相手が好きになってくれるとは限らない。
姿かたちが違った相手となれば、なおさらです。
通じ合えたなら、奇跡みたいなものじゃないでしょうか。
大尉のいう通りなら、僕とシュガーは幸せ者ですね」
「ご評判通りの猫かわいがりですね」
「よくいわれます」
笑うイルの腕の中で、私はカイザーをにらみつけた。
が、私を不幸のどん底に突き落としかけた相手は、悪びれもなくいう。
「よかったな」
頭をなでられた。
……ひょっとして。代わりに聞いてくれたのか?
私では、化け猫でもそばにいていいかなんて、本人には聞けないから。
「化け猫なんて。シュマーレン大尉、意外とおもしろいこというね」
カイザーと別れると、イルはふふっと笑った。
「本当だったらいいのにな。昔話で、動物が人に化けて遊びに来たり、子供のいない夫婦の子になったり、伴侶になったりする話、好きだったから。
もしシュガーができるなら、僕は大歓迎だよ?」
お心はうれしいのですが。
プライベートでイル様と向かい合ったら、緊張して何も話せる気が致しません。
「聞いて、シュガー。昨日はね、大変だったんだ」
帰る道すがら、イルは昨晩のことを色々話してくれた。
マロンを拉致した二人は捕まったこと。
二人はキルシュ菓子店の女性菓子職人に頼まれてやったこと。
菓子職人は店長の指示でやったといい、店長は店長で、菓子職人が勝手にやったと言い張っていて、主犯はまだ謎であること。
マロンは無事であること。
私、スノウは、路地裏で大尉に助けられた後、気絶し、だれにも会うことなく、兵舎の医務室に運ばれたこと。
どうやら、私が猫になったことは、カイザー以外には知られていないようだ。
びっくりしただろうに。うまく立ち回ってくれたんだな、大尉。
私を連れ帰ると、イルは仕事にもどっていった。
居間の窓から、通りをのぞく。
時刻はお昼前。ローズ菓子店は今日も変わらず営業していた。
顔、出しておいた方がいいよね。
「スノウちゃん! 無事でよかった」
出勤すると、マロンが抱きついてきた。
「ごめんね、頼りない店長で。スノウちゃんがいなかったら、私、今頃、どんな目に遭っていたか」
「こちらこそ。勝手をして、ご心配をおかけしました」
マロンのエプロンのポケットには、いつも通り、レシピノートが収まっていた。
よかった。ちゃんと手元に返ったんだ。
「今日は休んでもらってもいいけど」
「来たからには、やりますよ。
そうだ。一件落着しましたし、プリンの作り方、教えてくださいね」
「定休日に教える約束をしていたのに、泥棒騒ぎがあって、なかなかだったものね。
もう、今から教えるわね」
『ユーノの日』まであと少し。
無事にイベントも片づいたし、楽しもう。
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