46.ユーノの日 6
「店長!」
叫ぶと、マロンを拉致した二人組の男は、はじめて私に気づいた。
あ。この二人って。猫の私を二度も拉致した小悪党タッグじゃないか!
「くそっ。今日は連れがいたのか」
弟分の方が、私に襲いかかってくる。
動き遅っ。腰引けてるしっ。
簡単に投げ飛ばせそうだったけど、大事な拉致イベントを台無しにするわけにはいかない。
男に口をふさがれ、マロンと二人仲良く、路地裏の空き家に拉致された。
兄貴分が、マロンにナイフを突きつけながら脅す。
「菓子のレシピが書いてある手帳をよこしな」
「い……今は、持ってないわ。いつもは持ち歩いているけれど、今日はたまたま、さっき、友人の家においてきてしまったから」
当てが外れて、兄貴分は口をへの字に曲げる。
私をにらんだ。
「おい、おまえ。レシピの手帳、取ってこられるか」
口をふさがれているので、返事の代わりに、こくこくとうなずく。
「いいか、十分以内に取ってこい。でないと、店長さんのお顔に傷がつくからな?」
「待ってください。欲しいレシピがあるなら、今から書きますから。あのレシピノートは――」
「全部要るんだよ! 黙ってろ」
マロンは猿ぐつわを噛まされた。
私の方は解放される。
「いいか、一分でも遅れたら、店長さんがタダじゃすまないからな!」
展開にとまどいながらも、私はイルの家にむかって走った。
ゲームじゃ、お泊まりイベントの発生した男性キャラの家に、マロンがレシピノートを忘れてしまい、直後、拉致被害に遭う。
男性キャラは忘れ物を届けようとマロンを追ってきて、拉致現場を目撃し、タイミングよくマロンを助ける、という流れだった。
毎度毎度のことだけど、また少し流れがちがうな。やっぱり私がいるせい?
イルのマンションの階段を二段飛ばしでのぼり、ドアを叩く。イル本人が出てきた。
「店長のカバン、ください! 店長が男二人に拉致されて、レシピノートがいるんです!」
イルはメイドさん共々、面食らったが、行動は早かった。
すぐさまマロンのカバンから革張りの手帳を出して、私に持たせた。
「マロンはどこに?」
「八番通りの二本手前を右に曲がった、緑色のドアの空き家です」
「わかった。スノウさんは行って。警備隊に知らせて、僕もすぐに行く」
階段の手すりを滑り降りて、空き家に舞いもどる。
マロンを押さえつけたまま、兄貴分が手を差し出してきた。
「渡しな。ニセモノだったりしたら、容赦しねえぞ」
「正真正銘、本物です。いつも店長が持ち歩いているレシピノートに、まちがいないです」
ページを開いて中を見せつけると、ノートと引き換えに、マロンは解放された。
マロンは自分で猿ぐつわを外し、兄貴分にすがる。
「お願い、それは返して。私以外が持っていたって、仕方ないものなのよ」
「うるせえ!」
兄貴分は、マロンを突き飛ばした。ひどい、なんてことを!
「ちゃんと中を読んでみて。私の言っていることが、わかるはずだから。
レシピならいくらでも教えるから、返して。それは私にとって、何にも代えられない思い出の品でもあるのよ。お願い」
私の手を借りて立ち上がり、マロンはなおも訴える。
悪漢たちは怪訝にしながら、帳面をよくよくのぞきこんだ。
そろって、不可解そうにする。
「なんだこりゃ?」
「でしょ? だから、返して欲しいのよ。
あなたたちがだれに雇われているか知らないけど、その人にも絶対に読めないのよ。
持っていっても、ムダだから――」
訴えるマロンの腕を、私は引いた。
小悪党二人の目が、また剣呑になっていた。
そりゃそうだ。この話の流れでいったら。
「じゃあ、店長さん。あんたにも、一緒に来てもらうしかねえな」
「店長、逃げますよ!」
私はマロンを連れて、外へ飛び出した。
後から二人が追ってくる。
「マロン!」
「イル!」
よしっ! イル様登場。セオリー通りだ。
「待てっ!」
「きゃあっ」
マロンの腕を、兄貴分がつかんでいた。
私は掌底を兄貴分のアゴに打ちこむ。この方が、拳より痛くないのだ。自分が。
「店長、先に行って下さい!」
打った拍子に、兄貴分の手から、レシピノートが落ちた。
しめたっ。
「う、うう動くなっ」
拾って顔を上げた瞬間、背筋が冷えた。
弟分が拳銃をかまえていたのだ。
へっぴり腰で、まともに撃てそうにないけれど、銃という見た目の威力は抜群だった。手足が硬直する。
「このアマ、よくも殴りやがったな」
乱暴に腕をつかまれ、後ろ手に回される。
「もういい、こいつを連れて行くぞ」
「でも、アニキ。店長じゃなくていいんですか?」
「あの女は自分以外には読めないっていってが、怪しいもんだ。同じ店のスタッフなら、暗号みたいなあの文を読めるかもしれねえだろ」
「読めなかったら?」
「こいつを人質に、もう一度、あの店長をおびき寄せるさ。
ともかく、ここをはなれるぞ。警笛が近くなってる。逃げねえと」
「スノウちゃん!」
マロンの呼ぶ声は遠くなり、暗い路地の奥へ奥へと引きこまれる。
抵抗すると、首にまわされた腕の締め上げが強くなった。
まずい。気絶でもしたら、猫になってしまう。
へたな抵抗はよしたが、遅かった。
「ちっ、暴れられると面倒だな。
おい、おまえ。ボーっとしてねえで、眠り薬、出せよ。もしもの時のためにもってきてたろ」
「あ、そうでしたね、アニキ。すいやせん。すぐに」
弟分のポケットから、なにやら小瓶が出てきた。
汚いぼろきれに中身を染みこませ、押し当ててくる。
吸ってたら終わる。私の人間人生が。社会的生活が。
明日から化け猫扱いだ!
「早くおとなしくしろ!」
息を止めてじたばたしていたら、また首の締めつけが強くなった。
息が苦しい。やばい。だめだ、もう。酸欠で、意識が遠のいてくる。
こらえきれずに少しだけ息を吸うと、薬のにおいが、むせかえるような甘い刺激臭が鼻と口を満たした。
「スノウ!」
背後から、だれかの声が聞こえた。
うぎゃっと悲鳴を上がり、同時に、私の身体は自由になった。
地面に倒れて、げほげほとむせる。頭がくらくらした。意識が暗転しそう。
背後で、物騒な音がしている。叫び声や、骨の折れるような音がしている。銃声までしているけど、そんなことに構っていられない。
起きていなくちゃ。まだ眠っちゃダメだ。だれもいないところに行かなくちゃ。
なのに、暗い路地を這う私を、だれかが起こして仰向ける。
「スノウ、大丈夫か?」
わずかな月明かりに、うっすらと知った輪郭が浮かび上がる。
肩幅の広い、たくましい体。
夜闇に黒く染まった軍服の中で、金のボタンが光っている。
武骨で荒れた指が、見た目からは思いもつかないほどやさしく、私の髪を梳いた。
カイザー=シュマーレン大尉。
お願い、私を見ないで。
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